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デザインに関するレビュー/プレビュー

ミナ ペルホネン/皆川明 つづく

会期:2019/11/16~2020/2/16

東京都現代美術館 企画展示室3F[東京都]

すべてオリジナルデザインの生地で洋服づくりをする、独自のスタンスを貫くミナ ペルホネン。セールを決して行なわず、手頃な価格とは言い難いのだが、根強いファンが多くいるのも事実だ。おそらく彼らはそのかわいらしい洋服の世界観はもちろん、丁寧なものづくりに惹かれてファンとなっているのではないか。丁寧な暮らしに憧れて実践している人ほど、ミナ ペルホネンのファンとなる傾向があるように思う。

2020年にブランド設立から25周年を迎えるミナ ペルホネンの展覧会が開催中だ。同デザイナーの皆川明は「せめて100年続くブランドに」という思いで始めたというから、ちょうど四半世紀の区切りを迎える。本展のタイトル「つづく」にもその継続性への思いが込められているほか、人やもの、アイデアなどがつながる、連なる、循環するといった意味も込められているという。丁寧であり、さらにサスティナブルなのだ。そうしたミナ ペルホネンのものづくりの姿勢と時代の空気とが、現在、ちょうど合致したかのように思える。だからこそ洋服だけに留まらないライフスタイルブランドへと成長したのだ。

本展の展示構成を手がけたのは、いま注目の建築家である田根剛。八つからなる各章の名称もユニークで、「実」「森」「風」「芽」とすべて自然界に喩えられている。最初の章「実」では代表的な生地「タンバリン」に焦点を当て、その模様を成すひとつのドットに使われている糸の長さや、刺繍にかかる所要時間など、生産にまつわるさまざまな数字が明示される。と思ったら、次の章「森」では約25年間つくり続けてきた洋服400着以上が、楕円空間の壁面を埋め尽くすように展示されている。1章ごとの展示にメリハリがあり、鑑賞者を飽きさせない。そのなかでももっとも見応えがあったのは、ミナ ペルホネンの哲学やアイデア、生産現場を紹介する「種」の章で、ものづくりの出発点や裏側を知れる貴重な展示だった。

展示風景 東京都現代美術館 企画展示室3F「実」[撮影:吉次史成]

展示風景 東京都現代美術館 企画展示室3F「森」[撮影:吉次史成]

また、ミナ ペルホネンの真の価値を知れたのは「土」の章である。個人が所有する洋服15点が所有者自身のエピソードとともに紹介されていて、その一つひとつの文章が実に心に沁みた。人生の節目や家族との関わりなど、どれもありふれたエピソードではあるのだが、所有者にとって大切な思い出や記憶であることがヒシと伝わってくる。やはり彼らは丁寧な暮らしを送り、素敵な人生を過ごしている人たちだった。約25年間かけて、ミナ ペルホネンは良質なファンをも育てたのである。

展示風景 東京都現代美術館 企画展示室3F「土」[撮影:吉次史成]


公式サイト:https://mina-tsuzuku.jp

2019/11/15(金)(杉江あこ)

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JCD連続デザインシンポジウム 「内田繁のデザインを考える」

会期:2019/11/15

東京デザインセンターB2F ガレリアホール[東京都]

東京デザインセンターにおいて、2016年に亡くなったデザイナーの内田繁をめぐるシンポジウムに登壇した。飯島直樹は初期のエピソードのほか、内田がJCDのアワードを改革したことに触れ、長谷部匡は内田のデザインの変遷を紹介し、筆者は著作から読み解くことができる彼の考え方の展開を報告した。内田が構造主義や日本文化から影響を受けつつ、「関係の先行性」や時空間を巻き込む独自のデザイン論を展開し、ついには戦後インテリアデザインの通史まで自ら執筆したことが興味深い。

特に単著の『戦後日本デザイン史』(みすず書房、2011)と内田繁監修・鈴木紀慶・今村創平『日本インテリアデザイン史』(オーム社、2013)は、ほとんど初めて日本のインテリアデザインの歴史を執筆した本という意味で重要だろう。前者は、最初に3つの視点を挙げている。すなわち「ひとつは、すべて網羅しようとはしないこと。……後世のために重要だと思うものを取り上げた。……ふたつ目は、できるだけ多くのジャンルにまたいで記述すること。……時代ごとにできるだけ横のつながりが見えるような構成を心がけた。そして三つ目は自分の体験を踏まえること。……生の声が貴重だとしたならば、記録に留めることには意味があるであろう」。

もちろん、歴史研究者の著作ではない。むしろ、戦後デザインが大きく変動する現場に立ち会った人物が、どのように同時代を観察したのかという側面が強い。とはいえ、インテリアだけでなく、グラフィック、ファッション、建築、アートなど、異なる分野を自由に横断するデザイン史は読み物としても大変に刺激的だ。

以下にディケイドごとのあらすじを紹介しよう。1960年代は建築からインテリアが自立、1970年代は商業空間を中心にインテリアデザインがゲリラ的に展開、そして1980年代になると、「社会制度と個別性の関係」は色褪せ……「個人の固有性」が前面に出て、脱日常的な空間に重点が置かれた。さらに1990年代は日常性に回帰し、2000年代以降は環境の時代になったという。戦後の日本建築史と並行する部分も多く、今後の比較研究もできるのではないだろうか。



デザインシンポジウム 「内田繁のデザインを考える」より、飯島直樹の発表風景



デザインシンポジウム 「内田繁のデザインを考える」より、長谷部匡の発表風景


デザインシンポジウム 「内田繁のデザインを考える」より、筆者(五十嵐太郎)の発表風景



シンポジウム後半、内田繁について討議する3人の登壇者。

2019/11/15(金)(五十嵐太郎)

日本のアートディレクション展 2019

会期:2019/10/23~2019/11/16

ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)/クリエイションギャラリーG8[東京都]

ADC(東京アートディレクターズクラブ)の年次公募展「日本のアートディレクション展」が今年度も開催された。ギンザ・グラフィック・ギャラリーとクリエイションギャラリーG8の2館で同時開催され、前者では会員作品のADCグランプリ、ADC会員賞、原弘賞をはじめ数々のノミネート作品の展示が、後者では一般作品のADC賞10点の展示が行なわれた。類似のJAGDA賞ではグラフィックデザインが中心であるのに対し、ADC賞はコマーシャルフィルムや環境空間なども含めた広告全般を対象にしている点が特徴だ。今年度、ADC賞に選ばれたひとつ、三井住友カード「企業広告」コマーシャルフィルムは、「電子マネー元年」と言われる現代の世相を象徴する内容だった。どこの国なのかわからない荒野に立つ青年が、旅人に出会い、「お金とは何か」という概念的な問いを突きつけられる。登場する役者は日本人なのに、まるで西部劇かロードムービーのワンシーンでも観ているような気分になる。こうした優れたコマーシャルフィルムがあることに、日本の広告業界もまだ捨てたものではないと思わされた。

ADC賞10点のうち3点も受賞したアートディレクターの三澤遥にも注目した。そのうち1点は自身の個展の環境空間であるが、2点はいずれも情緒的な手法を取りながら社会の問題解決に挑んでいたからだ。岡村印刷工業「興福寺中金堂落慶法要散華 まわり花」のジェネラルグラフィックは、紙の折りの構造を工夫することで、散華として空中に撒いたときに一輪の花のように映るようにした作品だ。人の目の残像を利用して、平面から立体への展開を可能にした。またLinne「LINNÉ LENS」のスマートフォンアプリは、スマホをかざすだけで1万種類もの生き物の名前を瞬時にサーチするAI図鑑である。生物多様性の問題を考えるきっかけを与えるという点で、やはり現代の世相を象徴する内容だ。


展示風景 クリエイションギャラリーG8[写真:那須竜太]

ADCグランプリを受賞したのは、アートディレクターの井上嗣也が手がけたCOMME des GARÇONS「SEIGEN ONO」のポスター、ジェネラルグラフィックである。これは約30年前のコム・デ・ギャルソンのファッションショーで使用された、ランウェイミュージックのオムニバスアルバムの復刻版である。凛とした黒い鳥を正面や側面から切り取った、写真の力を最大限に生かしたアートワークだ。コム・デ・ギャルソンといい、オノ・セイゲンといい、個性の強いクリエイターたちの作品であるにもかかわらず、それらに引けを取らず、と言って殺さず、絶妙なバランスでまとめている点が印象的だった。またADC会員たちによる審査風景を記録した短い映像が会場で紹介されていた点も良かった。身内による身内作品の審査ではあるが、審査の透明性や公平性を多少証明できたのではないか。


展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリー[写真:藤塚光政]


公式サイト:
http://www.dnp.co.jp/CGI/gallery/schedule/detail.cgi?l=1&t=1&seq=00000741
http://rcc.recruit.co.jp/g8/?p=23149

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2019/11/02(土)(杉江あこ)

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辰野金吾と美術のはなし 没後100年特別小企画展

会期:2019/11/02~2019/11/24

東京ステーションギャラリー[東京都]

辰野金吾は「建築家になったからには、日本銀行本店と中央停車場(東京駅)と帝国議会議事堂(国会議事堂)を設計したい」と語っていたそうだ。藤森照信による、そんなエピソードから本展は始まる。結構な野心家だったんだなという印象を抱くが、実際のところ、そうでなければ壮大な夢を叶えられなかったに違いない。おそらく野心があったおかげで人一倍勉学に励み、工部大学校(現・東京大学工学部)を首席で卒業し、英国へ官費留学ができた。帰国後は恩師ジョサイア・コンドルの後を継いで同校の教授となり、その後、自身の事務所を立ち上げて本格的に建築設計の道を歩んでいく。そして日本銀行本店と中央停車場を設計する夢は叶えた。帝国議会議事堂の設計については、自ら設計競技を提案し審査に携わる途中で、スペイン風邪に罹り逝去してしまう。残るひとつは夢半ばであったが、最期まで野心を燃やし続けた人なのだ。

辰野が没して100年を迎えた今年、彼が設計した日本銀行本店本館(日本銀行金融研究所貨幣博物館)、旧・日本銀行京都支店(京都文化博物館)、そして東京駅丸の内駅舎(東京ステーションギャラリー)の3館でそれぞれに企画展が開催された。東京ステーションギャラリーでは、学生時代に出会った洋画家、松岡壽との交友関係を軸に美術との関わりを紹介しつつ、中央停車場の貴重な図面を展示している。当初、ドイツ人鉄道技師のフランツ・バルツァーが瓦屋根を冠した複数棟から成る和洋折衷の中央停車場設計案を出すが、それを辰野が引き取り、華やかなヴィクトリアン様式に変えたといったエピソードも紹介される。脱亜入欧が国是であった明治時代、産業革命以後の英国の都市景観から生まれたこの様式を採用することは必至だったのだろう。青図(青焼き)の平面図や立面図、断面図などがいくつも展示されていて、それらを眺めると待合室の多さに驚くが、それが当時の駅に求められた機能だったことがわかってくる。日本の近代建築の第一世代が辿った足跡に触れられる展覧会である。

辰野・葛西建築事務所《中央停車場建物建築図 北立面図》1910頃[鉄道博物館蔵]

辰野・葛西建築事務所《中央停車場建物展覧図》1911頃[鉄道博物館蔵]

現在の東京駅丸の内駅舎(北口)[©Yanagi Shinobu]


公式サイト:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201911_tatsuno.html

2019/11/02(杉江あこ)

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エドワード・ゴーリーの優雅な秘密

会期:2019/09/29~2019/11/24

練馬区立美術館[東京都]

エドワード・ゴーリーは、きわめて異質な作風であるのに、カルト的な人気を誇る米国の絵本作家である。繊細なモノクロームの線描が得意で、それにより不気味さを醸し出しつつ、古典的な欧州貴族のような雰囲気も併せ持つ。私がゴーリーの作品に初めて触れたのは、絵本『敬虔な幼子』だった。これは神の教えに敬虔すぎる3歳の男の子の言動を淡々と描いた物語で、最後に男の子は風邪をこじらせてあっけなく死んでしまう。男の子を賛美しているわけでも同情しているわけでもなく、むしろ揶揄しているのか冷淡しているのか。その絶妙なトーンにやや戸惑いを覚えた。その後に読んだ絵本『うろんな客』にも唖然とした。ある日、突然やってきた胡散臭い、勝手気ままな生き物が家庭内をかき乱していく物語で、しかも17年経ってもまだ居るという結末である。うろんなのに、どこか憎めない愛らしい生き物として描かれる。

《うろんな客》1957 挿絵・原画 ペン・インク・紙[エドワード・ゴーリー公益信託/©2010 The Edward Gorey Charitable Trust]

ゴーリーの作品は、おそらく予定調和な物語に飽き足らない人を強烈に惹きつけるのだろう。「敬虔」と言いつつ揶揄し、「うろん」と言いつつ愛する。またほかの代表作『不幸な子供』や『ギャシュリークラムのちびっ子たち』にも見られるように、登場する子供たちはたいてい容赦なく悲惨な目に遭って死んでしまう。その点が絵本としては異質なのだ。絵本だからといって子供を決して美化せず、夢や希望を与えることもカタルシスもない。だから読後に何とも言えない感情が残り、それが余韻となって後を引くのである。

《不幸な子供》1961 挿絵・原画 ペン・インク・紙[エドワード・ゴーリー公益信託/©2010 The Edward Gorey Charitable Trust]

《ギャシュリークラムのちびっ子たち》1963 挿絵・原画 ペン・インク・紙[エドワード・ゴーリー公益信託/©2010 The Edward Gorey Charitable Trust]

本展は主著の原画をはじめ、ほかの書籍に寄せた装丁や挿絵、また舞台美術まで、ゴーリーの仕事を多角的に紹介する内容だった。主著で見せる不気味さをほかの仕事ではあまり押し出すことなく、明るく洗練された絵だったことに驚いた。やはりゴーリーは絵が上手でセンスが良い人なのだ。だからどんなに不条理で悲惨で残酷な物語でも、それを上品にオブラートに包み込んでしまう。よくゴーリーの絵本について「子供向けではない」と言われるが、子供は怖い話が案外好きである。また私自身を振り返ってみても、そういう話こそ成長過程で良い糧になることは多い。平坦な作品を「毒にも薬にもならない」と言うが、ゴーリーはつねに毒をもって物語を伝えてきた。本展はその独特の魅力を知るきっかけとなるのではないか。


公式サイト:https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201906011559352588

2019/10/24(杉江あこ)

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