artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
マイセン動物園展
会期:2019/07/06~2019/09/23
パナソニック汐留美術館[東京都]
マイセンといえば、欧州で初めて磁器を焼いた窯として知られる。17世紀当時、欧州では中国の景徳鎮や日本の伊万里が大流行。なかでもドイツのザクセン選帝侯アウグスト強王は屈指の収集家で、あの白く、薄く、硬く、艶やかな磁器を自ら治める領内でなんとか焼けないかと躍起になり、錬金術師のヨハン・フリードリッヒ・ベットガーを監禁し、磁器製造を命じた。およそ8年かけてベットガーは硬質磁器の焼成に成功。アウグスト強王は外部に製造技術が漏れることを懸念し、1710年にマイセン地区のアルブレヒト城内に磁器製作所を設立した。これがマイセンの始まりである。
当初、マイセンでは中国の染付や日本の柿右衛門様式の絵を真似して描いていたが、1731年にヨハン・ヨアヒム・ケンドラーを成型師として招き入れると、彫像をたくさん製造するようになった。本展はなかでも動物彫像にスポットを当てた展覧会である。「動物園展」と題したのは大げさでも何でもなく、当時、アウグスト強王はドレスデンに建てたツヴィンガー宮殿の「日本宮殿」に、莫大な日本の磁器コレクションを収蔵すると同時に、100体以上の動物彫像を焼かせて飾ったという。宮殿に磁器の動物園をつくろうとしたのだ。磁器で何でもつくれると夢見た、アウグスト強王のある種のロマンを見るようである。
どこの国でも、こうした時の権力者によって、産業は守られ発展する。現に彫像づくりによって、マイセンは製造技術が飛躍的に上がった。本展では《猿の楽団》をはじめ、神話や寓話をモチーフにした美術工芸品、器の装飾として取り入れられた鳥や虫、さらにアール・ヌーヴォー様式の動物彫像、アール・デコ様式の動物彫像が展示されている。その動物たちの隆々とした姿形や、生き生きとした表情の見事なこと。日本でも磁器で壺などの美術工芸品をつくることはあるが、装飾は絵付けや釉薬の工夫に留まり、あくまで壺という用途を成す形態を崩すことはない。しかし欧州では磁器で器もつくるが、絵画や彫刻に並ぶファインアートとしての彫像にも積極的に取り組む傾向がある。そこが大きな違いだろう。欧州の名窯の歴史を、動物彫像を通して知れる貴重な機会である。
公式サイト:https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/19/190706/
2019/08/04(杉江あこ)
虫展 ─デザインのお手本─
会期:2019/07/19~2019/11/04
21_21 DESIGN SIGHT[東京都]
かつて人類は鳥を手本に飛行機を発明したように、生物をデザインの手本とすることは古今東西行なわれてきた。したがって、本展の副題「デザインのお手本」には非常に納得する。また展覧会ディレクターを務めた佐藤卓が、メッセージのなかで「いつの間にか、都会には虫がいてはいけないことになっている」と警笛を鳴らした点についても、よくわかる。こうした現代社会の矛盾を、佐藤はつねに鋭く指摘するからだ。確かに、私自身を振り返ってもそうだ。例えば野山や田畑など自然が豊かな場所では、虫が当たり前のように生息していることを認識できるが、土が極端に少なくなる都会やましてや屋内では、虫がいることに強い抵抗感を覚えてしまう。言わずもがな、私は虫が苦手である。もしかすると苦手になった原因も、虫にあまり触れずに生活してきたからなのかもしれない。
そんな思いで鑑賞した本展だったが、さすがというべきか、面白かった。参加クリエイターは建築家の隈研吾をはじめ、第一線で活躍するデザイナーが多く、彼らは決して虫好きというわけではないだろうが、それぞれの解釈がユニークだったからだ。TAKT PROJECTの吉泉聡の《アメンボドーム》は、表面張力を利用した水面に静かに浮かぶドームで、アメンボの構造にヒントを得た作品だった。また鈴木啓太の《道具の標本箱》は、人間が開発した道具と、虫が進化させた身体の部位とを比較した、興味深い内容だった。圧巻は、小檜山賢二の写真シリーズ「トビケラの巣」である。落ち葉や枝、小石などでつくられたトビケラの水中の巣を凛と美しく伝えていた。総じて、大人が夏休みの自由研究に真剣に取り組んだらこうなったという印象を受けた。
虫が苦手な私でも嫌悪感を示すような作品はひとつもない。「いつの間にか、都会には虫がいてはいけないことになっている」と警笛を鳴らしつつも、おそらくこの点には注意深く配慮したのだろう。ただひとつだけ、人間の感覚を微妙に突いてくる作品があった。パーフェクトロンの《キレイとゾゾゾの覗き穴》である。筒の中を覗いて回すと、万華鏡の仕組みで、次から次へと幻想的な画像が展開される。しかしそれは虫の部位をコラージュした画像なのだ。まさに私のなかで「キレイ」と「ゾゾゾ」の感覚が行ったり来たりし、この何とも言えない刺激が後に引いた。虫を美と見るか、醜と見るか。その価値基準は人それぞれであるし、また紙一重でもあるということを思い知らされた。
公式サイト:http://www.2121designsight.jp/program/insects/
2019/08/04(杉江あこ)
みんなのレオ・レオーニ展
会期:2019/07/13~2019/09/29
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館[東京都]
レオ・レオーニの絵本を初めて読んだのは、もう何十年も前のこと。それは『あおくんときいろちゃん』だった。主人公は人でも動物でもない、絵具でちょんと塗っただけの青と黄の塊で、仲良しの二人(二つ?)が重なり合って緑になるという抽象絵画のような展開に、鮮烈な印象を受けたことを覚えている。レオーニがかつてグラフィックデザイナーとして活躍していたという経歴にも納得した。この絵本が生まれた経緯については、幼い孫たちにせがまれ、レオーニが即興でつくったものが原案になったと伝えられている。
本展を観て、実は同書にはもうひとつの逸話があったことを知り、レオーニの生き様を改めて噛みしめた。レオーニはオランダで生まれ育ち、15歳のときに一家でイタリアに移住。成人後、グラフィックデザイナーとして活躍するも、第二次世界大戦中、自身がユダヤ系の血筋を引くことから米国に亡命し、35歳で米国国籍を取得した。米国移住後、レオーニは画家やアートディレクターとして活躍。そして48歳のときにブリュッセル万国博覧会で米国の特設パビリオンの企画制作を任される。しかしこれが人種差別などの問題を取り扱ったパビリオンだったことから、政治的弾圧を受け、途中で閉鎖されてしまう。この翌年に描かれたのが『あおくんときいろちゃん』で、物語中にさまざまな色の子どもたちが仲良く遊ぶシーンを描くことで、レオーニは暗に人種差別に対して異を唱えたのではないかというのだ。同書にそんな深いメッセージが込められていたとは。
それだけではない。本展で紹介された絵本を何冊も読むにつれ、レオーニはメッセージ性の強い絵本を数多く発表していたことに気づかされた。社会におけるアートの役割や自分らしくあることの重要性、平和への希求などを、子どもの視点に立って優しく語りかける。美しい絵とともに。
晩年になるにつれ、レオーニがグラフィックデザイナーから絵本作家へと軸足を移したのにも理由があった。結局、グラフィックデザイナーは行政や企業などから依頼を受けて、それに応える仕事である。ブリュッセル万国博覧会のときのように、政治的理由に振り回されることもあれば、思想的圧力を受けることもある。制約も大きい。それより絵本という小さな媒体のなかで、自身の思考を表現する方が良いという判断に至ったのだ。20世紀の激動の時代を生き抜いたことも影響しているだろうが、デザイナーとアーティストの何か決定的な違いを突きつけられたような気がした。いまの時代であれば、デザイナーはもう少し生きやすいだろうか。ともあれ、レオーニの絵本をもっとたくさん読みたくなった。
公式サイト:https://www.asahi.com/event/leolionni/
2019/07/28(杉江あこ)
May I Start? 計良宏文の越境するヘアメイク展
会期:2019/07/06~2019/09/01
埼玉県立近代美術館[埼玉県]
一般にヘアメイクアップアーティストというと、モデルにヘアメイクを施す人という、いわば裏方のイメージが強い。しかし本展を見て、そんなイメージは吹っ飛んだ。「メイク」という言葉どおり、まさに創作なのだ。現にメイク道具が展示されているコーナーでは、化粧筆やファンデーション、口紅などのほか、ハンダゴテなどの工具類まであり、創作の現場をリアルに物語っていた。
本展は資生堂ビューティークリエイションセンターに属するトップヘアメイクアップアーティスト、計良宏文(けら・ひろふみ)の仕事を紹介する展覧会である。同センターには約40人のヘアメイクアップアーティストが在籍しており、なかでも最高レベルの技術を有する者には「トップ」と冠がつけられる。計良はそのうちのひとりというわけだ。最初のフロアでは美容専門誌や資生堂「TSUBAKI」の広告などで担当したヘアメイクを写真で展示。それぞれの企画意図に沿いながらも、斬新なヘアメイクに挑んだ姿勢が伝わる。
しかしそれらはまだ序の口だった。次のフロアでは「LIMI feu」「ANREALAGE」「SOMARTA」など、最前線で活躍する日本人デザイナーのファッションブランドとの仕事が紹介される。パリコレクションをはじめとするファッションショーで実際に使われたヘア(ウィッグ)の展示を観ると、冒頭で述べたとおり、まさに彼の仕事が創作であることがひしと伝わる。ヘアメイクはファッションブランドの世界観をつくり上げるための重要な要素であり、ともすれば洋服の一部にも代わる存在なのだ。デザイナーとともにその世界観を共有しながら、さらに自身の感性と表現力、技術力で勝負しなければならない。そして最後のフロアではアーティストの森村泰昌や華道家の勅使河原城一との共作が展示されていた。特に勅使河原と共作した、花とヘアとを融合させた写真作品《Flowers》ではヘアメイクの新たな境地を見ることができた。ここまでくると、ヘアメイクもファインアートとなる。
私がもっとも興味を惹かれたのは、ファッションデザイナーの坂部三樹郎との共作で、ひとりの女性に39通りのファッションとヘアメイクを施した新作映像インスタレーションである。ごく普通の顔の女性がファッションとヘアメイクによって、清楚にも、アイドルっぽくも、オタクっぽくも、幼くも、大人っぽくも、強くも、怖くもなることを見事に表現していた。つまり腕さえあれば、ヘアメイクによって自分の姿をどうとでも創作できることをつくづく思い知ったのである。
公式サイト:http://www.pref.spec.ed.jp/momas/index.php?page_id=413
2019/07/21(杉江あこ)
Archives: Bauhaus 展
会期:2019/06/28~2019/09/23
無印良品 銀座 6F ATELIER MUJI GINZA Gallery2[東京都]
2019年はバウハウス創立100周年にあたる節目の年である。これを記念する展覧会やイベントなどが昨年から各所で開かれており、本展もそのひとつにあたる。バウハウスというと、どうしてもヴァルター・グロピウスをはじめ、ミース・ファン・デル・ローエ、マルセル・ブロイヤーといった建築家らがその教師陣として思い浮かぶが、本展で主に取り上げられたのは同校の金属工房で優れた才能を発揮したという女性デザイナー、マリアンネ・ブラントだ。正直、本展を観るまで彼女の存在を知らなかったが、円形や半球形を基調とした金属製灰皿などはとても端正で美しく、バウハウスの血を受け継ぐデザインであると感じた。また同じく同校で学び、教鞭を執ったデザイナー、ウィルヘルム・ワーゲンフェルドのポットやカップなどのガラス製品も展示されており、こちらも端正で美しい造形をしていた。これらはバウハウスが残した工業製品のごく一端に過ぎないだろうが、それでも20世紀初めに工業デザインの基礎がドイツで築かれたことを十分に物語っていた。
本展の見どころのもうひとつは、マリアンネ・ブラントが残した写真である。校内のどこかで撮影されたと思われる写真には学生たちの姿も写っており、当時の学校風景をふわりと伝える。そして魚眼レンズで撮ったような凝ったアングルからも、彼女のセンスが垣間見られた。バウハウスが実践した総合的造形教育の賜物がまさにここにあった。
さて、本展を主催するのは無印良品である。バウハウスの作品や製品に混じって、無印良品の製品も併せて展示されていた。例えばマルセル・ブロイヤーのカンチレバーの椅子と無印良品の椅子など、構造や形状がよく似ているもの同士を並べた展示もあれば、素材、形状、機能をシンプルに突き詰めたという点で似ている生活道具の展示もあった。互いに学校と企業という違いはあるが、つまりそこには「無印良品は現代のバウハウス(の精神を受け継いだ企業)である」というメッセージがあるように感じた。
公式サイト:https://www.muji.com/jp/ateliermuji/exhibition/g2_190429/
2019/07/05(杉江あこ)