artscapeレビュー
パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー
平田オリザ+石黒浩研究室(大阪大学)『森の奥』

会期:2010/06/21~2010/06/28
愛知芸術文化センター小ホール[愛知県]
あいちトリエンナーレ2010関連公演。2030年。ボノボを人間並みの頭脳に進化させる目的で集まった研究者たちと2体の助手のロボットが主要登場人物。まるでプラトンの対話編のように「人間とはなにか」「動物とはなにか」「ロボットとはなにか」について人間と人間、のみならず人間とロボットとのあいだで議論が交わされる。胸のあたりで赤いパルスが動く黄色い2体のロボット。本作の見所はこれが人間と一緒に演じるところ。はっとさせられるのは間で、人間の役者と呼吸がじつにうまく合っている(アフタートークで、役者がロボットに合わせているところもある、とのことだった)。平田オリザと石黒浩が目指したのは「うまく合っている」と観客に見せかける自然主義に相違ない。しかし、ロボットとの会話ならば間が合わないほうが自然である、という考え方もありうるだろう。要は、ロボットにどんなことを要求するのか、どんな性能を与えるのかという設定こそ重要なはずで、残念ながらその設定が不明確だった。例えば、なぜこの研究に(人間ではなく)ロボットが助手として参加しているのか、など。最後の場面、個々別々の思いを抱えた人間たちが滝に現われる虹を見に行くところで、ビールを持ってくるように頼まれたロボットたちが「ビールを持って行くより消えそうな虹を見逃さないほうが大事だ」と依頼を後回しにした。感情はないとした(これは設定されていた)ロボットに感情の芽生えを察知させるロマンチックなエンディングから、ロボットの人間化が二人の作者の目指すところと解釈しうる。けれどもそのベクトルだけがロボットの未来ではないだろうし、ロボット演劇の未来でもないだろう。
2010/08/24(火)(木村覚)
あいちトリエンナーレ2010 都市の祝祭

会期:2010/08/20~2010/10/31
愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、長者町会場、納屋橋会場、七ツ寺共同スタジオ、他[愛知県]
「瀬戸内国際芸術祭」と並ぶ今年最も話題のアートイベントにさっそく出かけてきた。都市型イベントである「あいちトリエンナーレ」では、地下鉄で1~2駅の距離に会場が集中しているのが特徴。交通事情を気にせず自由に移動できるのがありがたい。展示は2つの美術館と街中が半々といった感じで、異なる環境での展示を同時に味わうことでアートの多様なポテンシャルを引き出そうとしているように感じた。筆者のおすすめは、愛知芸術文化センターの松井紫朗、蔡國強、三沢厚彦+豊嶋秀樹、宮永愛子、名古屋市美術館のオー・インファン、ツァイ・ミンリャン、塩田千春、長者町エリアの渡辺英司、山本高之、ナウィン・ラワンチャイクン、二葉ビルの梅田哲也、中央広小路ビルのピップ&ポップだ。納屋橋会場と七ツ寺共同スタジオには残念ながら行けなかった。また、美術展を優先したため、パフォーマンスや演劇系の公演を見てないのも悔いが残る。食事や観光など街を楽しむことができなかったのも同様だ。テーマに「都市の祝祭」を掲げるイベントだけに、美術展とパフォーマンスを観覧するだけでなく、食事や観光など名古屋の街の魅力も味わい尽くして初めてその真価がわかるはず。次に出かける時はしっかり予習して、アートと街遊びの両方を満喫したい。
2010/08/20(金)(小吹隆文)
室伏鴻『常闇形 Hinagata』
会期:2010/08/18
snac[東京都]
同会場で行なわれているChim↑Pom「Imagine」展に室伏鴻が触発され突如行なわれた本公演。「見えないことを想像する」というChim↑Pomのテーマを舞踏者が引き受けるとどうなるかといった問いに答える意欲作となった。「闇のなかで踊るなんてギャグかよ!」と突っ込みたくなる気持ちは、床や壁をガリガリとひっかく音が小さい会場に響きはじめると消えてなくなった。ああ、室伏は目のみならず耳にも訴える舞踏者だった、と思い出した。かすれる呼吸の音、小さな叫び声、体をよじるときのうめく声、激しい声……。その声が、ときに鳥のように、ときに赤ん坊のように、ときに得体の知れない怪物のように聞こえる。物まねではない。模倣の技量に驚くわけではない。ただただ、室伏の「なること(生成変化)」に巻き込まれ、導かれ、置いて行かれてしまう、その事態に唖然とし、その一瞬一瞬を堪能する。目が慣れて薄闇になったあたりで、激しい上下動を繰り返しながらうめき声を上げたとき、その反復動作が次々と似て非なるイメージを生み出していった。差異と反復。室伏を見ること以外では生まれえない豊かで知的で野蛮な時間がこの夜は生まれた。真鍮板、白いオーガンジー、塩など、過去のソロ作品でも彼にはパートナーがいた(そうした姿勢はジーン・ケリーに似ている)。生成変化のトリガーとして今回の「闇」はなかなかよいパートナーだったといえるかもしれない。近年では、海外公演が多い室伏だが、日本の観客にも雄姿をもっとみせて欲しいものだ。
2010/08/18(水)(木村覚)
Chim↑Pom『Imagine』

会期:2010/08/07~2010/09/11
SNAC[東京都]
Chim↑Pomの葛藤は、「アートであってアートであってはならない」ことにあり、この点についてはしばしば議論がなされているように思うのだけれど、彼らはもうひとつの葛藤を抱えているとぼくは感じている。それは「なにかを愛しつつも単なる愛と受けとられてはならない」ことである。この二つの葛藤が交差して、複雑に絡み合うときに、もっとも彼ららしい一種のグルーヴが生まれ、その瞬間にこそ立ち会いたいと、ぼくは思っている。アイロニーではだめだ。「アートを笑うアート」でもなく「愛を笑う愛」でもなく、思案を重ねた末、いざ制作を始めてみたものの、どういう結果になるのか最終的に皆目わからなくなってしまった、そんな不測の事態が発生してこそ葛藤する価値があるというもの。さて、新作展。ハジくんという盲目の若者を主人公に、観客に「見えないことを想像させる」作品群。点字の表記がキラキラと輝くキャンバスの作品やハジくんとにらめっこの勝負をする映像作品などが並ぶなか、昔のエロ雑誌のページにオノ・ヨーコのインストラクション集『グレープフルーツ』の文章を点字で刻印した作品があって、ぼくはこれにひきつけられた。点字(触覚)の世界からすればオノ・ヨーコで、視覚の世界からすればエロ雑誌。ぼくの行った日はハジくんもいて、点字を読んでもらったのだけれど、読み上げる言葉とは関係なく、ページをなでる手がなんだかなまめかしく映る。しかし、自分の手のなまめかしさをハジくん自身は見られない。ハジくんの世界と見える者の世界との「すれちがい状態の出会い」が、とても上手く作品化されていた。問題は、あるとすれば上手すぎることかもしれない。丁寧に織り上げられた愛のアート。アイロニーへ転換させることなく、これをダイナミックなものにするには、出会ってしまった「ハジくん」と徹底的につき合ってみるべきなのかもしれない。
2010/08/17(火)(木村覚)
快快×B-Floorコラボレーション作品『どこでもdoor』
会期:2010/08/13~2010/08/15
東京芸術劇場小ホール[東京都]
こりゃ「タイの快快」だ!なんて思わされたB-Floorと短時間でつくったコラボ作品。タイトルにあるようにベースはシンプルで、ドアをひとつ用意して行ったり来たりする。終幕あたりでぐっときた場面があった。観客に合図を送り拍手をさせるとその音が「雨」になり、役者たちはそれまで観客とやりとりしていた商いをやめて雨宿りをはじめる。あらかじめ観客に20バーツ札を渡してあってそれで行商人たちと値切り交渉を楽しんでくれという趣向。拍手=雨なんていうのも快快らしい参加型のアイディア。こういうのはとてもよかった。「タイの雨」や「タイでの値切り」を湿度や熱気を錯覚するほどに体感できた。とはいえ、小さなアイディアの数々がひとつの束としてまとまることはなかった。いや、あるルール(台本や演出方法)を決めて、それに沿って作品づくりをすればこぎれいにまとめあげることは短期間でも可能だったかもしれない。強いルール設定を拒んだのだろう。その一方、二組の出会ったことそれ自体が主題化された。結果として、学生や社員がオリエンテーションで行なう即席の芝居と大きくは変わらないものになってしまったかもしれない。とはいえ、時折つぶやかれたセリフ「ア・ジ・ノ・モ・ト」は印象的で、二組が共有できる単語であった以上に、すべてを同じ(旨い)味にしてしまう調味料(的存在)に対する批判を含んだものであったに違いない。ゆえにちょっと薄味だった舞台。その分、素材(役者たちの個性)を感じることができた。
2010/08/15(日)(木村覚)


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