artscapeレビュー
パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー
遊園地再生事業団『ジャパニーズ・スリーピング』
会期:2010/10/15~2010/10/24
座・高円寺[東京都]
テーマは「眠り」。ある男が眠りについてのインタビューを続ける。男はあるときから不眠症に陥っており、インタビューはそこからの脱出策を模索してのものらしい。この男の不眠症は、友人が集団練炭自殺で亡くなったかも知れないという思いに端を発し、ときに「眠り」というモチーフは「死」の問題へと変換されもする。テーマは面白い。眠るという行為と演じるという行為は相反する関係にある、などといった原理的な問いが展開されることを期待した。ただし、思いの外そうはならず、既存の演劇の方法論が取り出されては用いられていった。同じ服を着た眼鏡男3人がひとつの役柄のセリフを分け合ったり、不意に激しい叩き合いがはじまったり、あるいはカメラを舞台上にあげてライブ画像を上映したり。ビュッフェのプレートのごとくバラエティに富んでいる。とはいえ、なぜその方法を用いるのかについて必然性が乏しい。そう思ってしまうのは、台詞回しや「巫女的」に女性を扱う仕方など、案外旧時代の演劇的なものが温存されているからかもしれない。
2010/10/22(金)(木村覚)
ロロ『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校』
会期:2010/10/17~2010/10/24
新宿眼科画廊[東京都]
卒業式を控えた6人の小学六年生が織りなす恋愛模様。それを大学出たてくらいの若い役者たちが演じる。彼らのなんともかわいいこと! テーマは恋愛、というか告白。「式で歌う『卒業写真』(ユーミン)よりも、ぼくが君へ歌うラブ・ソングのほうがずっと素晴らしい」と、卒業式をすっぽかした男の子はギターをかき鳴らし猛烈な勢いで女の子に向けて歌い出した。それがラストシーン。三浦直之(脚本・演出・出演)は本作で、男の子・女の子の真っ直ぐな気持ちをかなり真っ直ぐに描いた。その振る舞いはベタにも映る。しかしそれはけっして単なる(無反省の)ベタではない。「メタな振る舞いをベタにやるのもベタだし」とメタのメタ(のメタ……)へと延々と思考を裏返し続けてしまうのがぼくたちの日常であるとして、そんななか「真っ直ぐさ」というのは見過ごされがちでかつ実行困難な、しかし素敵な生き方の選択肢ではないか。きっと三浦はそんな思いからあえて「ベタな恋愛を描く可能性」に向け突き進んでいるのではないか。メタが充満する世界からどうにかベタを救い出そうとする身振りが一番よく表われていたのは、相手の気持ちがわかったうえで、振られることを承知で女の子が男の子に告白するシーン。彼女は自作の台本を彼に渡し、告白の演劇を遂行する。「告白」を「告白の演劇」に転換してしまうメタな身振りは、しかし、告白の不可能性(ベタの否定)ではなく、むしろその可能性(ベタの可能性)を模索しているように見えた。「演劇」(メタ)という手段を使わなければできない「告白」(ベタ)は同時に「演劇」(メタ)という手段を利用してでも遂行したいなにかでもある。告白とはすなわち、絶望的であるにもかかわらず前向きな気持ちが消滅しない事実に向き合った末の、どうしようもない、真っ直ぐな表現行為なのだ。告白を舞台上に乗せること。日本演劇界の最年少世代・三浦の放つ強烈に前向きな姿勢は、チェルフィッチュや快快などと引き比べられうるなにかとみなして間違いはないだろうし、日本演劇の〈別の可能性〉として今後益々注目されることだろう。
2010/10/18(月)(木村覚)
岩渕貞太『untitled』

会期:2010/10/14~2010/10/16
STスポット[神奈川県]
タイトルがもたらしたものであるかもしれないが、目指すべきところが曖昧でとらえにくいと感じさせられた。岩渕貞太が目下日本のダンス・シーンのなかで際立って真面目で、魅力的な外見を携えた人物であることは間違いない。しかも今回は大谷能生を音楽担当に招いてのソロ公演。入念な準備がなされたと想像される。しかし、舞台上の岩渕は正直難解だった。ダンス作品が難解になるのは、多くの場合、振付を通して観客に伝えたいことが不明確なとき、身体の動く動機が観客に伝わっていないときである。目の前の身体がいま、なぜ、このような状態を示しているのか? 基本的に言葉を用いない故に、ダンス作品はわかりにくくなりがちで、身体が生々しくさらされれば、その分イメージは乏しく解釈の手がかりが乏しくなる。もう少し記号的あるいはキャラ的な作品作りでもいいのではなどと思ってしまう。しかし、そうしたやり方に岩渕の興味はない。「身体が動く」という純粋でとらえがたく、直接的な表現の可能性にこそ、岩渕の賭けはあるはず。確かに、ハッとする瞬間はあった。奇妙な怪物の孤独な遊戯にぞっとし、心を奪われた。そういう部分をもっと執拗に推し進めてもいいはずだ。残念なのは、音楽との関係が単調に思えたこと。大谷の具体音(小さい容器に小物を入れて回している音など)を用いた音楽は、ノイズ=前衛=難解なんて短絡的推論に聴く者を陥らせることなく、きわめてキャッチーかつリズミカルで、構造も明瞭、故に充分ポップだった。そうした大谷のアプローチに応答する試みが岩渕から出ていたら印象は違っていただろう。
2010/10/16(土)(木村覚)
キャラバン隊・美術部 第三回展覧会 JIROX かなもりゆうこ二人展「BANG A GONG! トーキョー/キョート」

会期:2010/10/01~2010/10/10
MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w[京都府]
美術と出版で活動する「キャラバン隊」が企画した展覧会。映像作家のかなもりゆうこと、パフォーマー&オブジェ作家のJIROXが共演した。展示は、かなもりの映像(3画面で1点の作品)と、JIROXのオブジェからなる。JIROXは終日会場にいて、自作楽器で即興演奏をしたり、頭部を叩いて打楽器代わりにしていた。かなもりの作品は普段とは少し様子が異なり、JIROXの世界がそのまま引っ越して来たかのよう。一見アンバランスな取り合わせの本展だが、見れば見るほど馴染んできて、やがて絶妙のコラボだとわかる。それにしてもJIROXは、まるで仙人のようだ。彼を知っただけでも、本展に出かけた価値があった。
2010/10/02(土)(小吹隆文)
冨士山アネットproduce『EKKKYO~!』(企画・構成:長谷川寧)

会期:2010/01/14~2010/01/17
東京芸術劇場小ホール1[東京都]
ダンス、演劇、音楽演奏など、クロスジャンルで集まった六組を次々と食す特別コース料理のような本公演。僕は正直、バラエティあるディッシュの数々をうまく楽しめなかった。本公演は今回が二度目、出演は冨士山アネット、ままごと(柴幸男)、ライン京急、CASTAYA Project、岡崎藝術座(神里雄大)、モモンガ・コンプレックス。いま大注目のままごとは、友だち2人のストーリーを3人の役者が次々と入れ替わりながら上演するポスト・チェルフィッチュの方法に、さらに「歩く」というルールを設定。横断したり縦断したり、歩く方向が変わると舞台空間にさまざまなラインが構成される。さながらソル・ルウィットのよう。岡崎藝術座は、宇宙飛行士3人が地球に帰還する物語を、役者3人が横に並んでへヴィメタルのライブのごとく歌い叫びながら演じた。こうした方法的なアプローチは、いまや若い演劇人の得意とするところ。ただ、そんな彼らの姿勢に好感を抱いている僕がのれないでいた。観客は盛り上がっている。ぼくには、彼らの方法的試行がいわば公式の応用のように見えたのだ。「このXになにかを代入すればはいできあがり」ってこと? 本当にしたいことはなんなのか? 「越境」とは、どこからどこへの越境なのか? それがわからないままだったのだ。
2010/1/17(月・祝)


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