artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
黑田菜月「わたしの腕を掴む人」
会期:2017/09/20~2017/09/26
銀座ニコンサロン[東京都]
黑田菜月は1988年、神奈川県生まれ。2001年に中央大学総合政策部を卒業後、写真家としての活動を開始し、2012年に第8回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞した。そのころの彼女の写真は、自分の周囲に潜む「けはい」を繊細な感覚でキャッチした、センスのいい日常スナップだったが、まだひ弱さも感じさせた。だが、その後順調にキャリアを伸ばし、確信を持って自分のスタイルを打ち出していくことができるようになってきている。
今回の「わたしの腕を掴む人」は、中国の北京と上海で老人施設を取材した写真群をまとめたものだ。大きく引き伸ばされた老人たちのポートレートが中心だが、室内の情景、庭などの写真もある。認知症を含む老いの進行を注意深く観察し、撮影しているのだが、それをこれ見よがしに露呈していくような姿勢は注意深く回避され、全体的に受容的な眼差しが貫かれている。注目すべきなのは、むしろ写真と写真の間に置かれたテキストだろう。そこに記された内容も、直接的に彼らの状況を指し示すものではない。電車の中で何度も「富士山が見える」と話しかけてくる老女、「船が迎えに来た」と言って息を引き取った老人、日本に来て介護を学んでいる中国人との対話などが、淡々と綴られている。それらの言葉と写真との間合いが絶妙であり、観客を自問自答に誘うようにしっかりと組み上げられていた。
妄想と現実とのあいだを行き来するような構造を、写真とテキストでどのようにつくり上げていくかは、今後も 黑田の大きな課題になっていくのではないだろうか。次作も大いに期待できそうだ。なお、本展は10月19日~10月25日に大阪ニコンサロンに巡回する。
2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)
プレビュー:藤倉翼作品展「NEON-SIGN」
会期:2017/10/13~2017/10/31
vou[京都府]
都市の歓楽街を彩るネオンサイン。それは20世紀の消費文化を代表するシンボルのひとつだが、近年は新技術の普及やネオン管職人の減少により、その姿を消しつつある。北海道・札幌を拠点に活動する写真家、藤倉翼は、一時代を築いたネオンサインへのオマージュとして、写真を元にした半立体作品を制作した。それはネオンサインを真正面から撮影し、LEDを仕込んだ特注額に額装したもの。LEDはコンピューターのプログラムで不規則に明滅し、リアルなミニチュアのような作品が出来上がる。ネオンサインをモチーフにした作品を聞くと、消費社会を批評したポップアートが思い浮かぶ。しかし藤倉はそうした皮肉っぽい視点ではなく、ネオンサイン=近代の工芸品としてリスペクトを捧げているのだ。作品のなかには道頓堀のグリコなど、関西人にとっても思い入れの深いモチーフもある。実物を見たら衝動買いしてしまうかもしれない(もちろん値段次第だけど)。
2017/09/20(水)(小吹隆文)
野村佐紀子「愛について あてのない旅 佇む光」
会期:2017/09/09~2017/10/22
九州産業大学美術館[福岡県]
九州産業大学美術館が企画する「卒業生─プロの世界」の第7回目として、野村佐紀子の個展が開催された。1967年、山口県下関市出身の野村は、1990年に九州産業大学芸術学部写真学科卒業後、荒木経惟に師事し、1993年ごろから写真家としての個人活動を開始する。1994年に最初の写真集『裸の部屋』を自費出版で刊行。以後20冊近い写真集を出版し、数々の展覧会を開催してきた。本展では、その野村の20年以上にわたる写真家としての軌跡を、約170点の作品で辿っている。
展示は3部構成だが、第2部の「あてのない旅」は8点のみの「間奏曲」とでもいうべきパートであり、その大部分は第1部の「愛について」と第3部の「佇む光」で占められている。基本的には既刊の写真集の流れに沿って過去の作品を見せる「愛について」と、「2013年以降の新作」を展示した「佇む光」ということになるが、作風的にそれほど大きな違いがあるようには見えない。闇の粒子を身に纏ったような男性の裸体写真を中心に、ごく近い距離感で撮られた室内の光景が配置されている。カメラが外に出る時にも、視覚よりも触感を強く感じさせる被写体の捉え方は共通している。近年はモノクロームだけでなく、カラー写真も多くなってきたが、それでも画面の質感にほとんど変わりがない。老人施設で撮影された異色のポートレートのシリーズ『TAMANO』(リブロアルテ、2014)や、珍しく女性のイメージを中心に構成された『Ango』(bookshop M、2017)などが外されているということもあるが、どちらかといえば野村の作品世界の均質性、一貫性が強調されていた。それほど大きな会場ではないので、その狙いは的を射ている。だが、次はもう少し大きな会場で、より広がりのある構成の展示を見てみたいとも思った。
2017/09/16(土)(飯沢耕太郎)
神戸港開港150年記念「港都KOBE芸術祭」
会期:2017/09/16~2017/10/15
神戸港、神戸空港島[兵庫県]
1858年に結ばれた日米修好通商条約に基づいて、1868年に開港した神戸港。我が国を代表する港湾の開港150年を記念して、地元作家を中心とした芸術祭が開かれている。参加作家は、小清水漸、新宮晋、林勇気、藤本由紀夫、西野康造、西村正徳など日本人作家16組と、中国・韓国の作家3名だ。会場は「神戸港」と「神戸空港島」の2エリア。ただし、神戸港エリアの一部はポートライナーという交通機関で神戸空港と繋がっており、「神戸港」と「ポートライナー沿線」に言い換えたほうがいいかもしれない。芸術祭の目玉は、アート鑑賞船に乗って神戸港一帯に配置された作品を海から鑑賞すること。港町・神戸ならではの趣向だ。しかし残念なことに、取材時は波の調子が悪く、アート鑑賞船は徐行せずに作品前を通過した。通常は作品の前で徐行してじっくり鑑賞できるということだが、自然が相手だから悪天候の日は避けるべきだろう。一方、意外な収穫と言ってはなんだが、ポートライナー沿線の展示は、作品のバラエティが豊かであること、主に屋内展示でコンディションが安定していること、移動が楽なこともあって、予想していたより見応えがあった。神戸空港という「空の港」と神戸港(海の港)を結び付けるアイデアも、神戸の未来を示唆するという意味で興味深い。会場の中には神戸っ子でも滅多に訪れない場所が少なからずあり、遠来客はもちろん、地元市民が神戸の魅力を再発見する機会に成ればいいと思う。
2017/09/15(金)(小吹隆文)
松本美枝子「ここがどこだか、知っている。」
会期:2017/09/05~2017/09/29
ガーディアン・ガーデン[東京都]
松本美枝子は1974年、茨城県生まれ。1998年に実践女子大学文学部卒業後、写真家として活動し始める。写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎、2005)、谷川俊太郎との共著『生きる』(ナナロク社、2008)など、日常を細やかに観察しつつ、思いがけない角度から描き出していくスタイルを確立していった。
今回のガーディアン・ガーデンでの個展でも、いかにも松本らしい思考と実践とを一体化した写真の展示を見ることができた。日付け入りの家族写真を再提示した「手のひらからこぼれる砂のように」(2017)、「古生代ゴンドワナ超大陸の海底あるいは高鈴山」、「震災による地盤沈下で消滅した砂浜あるいは河原子海水浴場」の2部から成る「海は移動する」(2017)、東海JCOの臨界事故をテーマにした「想起する」(2017)、日々のスナップ写真をアトランダムに上映する「このやり方なら、知っている。/ここがどこだか、知っている。」(2011~2016)、鳥取藝住祭で滞在制作した「船と船の間を歩く」(2014)、2面マルチのスライドショー「考えながら歩く」(2017)といった作品群は、一見バラバラだが、「時間と、それが流れる場所と、その中に生じる事象について、できるだけ考え続け観察する」という松本の一貫した姿勢を感じられるものになっていた。
特に興味深かったのは、会場の3分の1ほどのスペースを使ったスライドショー、「考えながら歩く」で、天気予報や歌などの日常の音と映像とが少しずつズレたりシンクロしたりしながら進行することで、観客の意識に揺さぶりをかけるつくりになっていた。われわれが「絶えず揺れ動く世界の際」にいることが、一見穏やかだが、微妙な裂け目を孕んだ映像の集積によって提示されている。展示を見ながら、そろそろ次の写真集もまとめてほしいと強く思った。
2017/09/13(水)(飯沢耕太郎)