artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
平敷兼七「沖縄、愛しき人よ、時よ」
会期:2017/09/04~2017/10/29
写大ギャラリー[東京都]
平敷兼七(へしき・けんしち)は1948年、沖縄県今帰仁村運天の生まれ。沖縄工業高校デザイン科卒業後、1967年に上京して東京写真大学(現・東京工芸大学)に入学するが、2年で中退する。東京綜合写真専門学校に入り直して、同校を72年に卒業している。その後、沖縄とそこに生きる人々を柔らかな温かみのある眼差しで撮り続けたが、その仕事がようやく評価されるようになるのは、亡くなる2年前、2008年に銀座ニコンサロンで個展「山羊の肺 沖縄1968─2005年」を開催し、第33回伊奈信男賞を受賞してからだった。だが、没後も展覧会や写真集の刊行が相次ぎ、あらためてその独自の作品世界に注目が集まっている。今回の写大ギャラリーの展覧会には、代表作の「山羊の肺」のシリーズから78点、ほかに沖縄出身者が入寮する東京都狛江市の南灯寮での日々をスナップした写真群から63点が展示されていた。
平敷の写真は一見、目の前にある被写体に何気なくカメラを向けた自然体のスナップショットに見える。だが、「山羊の肺」の「『職業婦人』たち」のパートにおさめられた写真の「前借金をいつ返せるか毎日計算する」、「客に灰皿をもって行く子ども」といったキャプションを読むと、彼が沖縄の現実と人々の生の条件を深く考察し、時には辛辣とさえ思える批評的な眼差しでシャッターを切っていることが見えてくる。亡くなる2日前の日記には「人生の結論は身近にあり、身近の人物達、身近の物達、それらを感じることができるかが問題なのだ」という記述があるという。あくまでも「身近」な被写体にこだわり続けながら、「感じる」ことを全身全霊で哲学的な省察にまで昇華させようとした写真家の軌跡を、もう一度きちんと辿り直してみたい。
2017/09/08(金)(飯沢耕太郎)
田代一倫「ウルルンド」
会期:2017/09/05~2017/09/24
photographers’ gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]
田代一倫は2013年に東日本大震災の被災地域を中心に撮影したポートレートの写真集『はまゆりの頃に 三陸・福島2011~2013年』(里山社)を刊行した。丁寧に向き合って撮影した「肖像写真453点と覚え書き」で構成されたこの写真集は、「震災後の写真」のあり方を模索した成果として高い評価を受けた。田代にとって、このシリーズの次のかたちを見出すことは簡単ではなかったのではないかと想像できる。その後photographers’ galleryで、韓国で撮影したポートレートの展覧会を3回ほど開催するなど、試行錯誤が続いていた。だが、今回の「ウルルンド」を見ると、少しずつその輪郭が定まりつつあるように見える。
「ウルルンド」=鬱陵島は竹島(独島)のすぐ西に位置する島で、日韓の領土問題にからめて言及されることが多い。だが、田代のアプローチはそのような政治的な文脈はひとまず括弧に入れ、『はまゆりの頃に』と同様に、被写体となる人物に正対し、「写される」ことを意識させてシャッターを切っている。結果的に、前作と同様に人物とその背景となる環境が絶妙のバランスで捉えられているのだが、シリーズ全体にそこはかとなく漂う緊張感が、これまでとは違った手触りを生じさせている。これから先は、より「人々の暮らしや立ち居振る舞い」に対する感覚を研ぎ澄まし、竹島(独島)や対岸の日本/韓国をよりくっきりと浮かび上がらせる工夫が必要になりそうだ。福岡出身の田代にとって、韓国との距離感はかなり近いものであるはずだ。そのあたりを意識して、もっと強く打ち出していってほしい。
2017/09/08(金)(飯沢耕太郎)
田淵三菜「FOREST」
会期:2017/09/08~2017/09/26
Bギャラリー[東京都]
田淵三菜は、2016年に第2回入江泰吉記念写真賞を受賞し、写真集『into the forest』を刊行した。2012年、23歳の時から北軽井沢の森の中の山小屋に移り住み、1年間かけて、ひと月ごとに驚くべき勢いで変化していく森の姿を捉えきったそのシリーズは、新たな自然写真の可能性を指し示す鮮やかなデビュー作となった。今回の新宿・Bギャラリーでの展示では、森の落ち葉をそのままガラスケースに詰め込んだインスタレーションなどとともに、「それ以後」の彼女の写真の展開を見ることができた。
田淵はいまもなお北軽井沢で暮らしているが、その生活のかたちは少しずつ変わりつつある。2年前からは、難病のパーキンソン病を患っている父も同居するようになった。そのためもあって、森そのものよりはその周辺にカメラを向けることが多くなってきている。今回の「FOREST」のシリーズは、北軽井沢の住人たちや訪ねてきた友人たち、父が同居するために改装工事が進行中の山小屋、森で出会った犬たちなどが前面に出ることで、圧倒的な自然と向き合っていた前作とは異なる、「ひと」の気配が濃厚なシリーズとして成立していた。
その変化を、むしろポジティブに捉えるべきだろう。彼女にとっての「森の生活」がこれから先どんなふうになっていくのかはわからないが、山小屋という拠点を中心として、さまざまな生き物たちが織りなす小宇宙を、あくまでも等身大の視点で見つめ続けるという視点は揺るぎのないものがある。前作と今回の展示とを合体した、もう一回り大きな「FOREST」のシリーズも視野に入ってきそうな気もする。
2017/09/08(金)(飯沢耕太郎)
六甲ミーツ・アート 芸術散歩2017
会期:2017/09/09~2017/11/23
神戸市の六甲山上に点在するさまざまな施設を会場に行なわれる芸術祭「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」(以下、「六甲~」)。その名の通り、散歩感覚で山上を歩き、芸術作品との触れ合いながら、六甲山の豊かな自然環境や観光資源を楽しめるのが大きな魅力だ。今年は39組のアーティストが参加し、例年のごとく多彩な展示が行なわれている。筆者のおすすめは、六甲山カンツリーハウスの川島小鳥、六甲高山植物園の豊福亮と楢木野淑子、六甲オルゴールミュージアムの奥中章人と田中千紘、六甲山ホテルの川田知志である。一方、今年の展示は全体的に小ぶりで、やや地味な印象。「六甲~」自体も2010年の第1回から8年目を迎えたこともあり、そろそろマンネリ回避策を考えねばならない。具体的には、これまでの総括と、新たなテーマ設定、目標設定だろう。それと関係しているのかもしれないが、第1回から企画制作を担当してきた「箱根彫刻の森美術館」の名が今回から消えていた。筆者は、この芸術祭のクオリティーが保たれてきたのは、彼ら美術のプロたちの存在が大きかったと思っている。今後の「六甲~」はどこへ向かうのだろう。若干の不安を覚えたのもまた事実である。
2017/09/08(金)(小吹隆文)
志賀理江子 ブラインドデート
会期:2017/06/10~2017/09/03
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館[香川県]
闇の中、数秒おきに写真のスライドプロジェクションが切り替わる。呪術的、内臓的で、禍々しくも聖なるイメージ。その残像。血管かへその緒のように垂れ下がり絡まるコード。光の明滅、一定のリズムでスライドの切り替わるカシャッという音がトランスさえ誘う。時折、投影される強烈な赤い光が壁を赤く染め上げ、私は「影」として亡霊たちの世界に取り込まれる。ここは亡霊が徘徊する異界であり、未だ生まれざる者たちが宿る胎内だ。そして、写真の中で生を止められた者たちの無数の眼差しが、死者たちの永遠に見開かれた眼が、こちらをじっと見つめ返している。私たちは、イメージを安全に眺める主体ではもはやいられない。「写真を見る」という視覚経験を超えて、身体感覚や本能的な恐怖すら感じさせる、そうした直感を展示から受けた。
個展会場は2つの空間に分かれており、片方では、約20台のスライドプロジェクターから、近作の膨大な写真群が壁に投影されている。その多くが《弔い》と冠されているように、死と儀礼、供物、自然の中での霊的な交感、何かの気配の出現、といった印象を与えるイメージが多い。もう片方の空間では、2009年にバンコクでバイクに乗る恋人たちを撮影したシリーズ《ブラインドデート》が、大判のモノクロプリントで展示されている。写真は、手前に据えられたスタンドライトに照らされ、光と闇のコントラストを強調する。この《ブラインドデート》は、志賀がバンコクでの滞在制作中、二人乗りのバイクの後部座席から自分に投げかけられる視線に関心を持ち、「その眼差しをカメラで集めてみたい」と思ったことが端緒になっている。バイクに同乗するカップルに声をかけて撮影を進めるうち、「バイクに乗った恋人たちが背後から目隠しをして走り続け、心中した」という事件を妄想し、「恋人の手で後ろから目隠しをされてバイクを走らせる男性」のポートレイトが撮影された。
志賀にとってカメラは異界と交感するための装置であり、イメージは異界への通路となる。では、収集された眼差しは誰の視線か?「バイクに同乗して心中する恋人」という設定は、「これから死者の仲間入りをする者」という想像をたやすく誘導する。いや、そうした「設定」を解除しても、写真の中の眼差しとは常に「いつかは死ぬ者、潜在的な死者の視線」であり、あるいは「既に肉体的にはこの世に存在しないのに、執拗に眼差しを向け続ける眼」である。会場から出口に至る細長い通路には、「もし宗教や葬式がなかったとしたら、大切な人をどのように弔いますか?」という志賀の問いに対して、寄せられたさまざまな回答が壁に提示されていた。「弔い」すなわち死者の埋葬時には、通常、死者の眼は閉じられる。しかし、「永遠に見開かれたままの死者の眼」という戦慄的な矛盾が写真の根底にはあり、「弔い」とは記憶の中に安定した座を与えることではなく、その眼差しとの(永遠に交わらない)交感の内に自身の身を置き続ける過酷な所作を言うのではないか。
2017/09/02(土)(高嶋慈)