artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

あゝ新宿 アングラ×ストリート×ジャズ展

会期:2017/06/03~2017/07/02

新宿高野本店ビル6階[東京都]

新宿高野といえば、タカノフルーツパーラーを擁する老舗の果物専門店だが、会場となった6階は美術館でもギャラリーでもない単なる空きフロアらしく、安普請の仮設壁が展示内容にマッチしている。同展は、60-70年代の新宿を舞台にしたアングラ劇場やストリート文化を捉えた井出情児の写真を中心に、演劇のポスターやチラシも展示。新宿花園神社に赤テントを張った唐十郎率いる状況劇場、清水邦夫と蜷川幸雄の現代人劇場、鈴木忠志の早稲田小劇場、寺山修司率いる天井桟敷。ピットインの山下洋輔、横尾忠則の姿もある。演劇が多いのは、早稲田大学演劇博物館の主催だからだ。できたばかりの新宿西口広場に集う若者を捉えた写真もある。そんな若者たちを排除するため、姑息なオトナたちは「広場」を「通路」と呼び変えて、立ち止まったりたむろしたりすることを禁じてしまった。右と左、敵と味方、オトナと若者といったように社会がいまよりわかりやすかった時代だ。かろうじてぼくも知ってる新宿のなつかしい表情に出会えた。

2017/06/08(木)(村田真)

笹岡啓子「PARK CITY」

会期:2017/06/06~2017/06/24

The Third Gallery Aya[大阪府]

笹岡啓子は2009年に写真集『PARK CITY』(インスクリプト)を刊行した。彼女の故郷である広島の平和記念公園とその周辺を、6×6判のモノクロームで撮影した写真をまとめたものである。だが広島での撮影は、すでに2001年頃から始まっており、写真集刊行後も断続的に続けられていた。今回のThe Third Gallery Ayaでの展示では、それらを現時点で振り返って再構築していた。
会場にはモノクローム作品だけでなく、近作のカラー写真も並んでいる。魂がフワフワと漂うような浮遊感を増したそれらの写真群も興味深かったのだが、今回の展示で最も力が入っていたのは、壁面に投影されていたスライドショーではないかと思う。そのなかには「作品」として制作されたものだけでなく、彼女が所属するphotographers’ galleryが刊行した『photographers’ gallery press no.12』の広島特集「爆心地の写真 1945-1952」(2014)のための調査の時に撮影されたスナップや、自分や友人たちの子供時代のアルバム写真なども含まれている。つまり、笹岡自身と広島との重層的な関わりのあり方を再検証しようという試みであり、そこではスライドショーという形式がとてもうまく機能していたと思う。おそらく『PARK CITY』というシリーズ自体、完結することなく続いていくことを前提としているのだろう。展示だけではなく、写真集としても、さらに新たなかたちでまとめ直すことができるのではないだろうか。次の展開が楽しみだ。

2017/06/07(水)(飯沢耕太郎)

笹岡啓子「PARK CITY」

会期:2017/06/06~2017/06/24

The Third Gallery Aya[大阪府]

笹岡啓子が2001年から撮り続けている《PARK CITY》は、生まれ育った広島を「公園都市」と見なし、平和記念公園とその周辺を撮影した写真作品である。2009年には写真集『PARK CITY』が刊行された。本個展は3つの構成要素から成る。1)『PARK CITY』所収のモノクロ、正方形フォーマットの写真(夜間に公園や市街を撮影した、ほぼ真っ黒な画面)。2)カラー、横長フォーマットの近作(公園や原爆ドーム周辺で人物を撮影。何かを眺める人々の後ろ姿を撮影した写真と、長時間露光によって亡霊のように希薄化した人影を写し込んだ写真から成る)。3)スライドプロジェクション(10年以上にわたる本シリーズを再編したものに加え、自身の幼少期の家族写真、被爆以前/被爆直後の記録写真が混ざり、個人的な記憶と大文字の歴史、作家としての表現とオフィシャルな記録が幾重にも積層したイメージの磁場が出現する)。

本個展は、1)写真集『PARK CITY』所収の写真と、2)近作のカラー写真とのあいだの断絶、もしくは移行を非常に感じさせるものだった。それぞれを仔細に見ていこう。
1)夜間に撮影された平和記念公園や市街地の写真では、ポツンと佇む外灯や遠くの看板の灯りが孤独な星のように闇に浮かぶばかりで、真っ黒な画面にはほとんど何も写らない。その「写らなさ」の端的な提示は、「美しく整備された公園にカメラを向けても、原爆の惨禍という過去は写らない」という諦念である。あるいは、それらの写真では、原爆ドームや平和記念資料館、慰霊碑や祈念像といった「記憶」の代理=表象を担う装置が闇の中に没し、「見えなくなっている」「眼差しの対象として現前しない」ことを考えれば、名づけようのないものを視覚装置や言語化によって管理し、ナショナルな共同体として統合しようとする「可視性の政治」への抵抗として読み取れるだろう。


© Keiko Sasaoka《PARK CITY》


一方、対照的に3)スライドプロジェクションには、露出オーバーで画面がほぼ真っ白に飛んでしまい、昼間の公園内を歩く人々が眩い光の中に溶解していくかのような写真が何枚も登場する。ホワイトアウト寸前のそれらは「原爆の炸裂の瞬間」を想起させ、「炸裂の瞬間を写した写真」という不可視へのファンタスム、不可能がゆえの強い渇望を提示する。


© Keiko Sasaoka《PARK CITY》


「過去」を写そうとする欲望を拒絶する闇の黒さから、「炸裂の瞬間を写した写真」というありえないイメージの捏造へ。『PARK CITY』刊行後の近年の笹岡は、すでに過ぎ去った「過去」を写すことの不可能性から、「原爆の炸裂の瞬間を写した写真は、記録したフィルム自体が閃光や熱線で消滅するため、物理的に存在しない」というもうひとつの不可視性へと移行しているのではないか。
そして、あらゆるイメージを塗り込める「黒」と、あらゆるイメージを消し去っていく「白」との両極のあいだで、すなわち「ヒロシマ」の表象をめぐる2つの不可視性のあいだで浮遊するのが、「亡霊」の群れだ。平和記念資料館の展示室内部を撮影した写真群では、明るい照明に照らされた展示物や解説パネルの前で、観客の姿は暗く沈み、固有の顔貌を失い、黒い影の群れへと変貌する。(ここでは、二次的な記憶媒体である展示パネルこそが亡霊を生み出す、という逆転が起きている)。また、2)原爆ドーム周辺で撮られた近作のカラー写真では、長時間露光撮影により、観光客や通行人の姿は像として固定されず、陽炎のように希薄化した亡霊となって漂う。公園都市広島にカメラを向ければ、「亡霊」が写ってしまう(美しく整備されたここは、「爆心地」近くだったのだ)。
あるいはさらに想像が許されるならば、揮発した蒸気のように漂う人影は、「原爆の炸裂の瞬間に蒸発した人間」のありえないイメージをも想起させる。ここには、観光客で溢れる現在の広島の「日常」風景の中に、(炸裂の瞬間という記録不可能な)「過去」を呼び込もうとする笹岡の強い意志が感じられ、「現在」と「かつてこの場所で起きた過去」が写真の中で同時に生起する。それは、時制が崩壊し融合し破綻した、狂気に近い戦慄的なイメージだ。


© Keiko Sasaoka《PARK CITY》


原爆の惨禍という過去の「写らなさ」の諦念、記憶を代理=表象するシステムへの抵抗、「炸裂の瞬間」というもうひとつの不可視性、(写るはずのない)「亡霊」の徘徊。「広島」とは現実の都市の名である以上に、「写真、表象、記憶」をめぐる幾重もの係争が絡み合う場の名前でもある。では、「過去」の写らなさの端的な提示を超えて、「現在」の中に「過去」を憑依させ、フィクショナルなイメージとして捏造する、ある種の暴力的な簒奪に笹岡の表現を向かわせるものは何か?

ここで、3)のプロジェクションには、笹岡が公園周辺で撮ったスナップショットに加え、さまざまなリソースの写真を入れ子状に写した写真が多いことに注目したい。そこでは、「写真に撮られた広島」の複数性とその時間的厚みが形成される。広島という都市が抱える公園は、幼少期の家族写真が示すように、休日に家族で訪れる個人的な思い出の場所であり、同時に人類史的な災厄の場でもある。被爆前の街並みや建設中のドームの写真と、被爆直後に撮られた写真、復興が進んだ記念式典の記録写真。それらの膨大な写真群は、展示パネルとして、調査中の資料として、すなわち「人々の眼差しを受け止める表面」として写される。そして、現在の公園や記念館の展示室内に設置された写真パネルに視線を注ぐ人々の後ろ姿に、笹岡は、繰り返し、執拗に、痛みのようにカメラを向ける。大きく引き伸ばされ、場合によってはトリミングを施されてパネルに仕立てられた写真は、一部がフレームアウトして分断され、人々の頭や肩に遮られてよく見えない。ここで笹岡のカメラは、展示という近代的制度が記憶の表象をめぐるポリティクスの場であること、しかしそこには部分的な欠損や見えづらさが含まれること、そして元の写真が撮影された時間(被爆直後)/パネルが製作された時間(記憶の管理と制度化=忘却の始まり)/現在、という時間の多層性を鋭く照射する。
1978年生まれという、「1945年8月6日」の直接的な経験からは圧倒的に隔てられた笹岡にとっての「ヒロシマ」の経験とは、「撮られた写真を見るという経験」としてすでに開始されている。従って「そこ」へ到達するには、二重、三重に隔てられた時間の断絶の層を貫通するように、「見えづらさ」の困難を抱え込みながらも見ること、繰り返し眼差しを向けるしかないこと、記憶の制度化のポリティクスも含めて眼差すことを、何度も確かめて肯定するようにシャッターを切るのだ。人々の眼差しの後ろ姿に、自身の代行的反復としての姿を仮託しつつ、冷静な距離を取りながら。


© Keiko Sasaoka《PARK CITY》


2017/06/06(火)(高嶋慈)

第11回 shiseido art egg:吉田志穂展〈写真〉

会期:2017/06/02~2017/06/25

資生堂ギャラリー[東京都]

新進アーティストに展示の機会を与える「シセイドウアートエッグ」の企画では、ほぼ毎回、写真を使う作家が選出されている。今回は2014年の第11回1_WALL展でグランプリを受賞した吉田志穂が、新作を含む作品を発表した(審査員は岩渕貞哉、中村竜治、宮永愛子)。
吉田は撮影場所をあらかじめ画像検索し、地図や航空写真などで確認したうえで決定する。実際にその場所で撮影された写真をプリントに焼き付け、すでに持っていた視覚情報や実際に見た風景と比較しながら、「理想的なイメージと目の前の風景を組み合わせる」ことを目指していく。実際には、引伸ばし機の投影像の複写、画像を取り込んだパソコンのモニターの複写などを繰り返し行なうことで、現実とも非現実とも見分けがつきがたい、曖昧だが奇妙にリアルなイメージが生み出されてくる。「測量|山」のシリーズでは、それらを大小のプリントに焼き付けて壁面、床などに展示したり、スライド映写機で投影したりして、会場を構成していた。
このようなデジタル画像とアナログ画像の変換・操作を積み重ねることで「新しい風景」を創出していくような志向性は、もはやありがちなものになってきている。吉田の場合も、それほど新鮮な印象は与えられなかった。だが、新作の《砂の下の鯨》には、違った方向へと出ていこうという意欲を感じた。こちらは「鯨が座礁し、それを骨格標本にするために一時的にその囲いの中に埋められている」という場所を撮影した写真を下敷きにして、インスタレーションを試みている。手法的には前作と同じなのだが、「鯨の腹部の模様」を思わせる砂紋を強調することで、観客のイマジネーションをより強く喚起する物語性が組み込まれた。この方向性をさらに進めていくことで、独自の「語り口」を見出していくことができるのではないだろうか。

2017/06/05(月)(飯沢耕太郎)

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異郷のモダニズム─満洲写真全史─

会期:2017/04/29~2017/06/25

名古屋市美術館[愛知県]

1920年代の櫻井一郎は、伊東忠太のアジアへの冒険の延長と言うべき写真である。そして1920年代末の淵上白陽による写真は、他者をロマン化する絵画主義で美しい。が、1930年代にこうした傾向が否定され、官僚主導によるステレオタイプ化したカッコよく、理想郷的なプロパガンダの写真に変化する。かつて政治が視覚表現を支配した歴史を確認できる内容だった。

2017/06/04(日)(五十嵐太郎)

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