artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

showcase #6 “引用の物語 Storytelling”

会期:2017/05/05~2017/05/28

eN arts[京都府]

「引用の物語」をテーマに、金サジと三田健志を紹介する2人展。金サジは、韓国、日本、中国など、複数の地域の神話や民話、民俗信仰を思わせるモチーフを散りばめた、汎東洋的で混淆的なイメージを、西洋の宗教画を思わせる荘厳な図像として結晶化させる。一方、三田の作品は、一見すると美しい壮大な風景写真に見えるが、遠近感が奇妙に歪み、めくれた紙の端が画面の隅に写り込んでいる。これは、画像共有サイトでタグを辿りながら風景画像を入手し、プリントアウトした紙を折り曲げて凸凹を付け、半立体的に構築した「風景」の中に、旅行者や冒険家の画像を挿入して、「旅する風景」として再撮影したものだ。また、画面下端には、その画像に行き着くまでに辿ったタグの羅列が印刷されており、タグを「羅針盤」のようにしてネット上の膨大な画像の海を旅する行為が「旅人」になぞらえて提示されている。本展では、金と三田の両者の作品の共通性として、「引用を介して別の物語を語る」という手法が抽出されている。
金サジの《物語》シリーズについては、過去の本欄でこれまで数回にわたり取り上げてきた。今回の展示では、作品の準備段階として日常的に撮りためているというスナップ写真を合わせて展示する試みに加え、《物語》シリーズの新たな方向性を見ることができた。日々のスナップ写真で金がカメラを向けるのは、老いた身体(の一部)、生まれたばかりのヒナ、猟の獲物の血で赤く染まった川、切り花が漂う川面、供えられたまるごと一頭の豚、月蝕のようにおぼろげに霞む月、妊婦の膨らんだ腹、赤い火で逆光に黒く写った人体など、老いと誕生、死と生、そして儀式や供物といったイメージを強く感じさせる。これらを通して《物語》の作品を見ると、生と死はつながり合っており、その循環を円滑に行なう儀式を司るためにシャーマン的な存在がいる、ということが半ば直感的に了解される。
また、今回の新作では、異形の姿を露出させた大樹の根元に座る、妊娠した女性の頭上に、2匹の蝉が飛んでいる。精霊のような存在の飛来、妊娠、そして青い衣は、「受胎告知」の東洋版を思わせる。「2匹」の精霊が彼女の体内に入って生まれたのが、別の作品で提示された「陰陽のような2対の小さな胚」と「双子の少女」だろう。これまで断片的なイメージとして提示されてきた《物語》シリーズに、時系列的な展開が見え始めた。生と死、男性と女性、人間と獣といった境界が融合し、複数の文化が有機的に混じり合って単一の起源から浮遊した「物語」が完結する日を楽しみに待ちたい。

2017/05/20(土)(高嶋慈)

ダヤニータ・シン「インドの大きな家の美術館」

会期:2017/05/20~2017/07/17

東京都写真美術館2階展示室[東京都]

インド・ニューデリー出身の女性写真家、ダヤニータ・シンの《インドの大きな美術館(Museum of Bhavan)》の展示は、とても興味深いインスタレーションの試みだった。会場には木で組み上げられた枠組みが設置されており、それらは自由に折り畳んだり開いたりできる。枠にはフレーム入りの写真を展示ができるのだが、それらも入れ替えが可能だ。つまりこの「美術館」は、作家自身をキュレーターとして、たとえ会期中でも組み替えが可能な、可動式のプライヴェート・ミュージアムなのだ。ダヤニータ・シンは、さまざまな「書類」をモチーフにした《ファイル・ミュージアム》(2012)を皮切りに、このシリーズを制作し始めたのだが、その発想のきっかけになったのは、2011年に京都を訪れたとき、襖や障子で間取りを変えることができる日本旅館に泊まったことだったという。いかにも日本人が思いつきそうなアイディアを、インド人の彼女が形にしていったというのが面白い。
実際に「美術館」に展示されている中には、これまで彼女が撮影してきた写真シリーズの作品も含まれている。「ユーナック」(去勢された男性)のモナを撮影した「マイセルフ・モナ・アハメド」(1989~2000)、アナンダマイ・マーの僧院の少女たちのポートレート「私としての私」(1999)などの写真が、「美術館」のなかに組み入れられ、新たな生を得て再構築される。近作になるに従って、その構造はより飛躍の多い、融通無碍なものとなり、ドキュメンタリーとフィクションが入り混じった独特の雰囲気を発するようになる。写真を「見せる」ことの可能性を、大きく更新する意欲的な作品といえるだろう。
なお本展と同時開催で、同美術館のコレクション展「いま、ここにいる──平成をスクロールする 春期」展がスタートした。1990年代以降の日本の写真表現を、収蔵作品によって辿り直す企画で、夏期の「コミュニケーションと孤独」、秋期の「シンクロニシティ」と続く。個展の集合体というやり方をとったことで、すっきりとした見やすい展示になっていた。全部見終わったときに、どんな眺めが見えてくるのかを確認したい。

2017/05/19(金)(飯沢耕太郎)

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異郷のモダニズム─満洲写真全史─

会期:2017/04/29~2017/06/25

名古屋市美術館[愛知県]

1932(昭和7)年に中国東北部に建国された満洲国については、どうしても負のイメージがまつわり付いている。「五族協和」や「王道楽土」といった耳障りのいいスローガンを掲げていたにもかかわらず、実質的には日本の傀儡国家であったことは明らかだからだ。だがその満洲の地に、独特の色合いを帯びた写真文化が花開いていたことは、それほど知られていないのではないだろうか。今回、名古屋市美術館で開催された「異郷のモダニズム─満洲写真全史─」展は、まさにその「満洲写真」研究の集大成というべき展覧会である。
じつは「異郷のモダニズム」と題する展覧会は、1994年に同美術館ですでに開催されている。そのときには、1928年に南満州鉄道(満鉄)弘報課嘱託として渡満し、1932年に「満洲写真作家協会」を組織した淵上白陽を中心とした、馬場八潮、米城善右衛門、土肥雄二、岡田中治らの、ピクトリアリズムとリアリズムを融合した作品群が中心に展示されていた。だが今回は、その前後の時期の写真も取り上げられている。
具体的には宮城県出身の櫻井一郎が、自ら撮影した写真印画を頒布する目的で1926年に組織した「亜東印画協会」の活動、さらにアメリカの戦後対日賠償に関する調査団(「ポーレー・ミッション」)の報告書に掲載された、満洲国崩壊直後の工場、工業施設の記録写真がそうである。これらの写真群によって、「満洲写真」はさらなる厚みと奥行きを備えて立ち上がってきたといえるだろう。約450点(展示替えの分を含めると約600点)の写真が放つ熱量はまさに圧倒的なものだった。長年にわたって調査・研究を進めてきた同館学芸員の竹葉丈の力業に敬意を表したい。
なお、展覧会に合わせて、貴重な図版や資料を多数収録した同名の写真集(カタログ)が国書刊行会から出版されている。

2017/05/18(木)(飯沢耕太郎)

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森山大道「Pretty Woman & Pantomime」

会期:2017/05/02~2017/06/02

ビジュアルアーツギャラリー[大阪府]

ビジュアルアーツギャラリーは、大阪市北区のビジュアルアーツ専門学校・大阪のなかにある写真作品の専門ギャラリー。1999年から、ほぼ月に一度のペースで企画展を開催しており、今回の「Pretty Woman & Pantomime」展で179回目になる。毎回、意欲的なラインナップを組んでいるのだが、今回の森山大道の展示は特に見応えがあった。
最初のパートに並んでいるのは「ぼくが25歳でフリーの写真家になって一等最初に」撮影した「Pantomime」のシリーズ。近所の産科医院からホルマリン漬けの胎児の標本を借り受けて撮影し、『現代の眼』(1965年2月号)に「無言劇」というタイトルで発表した、まさに彼の処女作というべき作品である。今回の展示には未発表だったカットも含まれており、あらためて森山の原風景というべき謎めいた写真群が、どのように形成されていったのかを辿り直すことができた。
さらに「昨年の春ごろから今年の1月まで、主に東京の路上でスナップした」写真を再構成した「Pretty Woman」のシリーズがそれに続く。こちらはカラー写真が中心で、路上を疾走してイメージを捕獲していく森山の能力が、デジタルカメラを使うことで、衰えるどころか、さらに高まっていることが示されていた。どちらかといえば、モノよりも人間のほうに被写体としての比重がかかっており、2020年の東京オリンピックに向けて、増殖する腫瘍のようにグロテスクに変容しつつある東京の空気感が、見事にすくい取られていた。まさに「処女作と最新作」の2本立て興行であり、現役の写真家による、このようなヴィヴィッドな展示を直接見ることは、写真学科の学生たちにとっても大きな刺激になるのではないだろうか。

2017/05/17(水)(飯沢耕太郎)

石川賢治「月光浴 青い星」

会期:2017/04/27~2017/06/19

キヤノンギャラリーS[東京都]

石川賢治は1984年に広告写真の仕事で訪れたハワイ・カウアイ島で、明るい満月の夜に空を飛ぶ鳥を見た。それを何気なく撮影したことから、33年にわたる「月光浴」の旅が始まる。大きな反響を呼んだ最初の写真集『月光浴』(小学館、1990)で、彼の月の夜の写真の魅力にはまった人も多いのではないだろうか。今回のキヤノンギャラリーSでの展示は、「パラオの海底からチョモランマまで」、世界中で撮影された同シリーズの集大成といえるもので、デジタルカメラによる新作も含めて、約90点の作品が闇の中で発光するように壁に掛けられていた。
石川の写真の最大の魅力は、青という色のヴァリエーションの豊かさではないだろうか。むろん、実際に月の光を浴びても、写真に写り込んでいる青い色を直接的に体験できるわけではない。それはむしろ、写真という媒体に変換することで、初めてあらわれてくる色である。とはいえ、その深みのある色相に包み込まれていると、古来、われわれが月に寄せてきたさまざまな感情が、そこに集約されて形を取っているという、強い思いが湧き上がってくる。石川の「月光浴」が、彼の個人的な体験を超えた普遍的な力を備えているのはそのためだろう。個人的には、月の光を浴びてひそやかに息づいている、花やキノコたちにうっとりとさせられた。それらはすべて魔術的な次元に移行していて、昼とはまったく違う顔つきを見せているのだ。月光の下での植物や菌類の美しさ、艶かしさはただ事ではない。
なお展覧会に合わせて、小学館から同名の写真集が刊行されている。収録されている作品の数が展示よりも増えているので、より厚みのある「月光浴」の世界を堪能することができる。

2017/05/16(火)(飯沢耕太郎)