artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
牛久保賢二 写真展
会期:2011/10/07~2011/10/17
gallery Main[京都府]
平安神宮で、鴨川で、甲子園球場で、お台場で、顔前に鏡をかざした女子高生たちの姿を撮影した写真作品がズラリ。どの作品も、鏡の反射で顔だけが見えない。とてもシンプルなのに、いや、シンプルだからこそ、最高に格好いい作品だ。この手の表現を前にあれこれ言うのは野暮というもの。ひたすら「カッコいい!」と連呼することで、作家へのリスペクトとしたい。
2011/10/11(火)(小吹隆文)
中野愛子「Season’s Greetings」
会期:2011/09/30~2011/10/12
GALLERY SPEAK FOR[東京都]
中野愛子は多摩美術大学絵画科卒業後、1996年の第8回写真「ひとつぼ」展でグランプリを受賞し、写真家として本格的に活動しはじめた。いわゆる「女の子写真ブーム」の代表的な作家のひとりだが、それから15年あまりが過ぎ、同世代の写真家たちの多くが写真家として仕事を続けられなくなってきているなかで、粘り強く、コンスタントに作品を発表し続けてきた。今回の「Season’s Greetings」展を見ても、被写体を軽やかに捕獲していく、弾むようなカメラワークが健在であるだけでなく、モデルとのコミュニケーションのとり方がスムーズになり、写真家としての経験に裏づけられた安定した水準の作品を生み出せるようになってきている。
今回のシリーズは、ヘアメイクアップアーティストの貴島タカヤとの共作で、有名・無名のモデルたちを「月に一回のペースでその月のイメージや記念日をテーマに撮影」したものだ。歌手、女優、タレントから、貴島本人やその祖母まで、それぞれが、かなり演劇的な役割をこなすように場面設定されているし、実際に過剰なメイクアップや大げさな表情の写真も多い。だが、これは中野の写真家としての持ち味といえそうだが、非日常的な状況でもどこか当たり前に見せてしまうような平静さがある。演出的な要素が強調されている写真より、むしろさりげない(あるいは、さりげなさを装った)スナップに可能性がありそうな気もする。
2011/10/08(土)(飯沢耕太郎)
畠山直哉「ナチュラル・ストーリーズ」
会期:2011/10/01~2011/12/04
東京都写真美術館 2階展示室[東京都]
この展覧会はすぐに見なければと思っていたのだが、大阪、沖縄と移動していたのでオープニングには間に合わなかった。だが、慌ただしいなかで見るよりもじっくりと写真の前で過ごすことができてよかった。畠山の作品は、写真から発するメッセージをじっくりと受けとめ、咀嚼し、思考し、行動することを要求しているからだ。
たしかに実質的なデビュー作である、石灰岩採掘場を撮影した「ライム・ヒルズ」以来、畠山の関心は「自然と人間との関わり」に向けられてきた。今回の展示を見ると、それが、即物的な描写からゆるやかな「ストーリー」を持ち、見る者の記憶や感情の奥底を揺さぶるものへと、少しずつ生成・変化していったことがわかる。「タイトルなし(もうひとつの山)」(2005年)、「テリル」(2009~10年)、「アトモス」(2003年)、「シエル・トンベ」(2006~08年)、「ヴェストファーレン炭鉱I/IIアーレン」(2003~04年)、「ライム・ヒルズ」(1986~90年)、「陸前高田」(2011年)、「気仙川」(2002~10年)、「ブラスト」(1995年~)、「ア・バード/ブラスト#130」(2006年)の10部構成、100点を超える作品の展示は、文字通りこのテーマの集大成といってよいだろう。
個々のシリーズについて、特に1990年代の「UNDERGROUND」の発展形というべきパリ郊外、ヴァンセンヌの森の天井が落下した石灰岩採掘場を撮影した「シエル・トンベ」などについては詳しく論じたい誘惑に駆られるのだが、あまり紙数の余裕がない。そこで今回の展示において、畠山にとっても観客にとっても大きな意味を持つであろう「陸前高田」と「気仙川」についてだけ書いておきたい。
畠山が岩手県陸前高田市の出身であり、今回の震災後の津波によって母上を亡くされたということを知る者は、あえてこの時期に震災後に撮影された風景写真60点あまりを展示したことの意味について、自問自答しないわけにはいかなくなる。このことについては彼自身が、『読売新聞』2011年6月10日付けの記事や『アサヒカメラ』2011年9月号に寄せたエッセイで「誰かに見てもらいたいということよりも、誰かを超えた何者かに、この出来事の全体を報告したくて撮っている」と、これ以上ないほど明確に述べている。それに何か付け加える必要もないのではないか。「陸前高田」の写真を実際に目にして、この言葉の揺るぎのないリアリティがひしひしと伝わってきた。
驚き、かつ感動したのは、「陸前高田」と隣り合うスペースに、スライドショーのかたちで上映されていた「気仙川」のシリーズである。畠山の実家は市内を流れるこの川の畔にあった。写真に写っているのは2002~10年に折りに触れて撮影された、何気ない街の光景、夏祭り、花火、河辺にたたずむ人々の姿などだ。いうまでもなく、永遠にゆったりと流れ、そこに留まっていくはずの故郷の時間と空間は、震災によってずたずたに寸断され、その多くは文字通り消失した。そのことを、畠山は二つのシリーズを対置することで、静かに、だがこれ以上ないほどの説得力で語りかけてくる。あらわれては消えていく画像のなかに、海に向けて小さなカメラを構える老婦人を、横向きで撮影した一枚があった。その時、何の根拠もないのだが、この人は畠山の母上ではないかと思った。
2011/10/07(金)(飯沢耕太郎)
進藤環「蒔いた種を探す」
会期:2011/09/23~2011/10/16
hpgrp GALLERY 東京[東京都]
進藤環は武蔵野美術大学大学院油絵コースを修了後、東京綜合写真専門学校で写真を学び直した。2009年の新宿眼科画廊での個展「動く山」の頃から、各地で撮影した植物群の写真をつなぎあわせ、実際にはありえない奇妙な風景をつくり出すようになった。植物、岩、大地、水、空が不規則に融合し、微妙にメタモルフォーゼしていく色相に包み込まれたその場面は、天国とも地獄ともつかない独特の触感を備えている。
このような画面構築の操作は、普通はパソコン上でフォトショップなどのソフトを用いて行なうのだが、進藤はあえて鋏と糊を使って切り貼りする古典的なコラージュの手法にこだわっている。そうやって出来上がった写真を、あらためて複写して大きく引き伸ばすのだ。少しずつ画面が変容しながら完成に近づいていく、その制作のプロセスそのものが、彼女にとってはとても大事なものなのだろう。同時期にルミネ新宿で開催された「LUMINE meets ART」(9月27日~10月31日)の出品作に寄せたコメントで「室内にいるのに、ふっと外に、森にいく。異空間につながる。その掛け渡しができればなと思います」と書いている。たしかに、その「掛け渡し」の意識が、コラージュの継ぎ目のあたりから漂い出てきているように感じた。
2011/10/05(水)(飯沢耕太郎)
畠山直哉 展 Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ
会期:2011/10/01~2011/12/04
東京都写真美術館[東京都]
自然への人工的な介入による崇高な風景(「ブラスト」や「テリル」のシリーズなど)がメインだが、今回注目された彼の故郷である陸前高田は、逆に自然が人工的な環境に暴力的に介入した風景といえるだろう。陸前高田の3.11以前と以後が対峙する一角は、スペクタクル化を避けるべく、小さな写真となっていた。筆者が被災地を歩いた経験から、瓦礫の片付け具合を見ると、それぞれの写真がいつ頃に撮影されたものか大体わかってしまうことに気づいた。
2011/10/02(日)(五十嵐太郎)