artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
中山岩太 安井仲治 福原信三 福原路草─ペンタックスギャラリー旧蔵品展─
会期:2011/11/29~2011/12/25
JCIIフォトサロン/JCIIクラブ25[東京都]
東京・西麻布にペンタックスギャラリーが開設されたのは1967年。翌68年に戦前から写真家、編集者として活動してきた鈴木八郎が館長となり、写真展の開催とともに、写真機材、プリントなども収集・展示し始めた。ペンタックスギャラリーは1981年に新宿西口に移転し、機材関係はペンタックスカメラ博物館として、1993年から栃木県益子町の旭光学工業益子事業所内で公開されてきた。ところが残念なことに、同カメラ博物館は2009年に閉じられることになる。その所蔵品を引き継いだのが日本カメラ博物館で、隣接するJCIIフォトサロンとJCIIクラブ25での今回の展覧会では、そのうち中山岩太、安井仲治、福原信三、福原路草の1930~40年代の写真印画を中心に展示していた。ペンタックスギャラリーの旧蔵作品のレベルが相当に高いものであることは知っていたが、実際に見て感動した。中山岩太の全紙サイズの《上海の女》(1936頃)、《イーブ》(1940)など、まさに美術館のコレクション並み、いやそれ以上の名品といえる。しかも中山の《卵と手》(1935~45頃)、安井仲治の《魚》(1935頃)、《絣》(1939)など、これまでほとんど展覧会に出品されてこなかった作品も含まれている。今回公開された作品は、同コレクションのほんの一部であり、ぜひその全貌を一堂に会する機会を持っていただきたいものだ。鈴木八郎のような目利きがいれば、一企業の収集活動が日本の写真文化の発展に大きく寄与できることを、あらためて教えられた展覧会だった。
2011/12/13(火)(飯沢耕太郎)
ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト─写真、絵画、グラフィックアート─
会期:2011/12/03~2012/01/29
神奈川県立近代美術館 葉山[神奈川県]
画家、グラフィックアーティストとして、衰えない人気を保ち続けているベン・シャーンが写真家でもあったということは、あまり知られていないのではないだろうか。彼は1929年にニューヨークで5歳年下の写真家、ウォーカー・エヴァンズと出会い、写真という表現媒体に興味を持つようになる。一時は彼とアトリエを共有し、ニューヨークのダウンタウンの人々をともにスナップ撮影し始めた。さらに1935~38年にはやはりエヴァンズとともに、のちに農村安定局(FSA)と改称する再定住局(RA)の歴史部門のスタッフとなり、アメリカ中西部、南部の疲弊した農村地帯を取材した。この時期に彼が撮影した写真は、現在確認されているだけでも1,400枚以上に及ぶ。その後も、シャーンは折に触れて写真を撮影し続けた。1960年のアジア旅行の途中で日本に滞在したときにも、京都、箱根などでさかんにスナップ撮影を試みている。本展には、その彼のニューヨーク時代、RAとFSAの時代、アジア旅行などの写真が、プリントとプロジェクションをあわせて150点以上も展示されている。これだけの規模で「写真家ベン・シャーン」にスポットを当てた展覧会は、むろん日本では初めてであり、とても興味深い作例を多数見ることができた。シャーンの被写体の把握力、それを大胆に画面におさめていく能力はきわめて高度なものであり、写真家としても一流の才能の持ち主であったことがよくわかる。さらに彼は自作の写真、あるいは新聞や雑誌の掲載写真の切り抜きを大量にストックしており、それをもとにして絵画、ポスター、壁画などを描いていた。写真の具体的で、個別性の強いイメージを、絵画作品としてどのように普遍的かつ象徴的なイメージに変換していったのか──今回の展示では絵画とそのもとになった写真の複写を併置することで鮮やかに浮かび上がらせていた。ウォーカー・エヴァンズとの相互影響関係も含めて、「写真家ベン・シャーン」の作品世界を立体的に見ることができたのがとてもよかった。神奈川県立近代美術館 葉山では、2009年に「画家の眼差し、レンズの眼」展を開催している。これは日本の近代画家たちと写真家たちの作品を比較した意欲的な展覧会だった。今回のベン・シャーン展も絵画と写真の交流がテーマである。このテーマはさらにまた別な形で展開できそうな気もする。
2011/12/10(土)(飯沢耕太郎)
廣見恵子「Drag Queen 2011」
会期:2011/11/02~2011/12/24
gallery bauhaus[東京都]
廣見恵子は2009年7月にgallery bauhausで個展「DRAG QUEEN ジャックス・キャバレーの夜」を開催している。ボストンで写真を学び、当地のドラッグ・クイーン(女装のゲイ)たちが夜ごと派手な衣裳とメーキャップでショーを繰り広げるクラブを長期取材した力作だった。だが、その細部まできちんと捉えられたスナップショットには、あまり破綻がなく、やや優等生的な作品にも思えた。ところが、今回のgallery bauhausの2度目の個展では、彼女の写真家としての姿勢が大きく変わってきているように感じた。廣見は以前ドラッグ・クイーンたちを楽屋などで撮影するときには、「壁のハエ」(Fly on the Wall)のようになるべく自分の気配を殺すようにしていた。彼女たちの邪魔にならないように、息を殺し、緊張しながらシャッターを切っていたのだ。だが、今回の展示のための撮影では「クイーン達との関係を楽しみつつ、自分自身が現場に『存在』することを否定せずに共有する」ように心がけたのだという。相互コミュニケーションが密になるにつれて、彼女たちとの距離が縮まり、互いに顔を見合わせるような親密な雰囲気の写真が増えてきている。さらにモノクロームに加えて、デジタルカメラによるカラー写真が登場してきたのが驚きだった。装身具やハイヒールのきらびやかな原色は、この「DRAG QUEEN」のシリーズの表現領域が大きくふくらみつつあることの表われといえる。廣見はいま、このシリーズ以外にもアフリカ系の住人たちが住む「ボストンのご近所」を長期にわたって撮影しているシリーズと、原理キリスト教の信者たちの集団生活のシリーズとを、同時並行して進めているのだそうだ。意欲的な作家活動が、実りの多い展示や出版につながっていきそうだ。
2011/12/09(金)(飯沢耕太郎)
吉永マサユキ「SENTO」
会期:2011/12/06~2011/12/26
GALLERY SHUHARI[東京都]
吉永マサユキのデビューは、在日外国人たちの生に肉迫した1999年の写真集『ニッポンタカイネ』(メディアファクトリー、東京キララ社から再刊)なのだが、それ以前に撮影していたのがこの「SENTO」のシリーズである。撮影は1993年だが、それ以前のアナーキーな不良少年の頃から、十三周辺の銭湯は仲間たちとの溜まり場になっていたのだという。ささくれた日々にふっと訪れる慰安があったことが、肌と肌を触れ合うような至近距離で撮影された写真からいきいきと伝わってくる。吉永にとっての原点ともいえる写真群ではないだろうか。それにしても、これだけ「おちんちん」がまともに出ている写真展も珍しい。日本の写真展や写真集では、自己規制も含めて「おちんちん」を隠してしまうことが多いが、それにはなんの法的な根拠もないはずだ。いわゆる「わいせつ写真」なら、男性性器は性的な意味合いを帯びてくるのだが、銭湯ではまずそんなことはありえない。むしろ。ここに登場してくる「おちんちん」たちは、風呂のお湯の中をゆらゆらと漂い、石鹸の泡に包まれて愛らしくまったりと弛緩していて、いつもの攻撃性はまったく影を潜めている。それは男性なら誰でも身に覚えのある光景だし、女性でもそれほど違和感なく受け入れることができる存在なのではないだろうか。愉快で、ちょっと哀しげな彼らの姿を、じっくりと見ることができただけでも、とてもいい展示だったと思う。なお展覧会に合わせて、東京キララ社から同名の写真集(英文表記)が発売されている。
2011/12/07(水)(飯沢耕太郎)
春木麻衣子「view for a moment」
会期:2011/11/18~2011/12/24
TARO NASU[東京都]
春木麻衣子のように、しっかりと自分の進むべき方向を見出しつつある写真作家の作品を見るのは愉しい。2010年のTARO NASUでの個展「possibility in portraiture」のあたりから、彼女の作品の中には人間(通行人)が登場し始めた。風景に人の要素が組み込まれることで、作品がより観客に開かれた印象を与えるものになりつつあるのだ。今回展示された新作「view for a moment」でも、明快なコンセプトと鮮やかな作画の手際が、気持ちよく目に飛び込んできた。パリの路上で撮影されたこのシリーズは、2つの場面をひとつの画面におさめたもので、ちょうど中央部分に縦長の黒いスリットが入っている。これはフィルムの2つのコマのつなぎ目であることが、写真を見ているうちにわかってくる。そのスリットを挟んで、2人の人物が写っているのだが、それぞれの体の大部分はスリットに隠れて見えない。つまり、人物がカメラのフレームから外に出ていこうとする瞬間、フレームに入り込んでくる瞬間にシャッターを切っているのだ。タイトルに「51 seconds」とか「112seconnds」とか表記してあるのは、最初のシャッターを切り、次のシャッターを切るまでの秒数をストップウォッチで測ったのだという。フィルムのコマとコマのあいだ、スリットの部分で何が起こっているのか、その「見えない部分」へと観客の視線を導くことで、観客の想像力が大いに喚起される。実に巧みな仕掛けだが、コンセプトが上滑りすることなく、視覚的なエンターテインメントにきちんと結びついているのが、気持ちのよさの理由だろう。写真作家としての総合的なレベルが、一段階アップしたように感じる。
写真:318 seconds, from the series “view for a moment” 2011 type C print
© Maiko Haruki Courtesy of TARO NASU
2011/12/06(火)(飯沢耕太郎)