artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

アナトリー・チェルカソフ「自然における私の居場所」

会期:2011/10/12~2011/10/25

銀座ニコンサロン[東京都]

アナトリー・チェルカソフは、1935年生まれのウクライナの写真家。農業経済学者として活動しながら、1950年代から写真を撮影しはじめた。当初は「純粋な芸術性」の追求にはそれほど関心はなく、「目に映る周囲の様子をありのままに撮る」ことをめざしていたという。だが、19世紀に流行したプラチナプリントと出会うことで、風景の「触知性」を細やかに撮影し、定着することをめざすようになる。今回の日本での初個展では、そうやって制作された大小50点余りのプラチナプリント作品が並んでいた。
テーマはかなりバラエティに富んでいて、鉱山、発電所などの人工的な建造物を広がりのある風景のなかで捉えた作品もあれば、水辺、森など大自然に溶け込んでいくことを楽しむような作品もある。マイケル・ケンナの風景写真を思わせる簡潔な構図も好んでいて、樹の上に雪が積もっている冬の情景など、典雅な詩情を感じさせるいい作品だ。どこか日本人の好む風景写真の型に通じるものがあるようにも感じた。全体に、プラチナプリントの柔らかく穏やかな質感がうまく活かされていて、品格のある美しさを感じる作品が多かった。「自分は写真家としてはスタートラインにたったばかり」と挨拶の文章で記している。この謙虚な姿勢もいいと思う。

2011/10/18(火)(飯沢耕太郎)

中山岩太 展

会期:2011/10/08~2011/11/20

MEM[東京都]

1930年代の輝かしい「新興写真」の時代を駆け抜けた中山岩太の作品展が、恵比寿・NADiff a/p/a/r/t階上のギャラリーMEMで開催された。中山が他の写真家たちと決定的に違っていたのは、20歳代から30歳代にかけてニューヨークやパリで過ごしていることだ。日本の写真家たちの多くが雑誌や写真集からの知識としてしか身につけることができなかった、欧米の写真モダニズムの息吹を、文字通り浴びるように吸収できたわけで、それが彼の作品に日本ともヨーロッパともつかない不思議なオーラを生じさせている。
今回の展示は10部限定で制作されたモダン・プリントによる『中山岩太ポートフォリオ』(中山岩太の会、2010)をもとにしている。全12点には、第一回国際広告写真展に出品して1等賞を受賞した《福助足袋》(1930年)から遺作となった《デモンの祭典》(1948年)まで、代表作がきちんとフォローされており、行き届いた構成といえるだろう。写真家のネガからの再制作にはいろいろな問題がつきまとう。だが、それが完璧に為される場合は、美術館での展覧会以外は見ることができない作品を身近に置くいい機会になるわけで、今後は他の「新興写真」の写真家の場合も大いに可能性があるのではないだろうか(たとえば安井仲治、小石清、坂田稔、山本悍右など)。むろんその制作においては、今回の比田井一良(銀遊堂)のように、高度な技術を備えたプリンターの能力が一番重要な鍵になることはいうまでもない。

2011/10/16(日)(飯沢耕太郎)

オ・ソックン「教科書(チョルスとヨンヒ)」

会期:2011/09/21~2011/10/22

BASE GALLERY[東京都]

オ・ソックンは1979年、仁川生まれの韓国の写真家。イギリスのノッティンガムで写真を学び、韓国に帰国後本格的に写真家として活動しはじめた。今回BASE GALLERYで展示されたのは、代表作である「教科書(チョルスとヨンヒ)」(2006~08年)のシリーズで、少年と少女の顔をした被りものを身につけたモデルたちにポーズをつけて、さまざまな場所で撮影している。彼らは物置小屋のような場所で密かな性的な遊戯にふけったり、橋の下で身を寄せあったり、自宅の部屋で所在なげにたたずんだりしている。その状況設定に、作者自身の幼年期の記憶が投影されているのはいうまでもない。
実はこのはかなげな少年と少女のキャラクターは、朴正煕政権時代の1970年代から90年代まで、韓国の小学校の教科書のなかに登場していて、この時代に小学生だった韓国人なら誰でも知っているのだという。とすれば、軍事独裁政権から民主化、経済成長を経て、大きく変転していく韓国社会がもたらした歪みや軋みが、彼らのややエキセントリックなふるまいによって象徴的に表現されているともいえる。つまり、あえて頭部を大きくして子どもらしいプロポーションを強調した彼らの姿は、個人的な記憶と歴史との間に宙吊りにされているわけだ。とはいえこのシリーズは、韓国人だけではなく、かつて少年や少女だったすべての大人たちにとって痛みをともなう懐かしさを喚起することができるように仕組まれている。それはオ・ソックンの巧みな演出力の為せる業であり、日本人の多くも、彼らの姿を自分の記憶と重ねあわせることができるのではないだろうか。

2011/10/14(金)(飯沢耕太郎)

篠山紀信「Before-After」

会期:2011/09/10~2011/10/22

hiromiyoshii roppongi[東京都]

篠山紀信の写真展。ヌードの女性たちを明暗、陰陽、清濁などの二項対立によって撮影して、それらを2点一組にして展示した。一見して気がつくのは、明るい写真に篠山の「らしさ」が存分に表われているのに対して、暗い写真には不自然なほどのあざとさがあるということ。果物の果汁を血飛沫のように見せたヌード写真などには、どこかで見たような既視感が漂っているし、とりわけエロスも感じられない。その反面、3人のヌードモデルが無邪気に笑いながらじゃれあう写真には、乾いた虚無感と狂ったエロスが充溢している。後者の路線を猛進していけばよいものの、なぜ前者との両輪を選んだのか、ほとほと理解に苦しむところだ。そうした二項対立の図式に則ることが「アート」の条件であると考えているのかもしれないが、わざわざ暗い写真に挑戦しなくとも、篠山紀信の明るい写真にはすでに「アート」が内在しているのではないだろうか。

2011/10/13(木)(福住廉)

マリオ・デ・ビアージ「CHANGING JAPAN 1950-1980」

会期:2011/09/27~2011/10/30

JCII PHOTO SALON[東京都]

マリオ・デ・ビアージは1923年生まれのイタリアの写真家。1953年にグラフ雑誌『Epoca』のスタッフ・カメラマンになり、世界中を駆け回って同誌に写真を寄稿してきた。1956年のハンガリー動乱の生々しい記録写真が代表作として知られている。日本には1950年代から11回も訪れ、さまざまなテーマの写真を撮影した。特に1970年代の高度経済成長期の人々とその暮らしを撮影した写真群は、貴重な記録といえるだろう。
デ・ビアージの写真を見ていると、腕利きのフォト・ジャーナリストの仕事ぶりがどのようなものであるかがよくわかる。目についたもの、撮りたいものにカメラを向け、シャッターを切っていることは確かだが、そこにはいつでも読者の眼を意識する姿勢がある。彼らがどんな写真を見たいのか、何を求めているのかを敏感に察知して、そのような被写体にアンテナを向けているのだ。
その結果として、カプセルホテルの女性客、地下鉄のホームでゴルフの練習をする会社員、客にお酌をする宴たけなわの芸者といった、イタリア人にとってエキゾチックな日本の風俗が的確に押さえられている。ヌードスタジオで、全裸で笑顔を見せる女性のポートレートなど、こんな写真がよく撮れたものだと驚いてしまう。それらの多くは、現在のわれわれから見ても充分にエキゾチックな魅力を発している。ということは、既に30年もの時が過ぎてしまったことで、1970年代の記憶、そこにまつわりつく匂いや手触りのようなものは、写真を通じてしか喚起されなくなっているということだ。イタリア人の眼差しを介して、あらためて過去の日本を知るというのも奇妙な体験ではあるが、写真が開かれたメディアであることを証明しているともいえそうだ。

2011/10/12(水)(飯沢耕太郎)