artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
写真新世紀 東京展 2011
会期:2011/10/29~2011/11/20
東京都写真美術館[東京都]
34回目を迎えた「写真新世紀」展。1,300人を超える応募者数から厳選された優秀賞5名および佳作20名の作品とファイルがあわせて展示された。注目したのは、坂口真理子と鈴木淳。坂口の《訪々入浴百景》はさまざまな家庭や職場に湯船を持ち込み、その場の日常風景の只中で入浴する坂口を映したシリーズ。表情をつくるわけでもなく、かといって殺すわけでもなく、他人の空間でいたって普通に湯につかる坂口の表情がおもしろい。一方、鈴木淳の《だれもいない、ということもない》は、街の風景をとらえた凡庸なスナップショットだが、よく見るとそこに映し出されている人たちはいずれも顔が見えない。つまり、みんながみんなあちら側を向いていて、こちら側を見ていない瞬間をとらえたわけだ。生身のまま被写体と対峙する坂口と、被写体に見られることなく見る鈴木。前者の関心が交流の先に訪れる孤独だったとすれば、後者のそれは孤独の先にやってくる交流と言えるのかもしれない。
2011/11/17(木)(福住廉)
朝海陽子「Northerly Wind」
会期:2011/11/02~2011/11/20
NADiff Gallery[東京都]
自宅でホームビデオの映画を鑑賞している人々を撮影した朝海陽子の「Sight」シリーズ(2006~2010)は、とてもよく練り上げられた、想像力を刺激する作品だ。すでに同名の写真集(赤々舎、2011)も刊行されており、今のところ彼女の代表作であることは間違いない。
えてして、こういういい作品の後には模索の時期が続くことがあるが、まさに朝海が陥っていたのがそんな状況ではないだろうか。近作をいくつか見たのだが、まだ「これは」という水脈が見つかっていないように感じた。今回NADiff Galleryで展示された「Northerly Wind」にしても、試行錯誤の産物であることに違いはない。だが以前に比べると、何か手応えのようなものを感じさせる作品になってきている。
2011年夏、青森に滞在して撮影したいくつかのシリーズが並ぶ。「「Northerly Wind」は、海辺の道の風速表示板に、「北東の風2メートル」、「北の風0メートル」といった具合に数字が出ている様子を撮影している。「field sketch」は海、鳥の群がる樹、草原、燈台などのある風景をやや引き気味に撮影したランドスケープ。ほかに風が登場する小説の冒頭部分だけをモニターに映し出すインスタレーションも展示されていた。風というテーマは魅力的であり、可能性を孕んでいる。これまであまり表立っては見えてこなかった、朝海の作品のなかにある文学的なイメージが、さらに南風や東風や西風の領域にまで広がっていっても面白そうだ。
2011/11/16(水)(飯沢耕太郎)
写真新世紀 東京展 2011
会期:2011/10/29~2011/11/20
東京都写真美術館 地下1F展示室[東京都]
2年前までは審査をしていたにもかかわらず、なぜか会場を歩いていて遠い距離感を感じてしまった。審査のシステムは同じだし、応募者数が極端に減ったわけでもないのだが、なんとなく会場全体に「過ぎ去ってしまった」という雰囲気が漂っているのだ。スタートが1991年だからもう20年が過ぎてしまったわけで、名前も含めて何かを大きく変えなければならない時期にきていることは間違いない。「やめてしまえ」とまで言うつもりもないが、続けることにあまり意味がなくなっているのではないだろうか。
今回の優秀賞は5名。赤鹿麻耶(椹木野衣選)、奥山由之(HIROMIX選)、木藤公紀(清水穣選)、パトリック・ツァイ(大森克己選)、山田真梨子(佐内正史選)である。そのなかでは、巨大なポートフォリオ・ブック作品「風を食べる」を出品した赤鹿麻耶のスケール感が際立っていた。背景に水、炎、煙などをセットアップして撮影したポートレートが中心だが、写真に勢いがある。関西大学で中国文化を学び、現在はビジュアルアーツ大阪の夜間部にいるというキャリアもなかなかユニークだ。もう一回り大きくなっていきそうな可能性を感じたのは彼女だけだった。グランプリを受賞したのも当然だと思う。「赤鹿」という名前もどこか神話的だ。新人がデビューしてくるとき、名前はけっこう重要なファクターになる。
いつもなら佳作に面白いメンバーが揃うのだが、今回はやや小粒に感じた。佳作作品のポートフォリオで印象に残ったのは、山本渉「線を引く」(大森克己選)、菊池佳奈「百色むすめ」(椹木野衣選)、加納俊輔「WARP TUNNEL」(清水穣選)、滝沢広「月の岩」(同)といったところだろうか。
2011/11/16(水)(飯沢耕太郎)
ひらいゆう「境界─マダムアクション」
会期:2011/11/11~2011/12/11
TOKIO OUT of PLACE[東京都]
東京・広尾のTOKIO OUT of PLACEで、ひらいゆうの展示を見て、その前に資生堂ギャラリーで見たダニヤータ・シン展との間に不思議な暗合を感じた(そういえば、平井は1996年に資生堂ギャラリーで個展をしたことがある)。二人とも女性作家というだけで、キャリアも、活動場所もまったく違っているのだが、複数の写真を組み合わせたり対照させたりして「物語」を浮かび上がらせていく作品の雰囲気が、どこか似通っているのだ。熱を帯びた闇の奥から、何か切迫した感情を引き出そうとする手つきにも、共通性があるように思える。
ひらいの今回の展示は、男の子向けのマッチョなフィギュア「アクションマン」にドレスを着せ、化粧を施して“女装”させた「マダムアクション」と、アイスランドの寒々とした霧や氷の風景を切り取った「BLUEs」のカップリング。この二つのシリーズに直接的な関係はないので、観客は宙吊りにされたように感じてしまうかもしれない。だが、男─女、虚構─現実、生─死といった二分法の「はざま」や「ずれ」にこだわり続けるひらいの写真のあり方は、このような「境界」の領域をさまようことからしか見えてこないだろう。彼女がパリで暮らし始めてからもう10年以上になるが、写真作家としての自信の深まりが、一見強引とも思えるような二つシリーズの混在に、落着きと安定感を与えているように感じた。
2011/11/11(金)(飯沢耕太郎)
藤原新也の現在「書行無常」展
会期:2011/11/05~2011/11/27
3331 Arts Chiyoda[東京都]
写真家の藤原新也の個展。旅先で書を行なうシリーズを中心に、被災地をとらえた写真などもあわせて展示した。藤原新也といえば、「人間は犬に食われるほど自由だ」というコピーで知られる写真家だが、その一方で時事問題についても積極的に発言する社会批評家としても活躍している。だが今回の展示で明らかになったのは、アーティストとしての藤原新也だ。世界各地の現場で繰り広げられる書は、さながらアクション・ペインティングのような運動性を感じさせるし、広大な雪原を「春」という形に踏み固め、その上にスプレーで着色したり、筆に見立てた髪の毛に墨汁を滲みこませたヌードモデルを抱きかかえながら書を書くパフォーマンスなどは、まさしくアーティストそのもの。「老いてなお益々盛んな…」と言ったら失礼かもしれないが、ここにきて写真や文章にとどまらず、「なんでもやってやる!」という境地に達したのかもしれない。このアグレッシヴなパワーが来場者を圧倒したのは事実だが、本展における藤原新也のありようは表現や芸術にかかわる者にとってある種のモデルを示していたようにも思えた。このどうしょうもない世界の只中で生きてゆき、やがて死んでゆかねばならない私たち自身には、「なんでもやっていい」という甘えはもはやなく、「なんでもやらざるをえない」という厳しさしか残されていないからだ。であればこそ、文字どおりジタバタしながらもがき苦しみ、そうやって身体を社会に晒して右往左往した先に、この苦境を突破する人間の根源的な生命力を見出すほかない。アーティストのように、いやアーティストとして、あらゆる人びとがたくましく行動しなければ太刀打ちできない時代になってしまったのである。本展で示されていたのは、この危機に身をもっていちはやく対応した人間の記録だったと思う。
2011/11/10(木)(福住廉)