artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
東松照明「東松照明と沖縄 太陽へのラブレター」
会期:2011/09/23~2011/11/20
沖縄県立博物館・美術館[沖縄県]
2011年4月~6月に「写真家・東松照明 全仕事」展(名古屋市美術館)を開催したばかりの東松照明が、今度は沖縄県立博物館・美術館で240点あまりの作品を展示する大展覧会をスタートさせた。タイトルが示すように、1969年に「パスポートまがいの身分証明書を持って」はじめて沖縄を訪れてから近作に至る、沖縄関連の写真群の集大成である。沖縄行きのきっかけになった日本各地のアメリカ軍基地のルポルタージュ「〈チューインガムとチョコレート〉1959-67」を第I章とし、以下「占領シリーズ最後の地『沖縄』〈OKINAWA 沖縄 OKINAWA〉1969」「『さびしさを思想化せよ。』〈太陽の鉛筆〉1969-1973」「カラーへの転換〈南島〉〈光る風〉1973-1979」「写真はイメージで綴るラブレター〈琉球ちゃんぷるぅ〉-2011」と続く。こうして見ると、1975年に写真集『太陽の鉛筆』(毎日新聞社)にまとめられる1972~73年の沖縄滞在、さらにその後の東南アジア旅行が、東松の作品世界の展開に決定的な影響を与えたことがわかる。「撮るのではなく、撮らされる」ことを受容するのびやかなスナップショットの成立、モノクロームからカラーへの転換による官能的な色彩への開眼が、この時期に相次いで起こってきているのだ。その意味で、東松の写真家としての軌跡を辿るうえで、沖縄の写真群は要の位置にあるといえるのではないだろうか。
ところで、東松がこのところ立て続けに大きな展覧会を開催できているのは、2003年頃からプリントを完全にデジタル化したためでもある。今回の展示では、カラー作品だけでなく、モノクローム作品でもデジタル・プリンターを使用したものが増えていた。以前は、カラープリントは専門のラボにまかせるしかなく、満足できるクオリティを保つには、長期にわたる煩雑なやりとりが必要だった。デジタル・プリンターの性能が急速に上がったことで、プリント処理を自分の手で行なえるようになった。そのことによって、美術館で展示するような大判の作品でも、最後までコントロールできるようになったのは、東松のようなプリントに独自の美意識を発揮するタイプの写真家にとって朗報だったのではないだろうか。デジタル化が写真家の作品制作のあり方をどのように変えていったかについては、もう少しきちんと検証していかなければならないと思う。
2011/10/02(日)(飯沢耕太郎)
アーヴィング・ペンと三宅一生
会期:2011/09/16~2012/04/08
21_21 DESIGN SIGHT[東京都]
アーヴィング・ペンは1983年、『ヴォーグ』誌のためにはじめて三宅一生デザインの服を撮影した。これをきっかけにして、世界的に著名なファッション・フォトグラファーとデザイナーの交友が生まれ、1987年以降、ペンは毎年春と秋2回のコレクション作品の撮影を担当するようになった。さらにペンが撮影した写真は、田中一光のデザインによって大判のポスターに仕上げられる。1999年までに、ペン撮影の写真は250点にまで増えていた。今回の展示は、この二人の巨匠の「Visual Dialogue」の成果を、一堂に会するものである。
とはいっても、堅苦しい回顧展ではない。三宅が東京でデザインした服が、パリコレクションで発表され、さらにニューヨークのペンのスタジオに運ばれて撮影されるまでを、軽やかなタッチで描いたアニメーションが上映され、ペンが撮影した写真も、横長の大きな画面にプロジェクションして見せていた(会場デザイン・坂茂)。そのことによって、彼らの「対話」が、弾むような歓びと愉しみに満ちたものであったことがよく伝わってくる。また、ペンの三宅のデザインに対する解釈も通り一遍のものではなく、むしろそのポリシーをより過剰に、誇張して表現しているのが興味深かった。白バックの画面を極端に単純化するとともに、モデルの顔にメーキャップを施すことで、彼女たちも服の一部に組みこんでしまうように演出しているのだ。それでいて、1980年代のモノクローム、モノトーンから、90年代のカラフルなプリーツ素材を使った自由なふくらみのある表現への変化が、見事に捉えられていた。さすがというしかない。
会場には、アーヴィング・ペンの代表的な写真作品も並んでいた。1939年頃に撮影された「眼鏡屋のショー・ウィンドー」から、亡くなる3年前の「ベッドサイド・ランプ」(2006)まで。それらを見ると、あらためてエレガンスとグロテスクのせめぎ合いが、彼の作品世界の根幹であったことが浮かび上がってくる。
2011/10/01(土)(飯沢耕太郎)
大友真志『GRACE ISLANDS──南大東島、北大東島』
発行所:KULA
発行日:2011年8月23日
大友真志は2004年からphotographers’ galleryに参加し、2010年には1年間(全13回)にわたって故郷の北海道北広島市の実家の周辺と家族を撮影した「Mourai」のシリーズを発表するなど、その表現力を深めてきた。その彼の最初の写真集として、photographers’ galleryが新たに立ち上げた出版部門KULAから刊行されたのが、『GRACE ISLANDS』である。
大友が撮影したのは「琉球弧からはじき出されたように太平洋に浮かぶ」南大東島と北大東島である。たまたま2007年に彼自身が実行委員として参加した「写真0年 沖縄」展(那覇市民ギャラリー)で大東島のことを知り、その後10日間ほど滞在した。持っていった300本のフィルムをすべて使い切ったという。彼のなかに、自分の故郷とは対極の場所(北と南)という意識はあったに違いないが、結果としてみれば大東島の写真は、「Mourai」と受ける印象としてはそれほど違いのないものになった。物寂しい、草むらが大きな部分を占める風景への向き合い方、倉石信乃の解説の文章を借りれば「主題や被写体と呼びうるものからの遠ざかりと、風景を『そこ』に停留させておくことへの意志」が共通しているのだ。とはいえ、たしかに「主題や被写体と呼びうるもの」の影は薄いが、この写真集からは拒絶や疎外などネガティブな感情は見えてこない。むしろこのような風景のあり方を、できうる限り節度を保ちつつ、受容していこうとする強い意志を感じる。『GRACE ISLANDS』というタイトルは、やや意外な感じがするかもしれないが、写真集のページをめくっていくうちに大友がこのタイトルを選んだ思いが伝わってくる気がした。
なお写真集の刊行にあわせて、2011年8月23日~9月30日にphotographers’ galleryで同名の展覧会が開催された。
2011/10/01(土)(飯沢耕太郎)
岸幸太「The books with smells」
会期:2011/08/23~2011/09/30
KULA PHOTO GALLERY[東京都]
岸幸太はこれまでphotographers’ galleryやKULA PHOTO GALLERYで、「傷、見た目」(2006年~2009年)や「もの、しみる」(2011年)といった個展を開催してきた。東京の山谷、大阪の西成、横浜の寿町など、いわゆるドヤ街に集まる人々や、独特の存在感を発する建物やモノを撮影した写真群は、これまでオーソドックスなモノクロームプリントで発表されてきたのだが、今回の個展ではかなり思い切った転換を図っている。写真を新聞紙にプリンターで印刷し、それを「本」のような体裁にして積み上げたり、壁に貼り巡らしたりしているのだ。しかもその制作のプロセスそのものを、ギャラリーで公開するという試みである。訪ねることができたのが会期の終了間際だったので、小さな部屋の中には写真がプリントされた新聞紙の束があふれかえり、町工場のような雰囲気になっていた。
新聞紙に画像を印刷したりドローイングしたりする試みは、岸が最初ではないかもしれない。だが、こういう展示の仕方は「コロンブスの卵」のようなところがありそうだ。新聞紙の粗いざらざらとした質感と、出合い頭に路上の人々をスナップした写真の内容とが、あまりにもぴったりしていて、最初からこの展示をもくろんで撮影したように思えるほどだ。新聞紙は全国から集めたそうで、沖縄から北海道の新聞までそろっている。しかも大震災関係の記事がかなりのスペースを占めているので、強烈な視覚的インパクトがある。アイディアとそれを実現する手際のよさとが、これほど鮮やかに決まった展示も珍しいのではないだろうか。思いつきだが、同じコンセプトで海外の新聞、労働者の写真で展開してみてはどうだろうか。かなりの反響が期待できそうな気がする。
2011/09/27(火)(飯沢耕太郎)
須田一政「雀島」
会期:2011/09/01~2011/10/29
フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]
須田一政が覚悟を決めたようだ。週3回の透析が必要とのことで、体の調子はあまりよくないようだが、「写欲」は衰えるどころかさらに昂進している。
今回の個展のテーマである「雀島」は千葉県いすみ市津々ヶ浦にあり、「海蝕によって『岩』に変わり、いつしか消滅する運命にある」小島だ。須田はこの何の変哲もない波打ち際の島が妙に気になり出し、2010年1月から7月にかけて執拗に撮影し続けた。夜、急に思い立って車を飛ばすこともあったというから、何かに取り憑かれたとしかいいようがないだろう。6×6判のモノクロームフィルムによる撮影は、実質的なデビュー作といえる1970年代の「風姿花伝」シリーズ以来慣れ親しんだものではあるが、決定的に異なっているのは、常に揺れ動いていた「通過者」の視点が、「雀島」の一点に定まっているということだ。とはいっても、作品の一点一点から受ける印象はかなり大きな幅があり、島全体をシルエットのように捉えたもの、ぬめぬめと光を反射する岩の一部にクローズアップで迫ったもの、果ては白い水着姿の何ともなまめかしい女性の姿が写り込んでいるものまである。結果的に「雀島」は幻影とも現実ともつかない場所に宙吊りになり、「私のかつて追い求めてきたモノの象徴」として、写真のなかに再構築されていくのだ。意欲的な実験作であり、須田の新たな方向性を開示するシリーズとなるのではないだろうか。
なお同時期に、新宿のPLACE M(9月26日~10月2日)とその階下のM2 gallery(9月28日~10月7日)では「Sign」展が開催された。街をさまよい歩きながら、「私の幼年期から青年期の感受性に揺さぶりをかけたモノのサイン」を探し求める営みの集積。こちらも筋金入りの画像採集者の、張りつめた視線の強靭さを感じさせる意欲作だ。
2011/09/27(火)(飯沢耕太郎)