artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

リヒターとトゥオンブリー「新作エディション」

会期:2011/05/07~2011/06/04

ワコウ・ワークス・オブ・アート[東京都]

リヒターとトゥオンブリーの豪華2人展。小品だけどね。トゥオンブリーの黄色っぽいピンボケ写真《チューリップ》は各240万円、リヒターのマーブリング絵画《アブダラ》は各360万円。小品だけどね。

2011/05/20(金)(村田真)

大和田良「FORM」

会期:2011/05/21~2011/07/13

大宮盆栽美術館[埼玉県]

初夏の暑い日差しの日、埼玉県・土呂の大宮盆栽美術館に出かけてきた。大和田良が盆栽を撮影した「FORM」展のオープニングがあったためだが、大宮周辺に「盆栽村」ができていることをはじめて知った。盆栽というものもはじめてきちんと見ることができたのだが、けっこう面白かった。盆栽はいわば自然のミニチュア版といえるだろう。松や真柏のような樹木が、そのままスケールを縮小して盆の上に再現される。その意味では、盆栽は立体化した写真といえなくはない。全体を見ればリアルだが、細部を見れば現実とはかなり異なっているという意味でも、写真と似ているのではないだろうか。
大和田良がやろうとしているのは、いわばその盆栽の「写真的な」あり方を踏まえつつ、再構築するという興味深い試みだった。デジタルカメラによって盆栽の細部のフォルムが精密に捉えられるとともに、やや角度を変えて撮影した画像を「スティッチング」の技術によってコラージュ的につなげるという実験も試みている。このような取組みは、緒についたばかりであり、まだ完成されているようには見えない。だが、盆栽のような日本の伝統文化に着目することは、これから先実り多い成果を生んでいくのではないだろうか。少なくとも、盆栽が本来備えている妖しくも美しい人工美の極致は、写真にはとても相性がいいのではないかと思う。このシリーズをさらに推し進めていくと、写真を通じて日本人に特有の細やかな美意識が浮かび上がってきそうな気もする。
なお、展覧会にあわせて渓水社から『FORM Scenery Seen Through Bonsai』が刊行されている。端正なデザイン、しっかりした造本の完成度の高い写真集である。

2011/05/20(金)(飯沢耕太郎)

プレビュー:オン・ザ・ロード 森山大道 写真展

会期:2011/06/28~2011/09/19

国立国際美術館[大阪府]

日本を代表する写真家のひとり、森山大道の、関西では初めての大規模個展。1965年から現在までの軌跡を、写真集10数冊の流れに即して展開。森山の個性と写真館の変貌を明らかにする。総出点数は400点以上。大阪出身ながら関西での展覧会が少なかった森山だけに、本展は関西の写真ファンにとって朗報と言えよう。

写真:森山大道《野良犬》1971年 個人蔵
©Daido Moriyama

2011/05/20(金)(小吹隆文)

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写真の地層展

会期:2011/05/18~2011/05/22

世田谷美術館 区民ギャラリーB[東京都]

「写真の地層」展は1990年代から東京綜合写真専門学校の卒業生、関係者によって、世田谷美術館区民ギャラリーで開催されているグループ展。いつのまにか13回目を迎えた。今回の参加者は青木由希子、福田タケシ、五井毅彦、飯田鉄、岩岸修一、加地木ノ実、加地豊、小松浩子、桑原敏郎、鳴島千文、松本晃弘、三橋郁夫、森敏明、本橋松二、村松アメリ、大槻智也、佐々木和、笹谷高弘、田口芳正、谷口雅、寺田忍、潮田文である。ほぼ毎年開催されているのだが、ごくたまにしか見に行くことができない。だが行くたびに「変わりがないな」という感想を抱く。彼らが学生だった頃、また卒業して作品を発表し始めたのは1970~80年代なのだが、そのまま時が止まったような写真が並んでいるのだ。
ひと言でいえば彼らの基本的なスタイルは、「作品」としての完結性の否定ということだろう。写真家が「決定的瞬間」を求めてシャッターを切ることでできあがってくるような写真のあり方を解体することで、あまり意図することなく連続的にシャッターを切ったような写真が並ぶことになる。そのなんとも曖昧な、脱力したようなたたずまいは30年前にはかなり魅力的だった。では、いまはどうかといえば、意外なことにしぶとく輝きを放っているように感じた。さすがにデジタルプリントが多くなってきているのだが、そのなかで小松浩子の現像液の饐えた匂いが漂ってくるロールペーパーの風景や、桑原敏郎の微妙にアングルを変えて連続的にシャッターを切った写真を、隣の壁にはみ出すように増殖させる試みなどが、妙に新鮮なものに感じる。美術館やギャラリーでの写真作品の展示の多くが、一点集中型のタブローと化している現在、逆に作品主義を徹底的に否定し続ける彼らの「変わりのなさ」が貴重に思えてくるのだ。ただ、このままでは「やり続ける」だけで終わりかねない。蓄積された経験や技を、次の世代にうまく引き継ぐことはできないだろうか。

2011/05/19(木)(飯沢耕太郎)

安齊重男 写真展「絵画試行」

会期:2011/05/16~2011/05/28

ギャラリー現[東京都]

1978~79年、ニューヨーク滞在時に撮影した建物の壁の写真。原色に塗り分けられたカラフルな壁もあれば、文字の書かれた壁、ペンキの飛び散った壁、崩れかけた壁もある。70年代末のニューヨークといえばちょうどグラフィティが盛んになり始めた時期だが、ここにはほとんど写っていない。あの好奇心旺盛な安齊さんがなぜグラフィティを写さなかったのかというと、写したら「グラフィティの写真」になって「壁」じゃなくなっちゃうから。別の言い方をすれば、多くのグラフィティライターを惹きつけたニューヨークの壁そのものに安齊さんもまた魅せられ、ラクガキするかわりに写真に撮ったというわけだ。ここに単なるドキュメンタリストでは終わらない表現者としての安齊さんがいる。

2011/05/18(水)(村田真)