artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

本橋成一『屠場』

発行所:平凡社

発行日:2011年3月25日

牧場で草を食む牛の姿はよく目につく。肉屋の店先にグラム単位で並んでいる肉もすぐに目に入ってくる。だが、その間に位置するはずの屠場(食肉処理場)がどんな場所なのかはほとんど知られていない。賭場を撮影した写真や映像を発表するのがとても難しいからだ。
牛の眉間に鉄棒が飛び出るピストルを撃ち込み、昏倒させる。巨体をトロリーコンベアで吊るして血抜きした後、ナイフ一本で全身の皮を剥いていく。その後、部位によって内臓と肉に分離され、加工されていく過程はまさに熟練の職人技そのものだ。たしかに見方によっては残酷きわまりない場面の連続かもしれないが、職人たちは自分の技に誇りを抱き、その向上ぶりを競い合っている。本橋成一が、1980年代から大阪・松原の屠場に通い詰めて撮影した写真をまとめた本書のページを繰ると、この職場が人間味のある職人たちによって支えられる、熱気あふれる場所であることがよくわかる。
これまで屠場の写真を表に出すことができなかったのは、いうまでもなくそれが部落差別の問題と深くかかわっているからだ。食肉の加工は長く被差別部落民の専業であり、明治以後も隠微な形で職業的な差別が続いてきた。肉を穢れと見る仏教的な不浄観もそれを助長したのではないかと思う。そのことが、たとえ賭場の人たちの許可をきちんと得て撮影した写真であっても、展示や印刷媒体への掲載をためらわせる過剰反応を生んできたのだ。だが、時代は変わりつつある。見ないように、見えないように隠すことが、逆に差別意識を温存することにつながることがわかってきた。この写真集の刊行もその流れに沿うものといえるだろう。
写真を見ていると、屠場そのもののたたずまいが大きく変わってきていることがわかる。巨大な肉の塊が物質としての強烈な存在感を発する様が、コントラストの強いモノクロームの画像でくっきりと浮かび上がってくる。現在の「工場」と化した食肉処理場では、もう見ることができない光景だ。

2011/04/18(月)(飯沢耕太郎)

今村拓馬 写真展「Kids -existence- 2006~2011」

会期:2011/04/12~2011/04/21

コニカミノルタプラザギャラリーC[東京都]

スクエアサイズによって写し出された子どもたちの写真。それぞれの子ども部屋で撮影されているからだろうか、その表情はいたって自然だ。いや、より正確にいえば、文字どおり、無表情である。カメラを警戒して心を閉ざしているわけでもなく、逆にカメラマンとの親密な関係性を連想させるのでもなく、その表情からはいかなる感情も読み取ることができない。ある意味で恐ろしい写真といえるが、しかしその一方で、胸に手を当ててみれば、このような「無」の瞬間は誰もが幼年期に経験したことがあることに気がつく。どれほど公園で爆発的に遊んだとしても、自室に戻ればこのような顔で静かに佇んだものだし、公園でもこのような表情を見せる瞬間がなかったわけではない。子どもの快活な表情や悲哀をとらえた写真は数多い。けれども、このような「無」を子どもの本質として写し出した写真は珍しいのではないか。

2011/04/12(火)(福住廉)

台北・百年印記─魅力古蹟攝影展/文学のナポレオン──バルザック特別展覧会

国立台湾博物館[台湾・台北市]

会期:2011年3月22日~6月19日(台北・百年印記─魅力古蹟攝影展)/2011年3月4日~4月8日(文学のナポレオン)
以前、ここでやっていた近代建築展が素晴らしく、日本の国立博物館でも見習ってもらいたい内容だったので、期待していたが、古建築写真展はハズレ。とくに解説や分類もなく、ただ壁に写真を並べただけのものである。代わりに、思いがけずバルザック展が良かった。展示の方法がカッコいい。十分な原資料がないところを、工夫した空間デザインにより、カバーしている。内容だけではなく、文化の成熟度はこういうところにあらわれる。

2011/04/08(金)(五十嵐太郎)

川島小鳥『未来ちゃん』

発行所:ナナロク社

発行日:2011年4月1日

まさに「お待たせしました!」という写真集。僕は昨年4月のテルメギャラリーでの松岡一哲との二人展の頃からずっと注目していたし、一般的には『BRUTUS』(2011年12月15日発売号)の写真特集の表紙で「ぶっ飛んだ」のではないだろうか。刊行がこれだけ待ち望まれていた写真集は、このところあまり記憶にない。本格的な写真集の刊行前に、講談社出版文化賞を受賞したというのも前代未聞ではないだろうか。
写真にとって被写体は絶対的とはいえないが、相当に重要な要素であることは間違いない。この写真集の場合、主人公である新潟県佐渡島の女の子「未来ちゃん」の天衣無縫な野生児ぶりはめざましいものがある。体を一杯使って走り回り、転げ回り、青洟を垂らしながら泣き笑うその姿を見ているだけで、心のなかに温もりが広がるような愉しさを感じる。ただ被写体がいくらよくても、それをきちんと受けとめて作品化する技と力が必要なわけで、1980年生まれの川島小鳥にはそれがしっかりと備わっているということだろう。もう既に大ブレイクの兆しが見えているので、このままどんどん突っ走ってもらいたい。また祖父江慎による写真集の装丁・デザインもさすがというしかない。横位置の写真を上下に重ねるレイアウトを採用したことで、写真の勢いが加速しているように感じる。ページをめくっていく速度が、写真が目の前にあらわれてくるリズムとぴったりシンクロすると、解放感に包まれ、思わず笑いがこぼれてしまう。
なお写真集の刊行にあわせて、東京・渋谷のパルコファクトリーで写真展が開催された(2011年4月8日~24日)。こちらは展示されている写真の数が250点余りに増え、「未来ちゃん」のパリ旅行時のスナップも入っている。悪くないが、大小の写真の散りばめ方がややうるさ過ぎたのではないだろうか。写真集の方が、すっきりと目に馴染んでくるように感じる。

2011/04/08(金)(飯沢耕太郎)

大久保潤「ちょっと訪ねたカンボジア」

会期:2011/04/01~2011/04/30

Green Caf[東京都]

珍しい展覧会を見た。大久保潤は1970年生まれ。1997年より横浜市港北区の社会福祉法人かれんに属して、主に絵画作品を発表してきた。ところが彼は写真にも強い興味をもち、18年もの間24枚取りのフィルムを週に1本のペースで撮影し続けてきたという。概算すると900本以上、2万2千カット余りの写真というわけで、この量だけでも尋常ではない。それに加えて彼のスナップ写真はのびやかさと集中力をあわせ持っており、被写体の配置もうまく決まっていてなかなか魅力的だ。普通は知的障害者のアート作品(アウトサイダー・アート、あるいはアール・ブリュット)というと、絵画を思い浮かべることが多いので、写真というのは意外な盲点なのではないだろうか。おそらく、絵画や版画と同じように、写真においても優れた才能を持つ者がたくさんいるはずだ。今回の展示を見てそんなふうに強く思った。
今回は1998年に家族とともに訪れたカンボジアへの旅を題材としている。写真の特徴としては、自分の反射像や影を取り込んだ作品が多いこと、被写体を画面全体にバランスよく散りばめていること、日付を必ず入れていることなどが挙げられる。ともかく、気持ちのよいエネルギーの波動が伝わってくるチャーミングな写真が多い。今回は14点とやや数が少なかったが、もっとたくさんの写真を一度に展示できるような機会があればとても面白いと思う。ただし、古い写真はネガごと捨てられてしまったそうだ。残っているものだけでも、もっと彼の写真を見てみたいと感じさせる展覧会だった。

2011/04/06(水)(飯沢耕太郎)