artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
川田喜久治「日光─寓話」

会期:2011/05/10~2011/06/25
フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]
1959年、6人の写真家たちによって「VIVO」(エスペラント語で生命の意味)と名づけられたグループが結成された。東松照明、奈良原一高、川田喜久治、細江英公、佐藤明、丹野章の6人は、1925年生まれの丹野章を除いては、いずれも1930~33年生まれの写真家たちである。「VIVO」は1961年までの3年間という短い活動期間だったが、同時代及びそれ以降の写真家たちに決定的ともいえるような影響を及ぼした。日本の戦後写真史において、明確に個人の想像力の発現といえるような表現が成立するのは、彼らの登場が呼び水になったといえるだろう。
その「VIVO」の写真家たちも70歳代後半から80歳代になった。佐藤明は既に亡くなり、奈良原一高も長い闘病生活で制作活動ができない状態になっている。だが東松、川田、細江、丹野はまだまだ元気で、現役の写真家として写真展の開催や著書の刊行などの活動を展開している。特に川田はこのところ毎年のように新作展を開催しており、2010年度の日本写真協会年度賞を受賞するなど、その精力的な仕事ぶりには脱帽するしかない。1950~60年代にデビューした川田たちの世代の息の長さと肺活量の大きさは、その下の世代と比較してもやや異常なほどだ。
今回の川田の展示は、日本文化のバロック的な美意識の典型というべき日光をテーマにした新作である。ただ、メインとなる日光東照宮や華厳の滝の画像は1980年代に『藝術新潮』の取材で撮影したもので、それらをデジタル的に加工しつつ、新たに撮影したイメージと合成している。2000年代になって本格的にデジタル表現にチャレンジし始めてから、彼の作品はよりカオス的な流動性が強まっているように感じるが、今回のシリーズはその極致といえそうだ。特に画像の細部からわらわらと湧き出るように出現してくる龍、鳳凰、象、猿、猫などの幻獣たちが、見る者を過剰なエネルギーが渦巻く魔術的世界に引き込んでいく。川田はまた展覧会のテキストとして「日光─寓話」と題する文章を寄せているのだが、これもまた充分に一個の掌篇小説として読むことができるものだ。中井英夫や澁澤龍彦の系譜に連なる幻想譚を書き継いでいくのも面白いのではないだろうか。
2011/05/27(金)(飯沢耕太郎)
宮崎学 となりのツキノワグマ

会期:2011/05/25~2011/06/07
銀座ニコンサロン[東京都]
定点観測によってツキノワグマの生態をとらえた写真展。山道の傍らに設置したカメラは、その道をゆく登山客や犬、猫、そして数多くの熊を映し出したが、ツキノワグマの生態が人間のそれと近しいことに驚きを禁じえない。それは動物を擬人化して撮影する写真家の作為にもとづくというより、むしろツキノワグマと人間の行動原理が根本的にはどこかで通底していることに由来しているように思われる。カメラを収めた木箱を覗きこむ熊の顔は、好奇心にかられるあまりドッキリカメラに易々とひっかかる私たち自身と重なって見えた。私たちが思っている以上に、じつは「立つ」ことができる哺乳類が少なくないように、人間と動物の境界はそれほど明確ではないのかもしれない。
2011/05/26(木)(福住廉)
飯田鉄「二つに分かれる小道のある庭」

会期:2011/05/24~2011/05/29
トーテムポールフォトギャラリー[東京都]
飯田鉄のようなベテランの写真家の展示を見る場合、あらかじめ立てていた予想を裏切られることはあまりない。逆に今回のトーテムポールギャラリーでの個展のように、やや意表をつかれるような作品が並んでいると、とても得をした気分になる。長いキャリアを持つ写真家が、新たなチャレンジをしているのを見ることで勇気づけられるからだ。
飯田は昨年あたりから、たまたま手に入れたベッサ66という旧西独製のスプリングカメラを使って撮影をはじめた。このカメラのレンズにはやや欠陥があって、フィルムの周辺の光量が落ちてしまう。また蛇腹に小さな穴があいていて、きちんと塞いで使わないと光が漏れてしまうことがある。だが、そういうマイナスの要素は、得てして写真家の創造性を拡大することにつながるようだ。飯田のこのシリーズがまさにそれで、結果的に、写っている景色に奇妙なベールのような靄がかかったり、周辺が丸くカットされることで望遠鏡を逆さに覗いたような効果が生じたりしてきていた。
撮影されているのは、ほとんどが飯田の住む荻窪周辺の「家から1キロ以内」の場所だそうだが、あえて旧式のスプリングカメラを使うことで、見慣れた眺めがみずみずしい生気を取り戻しているように感じられる。また、彼はこれまで街や建物の写真を中心に発表してきたのだが、このシリーズには花や樹木などの自然の要素もかなりたくさん入ってきている。「二つに分かれる小道のある庭」というポエティックなタイトルも、特定の「庭」というわけではなく、「庭」を思わせる親密な雰囲気の光景が多く含まれているということのようだ。弾むような撮影の歓びが、じかに伝わってくる写真群だった。
2011/05/24(火)(飯沢耕太郎)
直江沙季「どんづまる」

会期:2011/05/17~2011/05/29
GALLERY SHUHARI[東京都]
DMの写真と「どんづまる」というタイトルを見て、これは面白そうだと思って出かけてきた。インフォメーションにどの写真を使うのか、展覧会のタイトルをどうするのかというのはけっこう重要な問題なのだが、割にいいかげんに決めてしまうことが多い。大事なことなので、充分に留意すべきではないかと思う。
展示の内容はほぼ予想通り。まさに道が行き止まりになって「どんづまる」状況を丹念に採集した写真が30枚ほど並んでいた。このようなコンセプト先行の作品の場合、まずはそのコンセプトをどれだけきちんと成立させているかが問われてくる。直江のこの作品についていえば、カメラの位置、アングル、道とその行き止まりのスペースとの関係、薄曇りの光の条件などがしっかりとそろっていて、ほとんどブレがない。そのことによって、シリーズとしての完成度はかなり高いものになっていた。
ただある程度枚数がそろってくると、それから先が問題になる。次はちまちまとしたアパートが建ち並んでいるような、路地裏の行き止まりの場所を見つけては撮影していく行為が、さらに何かを生み出していく契機になっていくのかどうかが問われてくるだろう。現在の日本の都市の住環境について何かが見えてくるのか、それとももっと個人的な美学に収束していくのか。まだ先は長そうだが、この試みを続けていくことで、新たな発見や認識に結びついていくことを期待したい。
2011/05/24(火)(飯沢耕太郎)
ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー

会期:2011/04/09~2011/06/26
東京オペラシティアートギャラリー[東京都]
あのオペラシティの無機質なギャラリー空間で開かれる写真展てどうなんだろう? と疑問を抱えつつ行ってみた。最初の部屋の都市の写真に娘のスナップを織りまぜた展示を見て、あこりゃダメだと思った。なんで自分の娘を出すかよと。しかしパンフを読むと写真の娘はホンマの子ではないうえ、他人の撮った写真も含まれているというのでちょっと興味がわいた。雑誌の広告を撮った写真を再編集して本にまとめた《リ・コンストラクション》や、野生動物の調査の写真とハンバーガーショップの看板の写真を壁と床に並べたインスタレーション、白い雪に黒い木の枝や赤い血がまるで抽象画のように見える《トレイルズ》を見ていくにつれ、なかなかいいじゃんと思うようになった。最後はホンマが尊敬してやまない中平卓馬を撮った映像だが、なんとタバコに火をつける瞬間をとらえただけの作品。シュバッ! いやあ入ったときとは裏腹に、とてもいい気分で出ることができた。つくづく逆の順で見ていかないでよかったと思う。
2011/05/21(土)(村田真)


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