artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
羽幹昌弘「とうもろこしの人間たち GUATEMALA 1981~2008」

会期:2010/12/15~2011/12/29
銀座ニコンサロン[東京都]
1985年に東京・恵比寿の東京デザイナーズスペースフォトギャラリーで「ある古都の一世紀 アンティグア・グアテマラ 1895─1984」という展覧会が開催された。グアテマラで写真館を経営していた日本人写真家、屋須弘平が19世紀末~20世紀初頭に撮影した古都、アンティグアの風景や建物と、それをまったく同じアングルから撮影した羽幹(うもと)昌弘の写真とを、並べて展示した写真展だ。一世紀近い時を隔てているにもかかわらず、まるで時が止まったようにほとんど変わりがない写真群を目にして、強い衝撃を受けた。それをきっかけとして、屋須弘平について調べ始め、アンティグアにも2度足を運ぶことになった(「グアテマラに生きた写真家 屋須弘平」『日本写真史を歩く』ちくま学芸文庫、1999年所収)。その時のコーディネートと通訳で、羽幹にはいろいろお世話になった。だからその彼の、30年近くグアテマラに通い詰めて撮影した写真を集成した今回の展覧会には、とても感慨深いものがあった。
おそらく、グアテマラを実際に訪れたことがあるかないかで、写真の見方がかなり違ってくるような気がする。写真の多くには民間信仰の儀式の様子が写っている。そのエキゾチックな衣裳や、トランス状態の人々の異様な雰囲気は、充分に一目を引きつける強度を備えている。だが、儀式以外の日常の場面においても、宗教的な空間と同様のテンションの高さがずっと持続し、至るところで奇跡のような出来事が起こってくるのだ。たしかに、僕がグアテマラに滞在したごく短い期間でも、日常と非日常、現実と幻影がせめぎあい、浸透し合っているような場面に何度も遭遇した。そこではまさに、「とうもろこしの人間たち」が歩きまわり、動物や鳥たちが人間のようにふるまう神話的な世界が、ごく当たり前のようにあらわれてくるのだ。羽幹はそんな光景を淡々と写しとっているのだが、見方によっては怖い写真ばかりだ。見ているうちにふっと足元の地面が消え失せて、体ごと宙にさらわれそうに感じてしまう。
2010/12/18(土)(飯沢耕太郎)
塩田正幸 “SFACE” “DNA(Dirty Npeaker All)”

会期:2010/12/11~2011/01/30
G/P GALLERY[東京都]
塩田正幸の名前は以前からよく目にしていたのだが、最近になってその仕事の面白さがようやく見えてきた。最初に注目したのは2008年の写真集『ANIMAL SPORTS PUZZLE』(TOKYO CULTUART)で、子どものいたずらのように組み合わされたカラフルなオブジェの集合体を撮影したものだ。そのでたらめとも思える発想の方向性や瞬発力が日本の同世代の写真家たちとは違っているように感じた。聞くところでは、ノイズ系のミュージシャンとしても活動しているということで、そのあたりの刺激に全身でさっと反応していく感覚が、写真にも独特のリズムを生んでいるのだろう。
3年ぶりという今回の個展でも、あまり一つの方向に収束していくことなく、ノイズを撒き散らしていくような彼のスタイルがよくあらわれていた。巨大なモノクローム・コピーのポートレート、ライトペンで一筆書きしたようなグラフィティ的な作品、カラープリントを屋外に放置して埃を積もらせたシリーズなど、やりたいことをやり放題で形にしていっている。その全方位的なアンテナの感度を、どこまで保ち続けることができるかはわからないが、今のところはこの調子で突っ走っていっても大丈夫ではないだろうか。自主レーベルの写真集作りにもセンスのよさがうかがえる。こちらも、どんどん出していくといいのではないかと思う。
2010/12/11(土)(飯沢耕太郎)
林田摂子・福山えみ「森をさがす/月がついてくる」トークショー

会期:2010/12/10
2010年8月に『森をさがす』(ROCKET BOOK/CAP)を刊行した林田摂子と12月に『月がついてくる』(冬青社)を出版したばかりの福山えみ。どちらもファースト写真集が出て、これからの活動が期待される。そんな二人の写真家が、東京・四谷のトーテムポールギャラリーで連続展(林田展12月7日~12日、福山展12月14日~19日)を開催した。それにあわせてギャラリーと出版社を経営している冬青社代表の高橋国博氏と僕が加わって、トークショーがおこなわれた。
フィンランドを舞台にして、静かな、だがどこか切迫した緊張感がある「物語」が展開する『森をさがす』と、遮蔽物の隙間から向こう側を覗いているような、奇妙な味わいのモノクロームの光景が並ぶ『月がついてくる』。両方ともクオリティの高い写真集だが、内容的にはそれほど共通性はない。だが林田も福山も、ある意味頑固に、自分の見方、作品の構築のスタイルにこだわっている。それと、イマジネーションのふくらみを感じさせるタイトルを見てもわかるように、二人とも言語能力がかなり高い。高橋氏から、北井一夫が提案した作品の順番を、福山がまったく無視して変えてしまった話などが暴露されて、会場は大いに盛り上がった。また、林田が東京綜合写真専門学校時代に、鈴木清の「最後の教え子」だったという話も興味深かった。林田も鈴木清と同様に、本番前にダミー写真集を何冊も作っている。最終的な写真構成、レイアウトを決定するまで、粘り強く、ダミーを作りながら持って行くプロセスは、師匠譲りといえるのではないだろうか。
二人とも、次作がどんなふうに変わっていくのかが、楽しみでもあり、心配でもある。守りに入ることなく、意欲的に新たな領域にチャレンジしていってほしい。
2010/12/10(金)(飯沢耕太郎)
生誕百年記念展──写真家・名取洋之助

会期:2010/11/30~2011/12/26
JCIIフォトサロン・クラブ25[東京都]
名取洋之助は1910年に生まれ、62年に亡くなっている。ということは、享年52歳ということで、あらためてそのことに気づいて愕然とさせられた。彼が生涯に成し遂げたさまざまな仕事、日本工房(1933~39年)、国際報道工芸(1939年~45年)、『週刊サンニュース』(1947~49年)、『岩波写真文庫』(1950~59年)などと比較して、その没年齢が余りにも若すぎるように思えるからだ。20歳代前半から、写真と編集の世界を息せき切って走り続けたということのあらわれだろう。
今回のJCIIフォトサロン・クラブ25での「生誕百年記念展」には、戦前のドイツ、アメリカ、朝鮮、満州などの写真から、戦後の中国・麦積山、最晩年のヨーロッパ・ロマネスク彫刻の写真まで、代表作150点余りが展示されていた。その中には年上の妻、エルナ・メクレンブルクを撮影した初々しいポートレートも含まれている。名取はいわゆる「うまい」写真家ではない。中国の仏教遺跡、麦積山石窟の写真を、3日間で3000カット撮影したというエピソードが示すように、とにかく大量に集中して撮影し、そこから雑誌記事や写真集にふさわしいカットを選び出していく。その基準は、明解でわかりやすい「模様的な」構図、感情移入をしやすい人物の表情、動きのあるいきいきとした雰囲気などである。写真を視覚的なコミュニケーションの手段として、いかに効果的に使いこなしていくのかという姿勢が、徹頭徹尾貫かれているのだ。
このような効率一点張りの姿勢には、むろん彼の生前から批判があった。だがいま見直してみると、当時のフォト・ジャーナリズムを支えていたポジティブな楽観主義が、むしろ好ましいものに思えてくる。名取も若かったが、日本の写真表現それ自体が「青春時代」のまっただ中だったということだろう。
2010/12/09(木)(飯沢耕太郎)
第12回三木淳賞 金川晋吾 写真展「father」

会期:2010/12/07~2011/12/13
ニコンサロンbis新宿[東京都]
三木淳賞は、ニコンが主催する35歳までの若い写真家たちの公募展「Juna21」の出品作から選出される賞。今年の第12回三木淳賞には、2010年2月23日~3月1日に新宿ニコンサロンで開催された金川晋吾の「father」が選ばれた。
金川は1981年生まれ京都生まれで、東京藝術大学先端芸術学科大学院在学中。「蒸発」をくり返す父親にカメラを向けたこのシリーズは、以前からずっと気になっていたものだが、2月~3月の展示を見過ごしていたので、受賞記念展が開催されたのはありがたかった。家族や社会との関係を自ら断ち切り、「何もない人間」になってしまった父親を撮影し続けることによって、かろうじてその存在の痕跡を浮かび上がらせようとする切迫した行為の集積であり、微温的なもたれあいを感じさせる凡百の「家族写真」とは完全に一線を画する。「何もない人間」が発する荒廃の気配が、写真にぬぐい切れずに漂っていて、痛々しく、不気味でさえあるのだ。とはいえ、ぎりぎりの撮影行為を続けることで、なぜかほのかな「希望」のようなものがあらわれてくるように感じるのはなぜだろうか。ここからさらに何かが見えてくる可能性を秘めた、新たなドキュメンタリーの方法論が模索されている。
一緒に展示してあった「2009・4・10~2010・4・09」と表紙に記されたフォトブックも興味深かった。父親本人にカメラを持たせ、毎日セルフポートレートを撮影してもらう。その一年間の写真の集成である。時々抜けている日もあるが、それでもかなりこまめに撮影を続けている。その無表情の集積を見ているうちに、哀しみとも怒りとも虚しさともつかない感情がじわじわとせり上がってくる気がした。
2010/12/08(水)(飯沢耕太郎)


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