artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
キリコ個展「旦那 is ニート」

会期:2010/03/01~2010/03/06
Port Gallery T[大阪府]
8年間の交際の後結婚した夫がニートになり、離婚へと至る過程を捉えた写真作品。スライドショー形式で上映された。夫婦関係が冷えていく過程では抜き差しならない局面もあったと思われるが、激情のシーンはなく抑えた描写が淡々と続いた。自身が新たな人生を始めるための通過儀礼としてつくられた作品なのかもしれない。本作は'09年の「写真新世紀」で荒木経惟に高く評価され佳作に入選したそうだが、文字通りの私写真なのでそれも納得である。なお、本展は4月に東京の企画ギャラリー明るい部屋でも開催される。
2010/03/01(月)(小吹隆文)
高木こずえ「MID」

会期:2010/02/17~2010/03/12
第一生命南ギャラリー[東京都]
第35回木村伊兵衛賞を受賞した高木こずえの写真展。日本橋高島屋の美術画廊XではVOCA展2009にも出品していた「GROUND」シリーズを展示していたが、ここでは「MID」というシリーズを発表した。壁面に縦横無尽に貼りつけられた写真に写し出されているのは、暗闇のなかストロボで浮かび上がった田んぼやガードレール、牛、猫。典型的な田園風景を無造作に撮影したスナップショットのようでありながら、どういうわけか、しばらく見続けていると、昔見た夢のなかを漂っているかのような錯覚を起こす。爆発的なエネルギーを体感できる「GROUND」とは対照的に、「MID」はどこまでも吸い込まれていきそうな恐ろしさが魅力だ。海面すれすれで旋回する飛行機の機影をとらえた写真など、謎めいたモチーフも観覧者の心をざわめきたてる。
2010/02/26(金)(福住廉)
渡邊聖子「否定」

会期:2010/02/23~2010/02/28
企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]
どちらかというと「ゆるい」写真展が多い明るい部屋の企画にしては、洗練と緊張感のバランスがほどよく保たれている展示だ。渡邊聖子は昨年の「写真新世紀」で佳作に入賞している若手女性作家だが、これまでは自分の方向性をひとつにまとめ切れていない迷いが見られた。ところが今回の展覧会では、確信を持って作品を選び、会場を構成している。自分のなかで、何か吹っ切れたところがあったのではないだろうか。
展示はテキストと写真の二つの部分に分かれる。テキスト部分では、まず「鏡を見なくてもわかる/今、あなたはうつくしいはずだ」という文章が提示され、それが二重、三重に否定されていく。それと対置されているのが、家の近くの道端でほとんど無作為に拾ってきたという石をクローズアップで撮影し、A3判くらいの大きさに引き伸ばした7点の写真で、テキストにも写真にもちょうどその大きさにカットされた板ガラスが被せられている。渡邊の意図を完全に読み解くのはむずかしいが、テキストと写真が相補うことで、モノクローム─カラー、確かさ─不確かさ、揺らぐもの─固定されているものといった対立軸が生まれ、見る者を思考の迷路に誘い込んでいく。その手つきに、迷いがないので、タイトルとは逆に「これでいいのだ」と思わされてしまう。いつのまにか否定─肯定という対立軸を含めて、その関係性がなし崩しに解体し、同じ現象の裏と表のように見えてくるのだ。
今回の展示は、彼女の飛躍のきっかけになりそうだ。そののびやかな構想力、思考力をさらに積極的に展開していってほしい。
2010/02/24(水)(飯沢耕太郎)
蔵真墨「蔵のお伊勢参り」

会期:2010/02/19~2010/03/13
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
蔵真墨の「蔵のお伊勢参り」のシリーズは2003年の東京・日本橋界隈から開始され、東海道をひたすら移動してようやく伊勢まで辿り着いた。今回のツァイト・フォト・サロンの個展はいわばその完結編で、名古屋から伊勢神宮までの道筋が被写体になっている。
6×6判のカメラによる中間距離のスナップという彼女の撮影のスタイルは、このシリーズを結果的に「中途半端」なものにしている。これは決してけなしているわけではなく、その「中途半端」なたたずまいこそが、現代日本の基調となる空気感をあぶり出しているように思えるのだ。被写体となっている人々も、特異性と匿名性のあいだに宙吊りになっており、いかにもどこにでもいそうでどこにもいない雰囲気で写っている。『アサヒカメラ』(2010年3月号)の「撮影ノート」に「この10年ほどで時代はどんどん閉塞し、その影響はさりげなくもはっきりと表れ、私もまたその影響下を生きている」と書いているが、たしかに蔵の写真に写っているのは、「閉塞」の状況のひとつの断面図だ。この国の全体が、何とも居心地の悪い「中途半端」さに覆い尽くされているのではないだろうか。それはまた、スナップ写真(特に顔が写っている写真)の撮りにくさに対する異議申し立てでもあるのだろう。
同時期に、モノクロームのスナップ写真を集成した写真集『kura』(蒼穹舎)も刊行された。こちらの方が、時代状況への違和感がより強く表明されているように思える。
2010/02/23(火)(飯沢耕太郎)
高木こずえ「GROUND」/「MID」

会期:2010年2月17日~3月15日/2月17日~3月12日
1985年生まれの高木こずえの潜在能力の高さは、今回の二カ所の個展でも充分に発揮されていた。赤々舎から昨年刊行された二冊の写真集『GROUND』と『MID』に沿った展示だが、それぞれ微妙にその内容を変化させている。
日本橋高島屋6階美術画廊Xの「GROUND」では、メインになる150.4×125.4センチの大きな二枚組の作品と、それらを「更に細かく分解し、それらを構成している元素を確かめていった」小さな作品群を展示している。エレメントの一つひとつは、ヒト、モノ、動物など生命的なイメージの集合体であり、高木はその自己分裂の運動に身をまかせつつ、解体─生成のプロセスを巧みにコントロールする。細部に眼を凝らせば凝らすほど、そこから思いがけない神話的な形象がわらわらと湧き出してくるような仕掛けを作り出すことで、見る者はビッグバンのようなとてつもないエネルギーの噴出の場に立ち会うことができるのだ。今回は、そのカオス状態をさらに推し進めた新作「light」も同時に展示されていた。そこでは、目が眩むような白熱する発光体が、より細かく、鋭角的に分割されている。
第一生命南ギャラリーの「MID」でも、元の写真に大きく手を加えた作品がある。印象的なエメラルド色の眼をした「オトコ」のイメージが、炎のような背景の赤をさらに強調するようにトリミングされているのだ。もともとこの写真は、高木の夢のなかに出てきた姿をなぞって、セットアップして撮影されたものだった。今回の操作によって、悪夢めいた禍々しい雰囲気が強まり、それが展示の全体にも奇妙に歪んだ磁場が生じるように働きかけていた。フレームに入れられた20点ほどの作品の周囲には、小さくプリントされた写真が撒き散らすように貼られているのだが、それらが呪符のようにも見えてくる。
どちらも工夫を凝らしたいい展示だが、彼女の写真の世界はもう一段階スケールアップしていくのではないかと感じる。力作をこれだけ見せられても、まだ潜在的な可能性を全部出し切っているようには思えないのだ。高木にとっては、ここから先が正念場になるだろう。
2010/02/22(月)(飯沢耕太郎)


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