artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

杉本博司 歴史の歴史

会期:2009/04/14~2009/06/07

国立国際美術館[大阪府]

意味深なタイトルが付けられた本展。会場には本人の作品と収集物(化石、隕石、書籍、建築の残骸、仮面、考古遺物、宇宙食、美術品、etc...)が大量に持ち込まれ、美術と諸科学が巨大な渦を巻くような混沌とした空間が形成されていた。その渦の中で攪拌されるわれわれ観客は、否が応でも感性のツボを刺激され、まるで覚醒へと誘われるかのよう。それでいて、作品の配置でちょっとしたストーリーを作ったり、見立てを駆使するなど茶席のもてなしのような遊び心も。また、照明には細心の注意がはらわれており、国立国際美術館が普段とはまるで異なる空間に変身したことにも驚かされた。出品物全てが杉本の所有品ということも含めて、こんな贅沢な展覧会は滅多に見られるものじゃない。清濁併せのんだ大人が本気で遊んだらこうなるんだ、という稀有な一例であろう。

2009/04/13(月)(小吹隆文)

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やなぎみわ マイ・グランドマザーズ

会期:2009/03/07~2009/05/10

東京都写真美術館[東京都]

やなぎみわの個展。《マイ・グランドマザーズ》シリーズのなかから新作を含めた、およそ30点を発表した。若い女性が思い描く50年後の自身の姿を視覚化した写真は、それぞれ個性的で、個別的に見れば、たしかにヴァリエイションに富むものだが、全体的に見れば、どれも想像力が類型化されており、だから写真を見ていくうちに次第に興味が失われていく。若い女性が思い描く「老い」の、なんと薄っぺらいことだろう。当然といえば当然だが、「老い」というどうしょうもない現実に直面していない者に「老い」を想像させることにどれだけの意味があるのか、いまいちわかりにくい。余計なおせっかいを承知でいえば、作家が被写体の安直な欲望を相対化する「他者」の働きを徹底することができていれば、あるいはもっと別の世界がありえたのではないだろうか。

2009/04/12(日)(福住廉)

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篠山紀信「NUDE!! NO NUDE!? By KISHON」

会期:2009/04/01~2009/04/22

NADiff A/P/A/R/T[東京都]

地下のNADiff gallery、2FのG/P+ArtJam Contemporaryとmagical ARTROOM、さらに4Fのカフェまで、NADiff A/P/A/R/T(恵比寿)の全館を使った「裸祭り」である。桜の季節にふさわしい企画ともいえるのだが、なぜ急に篠山紀信のヌードがこれほどあふれかえっているのかといえば(『美術手帖』『広告批評』も特集を組んだ)、「50年にわたるNUDE PHOTOをリミックスした」写真集『NUDE by KISHIN』(朝日出版社、Shirmer/Mosel)のプロモーションという側面が強いのではないかと思う。それと昨今の経済事情の悪化と社会の閉塞感を反映して、「何か元気になるもの」が意識的に求められているのではないだろうか。「侍JAPAN」のWBC優勝祝賀と同じムードが感じられる。
たしかに篠山紀信のヌードは晴れがましく、祝祭的な気分に満ちあふれている。逆にいえば、ヌードにつきまとってきた淫靡さ、エロティシズムの闇の部分がここまでまったく見えてこないのも奇妙といえば奇妙だ。モデルになっている女性たちは、あたかもきらびやかな鎧を身に着けているように、堂々と立派な肉体をカメラの前にさらしている。そのあたりに物足りなさを感じる人もいるかもしれないが、ここまであっけらかんとエロス礼賛を貫かれると、呆れつつもたしかに気持ちが昂揚してくる。いわゆる「草食系男子」がどんな反応をするのか(あるいはまったく反応しないのか)はわからないけれど。
2Fの二つのギャラリーで展示されていた「1960~70年代のヴィンテージ写真」は、別な意味で面白かった。カルメン・マキや秋川リサの若かりし頃の写真を見ているとヌードもまた「ドキュメンタリー」であることがよくわかる。ここでもポジティブな姿勢は貫かれていて、彼女たちの肉体の輝きがそのピークの瞬間で捉えられている。

2009/04/08(水)(飯沢耕太郎)

野町和嘉「聖地巡礼」

会期:2009/03/28~2009/05/17

東京都写真美術館 地下1階展示室[東京都]

かつて1980年代~90年代の一時期、日本にも「ヴィジュアル雑誌の時代」が訪れかけたことがあった。『月刊PLAYBOY』(集英社)、『マルコポーロ』(文藝春秋)、『DAYS JAPAN』(講談社)といった雑誌が次々に創刊され、写真家をフィーチャーした特集が口絵ページを飾った。そんな時代にアフリカ、チベット、中近東と、文字通り地球を駆け回って活躍していたのが野町和嘉で、その圧倒的な迫力を備えた写真群は読者に衝撃を与えた。行動力と映像センスを兼ね備えた、こんなにスケールの大きな写真家が日本に出てきたことに驚かされたし、実際彼の『ナイル』や『サハラ』や『メッカとメジナ』などのシリーズは国際出版の写真集として次々に刊行され、世界中で読者を獲得していった。
今回の「聖地巡礼」展は、その野町の新作「ガンガー」を中心とした回顧展である。衰えない創作意欲とともに、今は彼のような写真家にとってきつい時代になりつつあることをひしひしと感じる展示でもあった。雑誌のインタビューでお会いした時、「かつては一つのジャンルで100人の写真家が食えていたのに、今は10人で充分になってきている」と語っていたが、これは掛け値なしの実感だろう。雑誌の廃刊が相次ぎ、特集記事などでもエージェンシーの写真の使い回しが目立ってきている。だがそれでもなお、ガンジス川の源流から河口までを宗教儀式を中心に撮影した「ガンガー」や、やはり2000年代になって集中して取り組みはじめた「アンデス」のシリーズなど、人間という存在の最も純粋な瞬間である「祈り」の場面に据えられた彼の視点には、いささかの揺るぎもない。大河の流れのようにゆるやかにうねりつつ進む写真展示。ずっと長く見続けていたいという思いに誘われる。

2009/04/05(日)(飯沢耕太郎)

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林田摂子「箱庭の季節」

会期:2009/03/30~2009/04/16

ガーディアン・ガーデン[東京都]

1976年生まれの林田摂子は、2006年の第27回「写真ひとつぼ展」に「森をさがす」という作品を出品した。僕はこの時の審査員だったので、彼女がグランプリ受賞を逃したのがとても残念だった。たしか5人の審査員の票が2対3に分かれて、惜しくも受賞できなかったと記憶している。
だから今回、グランプリ受賞者以外の作家に展示の機会を与える「The Second Stage」という枠で彼女の個展が実現したのは本当によかったと思う。今回発表したのは、長崎の母方の実家を撮影した「箱庭の季節」というシリーズ。実家はお寺で、祖母と伯父、伯母、その子どもたちの姿が、彼らを取り巻く環境ごとゆったりと写し出されている。いわゆる「里帰り写真」の系譜にあるもので、テーマにとり立てて新鮮みはないが、目のつけどころがしっかりしていて、自分のリズムに見る者を誘い込んでいく写真の並べ方がうまい。小説でいえば、「文体」がきちんと整っていて、安心して文章の流れに身をまかせていられるのだ。淡々とした日常の場面に、ふとエアポケットのようなほの暗い裂け目を感じるが、その入れ込み方に才能の閃きを感じる。もっと「成長」が期待できそう。大切に守り育てていってほしいシリーズである。
それにしても「森をさがす」はいい作品だった。こちらはフィンランドを舞台に、「底の底の一番大切なものは静かにあり続ける」(本展のチラシに寄せた林田のコメント)という言葉がぴったりの、さらに奥深い、一度見たら忘れがたいシリーズである。写真集にまとめられるといいと思うのだが、どこかに奇特な出版社はないものだろうか。

2009/04/02(木)(飯沢耕太郎)