artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
吉原治良賞記念アートプロジェクト contact Gonzo:「the modern house──或は灰色の風を無言で歩む幾人か」project MINIMA MORALIA section 1/3
会期:2009/02/11~2009/02/20
大阪府立現代美術センター[大阪府]
どつき合いの喧嘩がそのままダンスになるcontact Gonzoのパフォーマンス。3年前に彼らを知った時の驚きは今も鮮明だが、同時に一発屋の懸念も抱いていた。久々に彼らのパフォーマンスと活動記録を見て、その表現には大きな可能性があることを改めて実感した次第。彼らの今回の活動は、刷新され約3年もの月日をかけて展開された「吉原治良賞記念アートプロジェクト」によるもの。同賞の主旨はさておき、3年間にわたって観客の注目を維持し続けるのは、やはり不可能と言わざるを得ない。私も途中で脱落したため、プロジェクトの全体像は把握できていない。この点は次回以降見直しが必要だと感じた。
2009/02/14(土)(小吹隆文)
堀越裕美「世界のはて LITTORAL DU BOUT DU MONDE」

会期:2009/02/04~2009/02/17
銀座ニコンサロン[東京都]
堀越裕美も、文化庁の芸術家海外留学制度で2005年から2年間フランスに滞在したことが飛躍のきっかけになった。とかくいろいろ問題点が指摘されることの多い制度だが、作家本人の成長の曲線とうまくフィットすると、実り多い刺激になることも多いということだろう。
堀越は1968年生まれ。92年に東京綜合写真専門学校を卒業し、96年に個展「海のはじまり」(フォト・ギャラリー・インターナショナル)でデビューした。99年に同じギャラリーで開催した「海のはじまり2」も含めて、しっかりとした画面構成力とプリントの能力は卓越したものがあったが、とりたてて印象に残る仕事ではなかった。ところが今回の展示では、表現に柔らかみが出てくるとともに、彼女の作品世界が確立しつつあるように感じる。
タイトルの「LITTORAL DU BOUT DU MONDE」というのは、フランス・ブルターニュ地方の最西端に実際にある地名である。ヨーロッパの中心部から見れば、そこはまさに文明の果つるところだったのだろう。だが堀越は、波と砂と光と霧の、何とも茫漠とした風景を細やかに描写するだけではなく、そこに人間たちの姿を点在させている。彼らは風景に溶け込みながら、何かしら微かな身振りで自分たちの存在を主張しているように見える。つまり「世界の終わり」はそこで「世界のはじまり」の場所に転化しようとしているようにも思えるのだ。
そこから見えてくるのは、単純なペシミズムでもロマンティシズムでもない、自然と人間の新たな関係を構築するという意志なのではないだろうか。この大きなテーマが、今後堀越の中でどんなふうに動いていくかが楽しみだ。
2009/02/13(金)(飯沢耕太郎)
佐々木加奈子 展「Okinawa Ark」/佐々木加奈子「Drifted」

- 佐々木加奈子 展「Okinawa Ark」
- 資生堂ギャラリー[東京都](2009/02/06~2009/03/01)
- 佐々木加奈子「Drifted」
- MA2 Gallery[東京都](2009/02/13~2009/03/14)
2004年に「写真ひとつぼ展」の審査で初めて佐々木加奈子の作品を見た時、少女趣味のセルフポートレートという印象で、それほど面白いとは思わなかった。ところがそれから数年で、彼女は芋虫が蝶に変身するようにアーティストとして大きく成長し、凄みのある作品を次々に発表するようになった。器の大きさを見抜けないと、こういうことになる。言い訳するわけではないが、2006年に文化庁の芸術家海外研修でアメリカからロンドンに移り、ヨーロッパの伝統と革新性とが同居する環境に身を置いたことが、彼女に大きな飛躍をもたらしたのだろう。
今回の資生堂ギャラリー、MA2 Galleryの両方の個展とも、現在の彼女の関心の幅の広さと表現力とが充分に発揮されていた。「Okinawa Ark」は南米・ボリビアの「オキナワ村」を取材した映像・写真・インスタレーション作品。第二次世界大戦後、沖縄からボリビアに移住した人たちの子弟が通う小学校の普段着の佇まいを撮影した三面マルチスクリーン映像を中心に、佐々木自身が「少女」を演じる映像作品、一世から三世までの三世代にわたる家族のポートレート、さらに実物の木造の小舟のインスタレーションなどが、効果的に組み合わされていた。テーマになっているのは、戦争の傷跡を背負った移民という重いテーマだが、波間を漂う船のように揺れる映像など、彼女自身の身体性や生理感覚を通して表現されていることに説得力がある。
MA2 Galleryの「Drifted」では、より個人的な体験から導きだされたという印象が強まる。1Fに展示されているのは、アーティスト・イン・レジデンスで滞在したアイスランドで撮影された風景写真と、現地の新聞を折りたたんで作った紙の舟のインスタレーション。2Fには、暗闇の中を懐中電灯の光で照らして見る仕掛けの部屋が作られており、アイスランドやテキサスの荒涼とした大地を月世界に見立てた中に、Google Earthの広島市上空からの空撮写真なども含まれていた。両方の個展に「舟」が登場してくるが、そこにはあてどなく漂流しながら、過去と現在、自然と人間の世界、ある場所と別な場所を結びつけ、繋いでいこうとする彼女自身の姿が象徴的に投影されているように感じる。
そういえば、津田直も『漕』(2007)で「舟」のイメージを召喚していた。同世代(1976年生まれ)である佐々木加奈子もまた、神話的なシャーマニズムへの志向を作品に取り込もうとしているのが興味深い。
2009/02/13(金)(飯沢耕太郎)
人生劇場 鬼海弘雄 写真展

会期:2009/02/05~2009/03/01
GALLERY RAKU[京都府]
鬼海が1973年以来撮り続けているポートレイト写真のシリーズから、約50点を紹介。すべて東京・浅草寺の壁の前で撮影されており、被写体は市井の人々ばかりだ。とはいえ、誰もがあまりにも個性豊かで、臭ってきそうな濃いオーラを放っている。なかにはとても平成の世とは思えない人も。浅草の土地柄が彼らを呼び寄せるのだろうか。そういえば大阪の新世界にも彼らと似た雰囲気の人々がいる。一貫して真正面から撮影し、肖像画を思わせる高潔な作風にすることで、かえって素の人間性を露わにしているのが見事だ。
写真:《革の背広を着た男
1985》
2009/02/11(水)(小吹隆文)
石川真生 写真展「Laugh it off!」

会期:2009/01/30~2009/02/28
TOKIO OUT of PLACE[東京都]
奈良で地道な活動を4年間続けてきた写真ギャラリー、OUT of PLACEが東京・広尾に進出してきた。この大変な時期に思い切った決断をしたものだが、観客の入りはスタートとしては悪くないようだ。
第一弾は沖縄の“女傑”石川真生の展示である。一九七〇年代以来、体当たりで沖縄の現実に対峙し続けてきた彼女は、腎臓癌、直腸癌の手術後、セルフポートレートを撮影しはじめた。手術痕や人工肛門が生々しく写り込んだそのシリーズには、降りかかる苦難を笑い飛ばしつつ、クールに自分の体を見続けていこうという強固な意志があらわれている。近作はなんとカメラ付き携帯で撮影したセルフポートレート。そのスカスカの質感、微妙に狂った色味が、思いがけないほどリアルに、彼女の「いま」を浮かび上がらせる。
会場には1986年の「Life in Philly」(89枚)と88年の「Filipina」(48枚)の連作も、壁いっぱいにピンナップされて展示してあった。セルフポートレートとは対照的に、気持ちよく目に飛び込んでくるモノクロームのドキュメンタリーだ。米軍基地にいた黒人兵士を故郷のアメリカ・フィラデルフィアまで訪ねて撮影した「Life in Philly」、金武町の外人バーで働くフィリピン人ホステスたちを追った「Filipina」とも、石川の被写体の側に踏み込みつつ、きちんと節度を保つ姿勢がしっかりと刻み込まれている。まるで戦場カメラマンのような距離感。彼女を取り巻く沖縄の現実がそれだけ苛酷だったということだろう。
2009/02/04(水)(飯沢耕太郎)


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