artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
井上廣子 写真展「Inside-Out」
会期:2009/04/03~2009/04/25
FOIL GALLERY[東京都]
写真家・井上廣子の個展。精神病院や少年院の室内を写した写真を壁面に展示するとともに、写真を載せたライトボックスを床置きにして並べたインスタレーションを発表した。照明を落とした空間に浮かび上がる色彩は鮮やかで幻想的だが、一点一点をよく見ると、人が隔離されている場所に特有のはりつめた空気感が立ち込めている。人体は一切写りこんでいないものの、ベッドの白いシーツには人肌の温もりが残されているように見えるし、廃墟のように剥がれ落ちた壁面は、その部屋の主のどうにもならない内面への求心力の痕跡のようだ。時間が停止したような空間でありながら、そこには生々しい息づかいがたしかに感じられる。しかも、外界との唯一の接点である窓の向こう側が白く霞み、ほとんど見通せないから、写真を見る者はまるで鉄格子の内側に収監されたような錯覚に陥るのである。
2009/04/23(木)(福住廉)
杉本博司「歴史の歴史」

会期:2009/04/14~2009/06/07
国立国際美術館[大阪府]
遅ればせながら、金沢21世紀美術館から大阪の国立国際美術館に巡回して来た杉本博司の「歴史の歴史」展を観ることができた。既に新潮社から刊行された図録を兼ねた作品集に目を通していたので、出品内容はわかっているつもりだった。だが、当然といえば当然だが、書物の上の図像と実物の展示の印象はかなり違う。印刷されたイメージでは、作品そのものの大きさや物質感が把握できないので、展示を観て「なるほど」と納得させられることが多かった。
展示は大きくB2FとB3Fの会場に分かれている。B2Fは「化石」から始まって杉本自身の「海景」シリーズ、鎌倉~室町時代の古面などが仰々しい照明によって浮かび上がり、正直、その重苦しさに圧迫感を感じた。だがB3Fの近代以降の「歴史の歴史」の展示になると、杉本の思考の運動が軽やかな諧謔の精神とともに伝わってきて、思わずチェシャ猫のようなにやにや笑いが広がってくるのを抑さえることができなかった。特に最後のパートのマルセル・デュシャンの「大ガラス」+「放電場」のフォトグラムのシリーズは、観客を煙に巻く杉本の「マッド・サイエンティスト」ぶりが堂に入っていて、大いに楽しめる。杉本の仕事が「笑える」ものであることを、僕自身はじめて認識することができたし、本人もそれをわかってもらいたかったのではないだろうか。
それにしても、これだけの展示を自分の作品とコレクションだけでやってのけるというのは凄過ぎる。コレクターとしての無償の情熱こそが、彼の作品制作の最大の動機ということなのだろう。
2009/04/19(日)(飯沢耕太郎)
浅田政志「浅田家 赤々・赤ちゃん」

会期:2009/04/16~2009/05/17
AKAAKA[東京都]
今年の木村伊兵衛写真賞を受賞したばかりの浅田政志の展覧会がいっせいに開催されている。本展のほかにもパルコギャラリー(4月3日~27日)とコニカミノルタプラザ(4月21日~30日)で「浅田家」展が開かれた。だがこれらの展示は受賞記念展の色合いが強く、作品も写真集『浅田家』(赤々舎、2008)に収録済みのものばかりである。唯一本展でのみ、彼の新作を見ることができた。
「浅田家」の面々が登場する撮り下ろし作品は、これまでのシリーズの延長上であまり新味はない。ただ会場に飾られていた父親が描いた絵、母親と兄嫁が作った造花やぬいぐるみは、味わい深くて実によかった。それよりも、数はまだ15点ほどだが、他の家族を撮影した「みんな家族」のシリーズは、次の展開が期待できるものだった。このシリーズも、コンセプトは「浅田家」と共通していて、家族があるシチュエーションの人物群像に成りきってコスチューム・プレイを演じている。東京都写真美術館で展示された、やなぎみわの「マイ・グランドマザーズ」と同じようなコンセプトだが、浅田の作品は開放感があって気持ちよく見ることができる。家族全員が楽団を演じたり、野球の試合をしたり、結婚式に参加したりという設定が、日常の延長で無理がなく、その作り込み方もかなり「ゆるい」からだろう。だがそれが逆に、今の日本の家族像をややシニカルな哀しみを込めて描き出しているようにも見える。
ところで、今回の浅田政志の木村伊兵衛写真賞の受賞については少し異論がある。浅田の作品がつまらないというのではなく、どうも「穴馬」的な受賞が続いているような気がするのだ。木村伊兵衛写真賞にしっかりとした権威があり、そこに風穴を開けるということなら浅田のようなトリッキーな作品でもいいが、もはやそんな正統性などはまったく感じられない。とすると、同じ赤々舎から写真集が出ている写真家でいえば津田直や黒田光一やERICのような、折り目正しい「正統派」を選んだ方がいいのではないだろうか。
2009/04/16(木)(飯沢耕太郎)
頭山ゆう紀『さすらい』/『境界線13』

- さすらい
- 発行所:アートビートパブリッシャーズ
発行日:2008.11.13 - 境界線13
- 発行所:赤々舎
発行日:2008.11.13
ずいぶん前に買っておいた本だが、頭山ゆう紀の2冊の写真集をじっくり見直した。『さすらい』は「東京での出来事にうんざり」していた時、たまたま京都行きの話があり、そのまま過ごした時間、出会った人たちを撮影して封じ込めたもの。『境界線13』は「1人の女の子が、境界線は消えたと歌い、死んだ」という出来事を背骨に、身のまわりにカメラを向けた写真集。モノクローム、やや広角気味のレンズ、左右に少し傾きがちな画面など、基本的なスタイルが同じなので、別々に論じる意味はあまりなさそうだ。
こういう「生」に密着した私小説写真は特に珍しくもないし、これまでもうんざりするほど見てきた。にもかかわらず、頭山の写真が目と心にひっかかってくるのは、基本的に被写体を見つめる姿勢がよく、写真の骨格がしっかりしているからだろう。特に何かに押し潰されるように脱力して、横たわる姿勢をとる人物たちを撮影すると、彼らの存在そのものから滲み出る倦怠や疲れが、写真の中を緩やかに漂い、巡っていくようで「ほお」と声を挙げたくなる。
とはいえ、ここから先がむずかしいところで、「ここで過ごした時間は写真というカタチに濃縮され、これからもここに存在し続ける」(『さすらい』)とか「“時間”と“存在”は静かに闇となって光り続ける。そしてまた新たにここから始まるのだろう」(『境界線13』)といった、ありきたりの「感想」で留まっていると、先細りになるだけだろう。“時間”とか“存在”とかいった言葉が出てきたところで安心していないで、ではその“時間”は自分にとってどんな“時間”なのか、“存在”はどういうカタチをしているのか、しっかり確認しながら進んでいかないと、姿勢のよさだけでは次につながっていかない。両写真集に跋文を寄せている石内都のしつこさを見習うべきではないだろうか。
2009/04/16(木)(飯沢耕太郎)
「思い通りに消せない記憶」/「イン・マイ・マザーズ・フットステップス」*

会期:2009/04/11~2009/05/17
トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]
「遠くて身近な歴史──1968年そしてホロコースト」とサブタイトルがついた、東京でのアーティスト・イン・レジデンスの成果の発表展。アメリカのマッカラムとタリーは、「1968年」という特別な年にスポットを当てている。いうまでもなく、世界的に革命の気分が盛り上がり、スチューデント・パワーがピークに達した年であった。彼らが東京で制作した作品は、街頭デモや三億円事件などの報道写真を元にして絵を描き、その上にシルクスクリーンにプリントされた写真をややずらして重ねている。その「ズレ」がとても効果的で、3D画像のようにぼんやりと浮かび上がってくるイメージが、事件が記憶のなかで風化し、幻想と現実の間に宙吊りになった雰囲気を見事に表現していた。ほかにアメリカの黒人公民権運動をテーマに、趣味よくまとめた映像作品もあった。
イギリスとイスラエルの国籍を持ち、ドイツで活動するユダヤ人のガバルシュは、母親、サラの第二次世界大戦中の記憶を辿る写真作品を出品していた。ドイツ生まれのサラはオランダに逃れるが、特別警察に逮捕され、強制収容所に送られる。ガバルシュはその足跡を追って、ベルリン、オランダ、ポーランド、チェコを徒歩旅行し、そこで出会った風景をカメラにおさめた。それが今回出品された「イン・マイ・マザーズ・フットステップス」のシリーズである。
展示室は照明が落とされ、順番に1枚か2枚ずつ灯りがついて写真とテキストを照らし出すようになっている。その間隔がかなり長いので、全部の作品を見終えるには時間がかかる。せいぜい数10分なのだが、正直いらいらしてくる。つまり、母親が味わった否応なしの強制力の片鱗を、観客も味わうように仕掛けられているのだ。その意図はよく理解できるのだが、やはり後味が悪いことに変わりはない。ホロコーストのような重いテーマを扱うときに、このような「強制収容所」的な展示は諸刃の剣なのではないだろうか。「特別な体験なのだから、あなたも我慢しなさい」と言わんばかりの態度は傲慢としかいいようがない。押しつけではない「悲惨さ」の伝え方がありそうな気がする。
*ブラッドレー・マッカラム&ジャクリーヌ・タリー「思い通りに消せない記憶」/イシャイ・ガルバシュ「イン・マイ・マザーズ・フットステップス」
2009/04/15(水)(飯沢耕太郎)


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