artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
倉田精二「都市の造景 ENCORE ACTION 21 around MEX」

会期:2009/01/23~2009/02/28
1970年代から都市の路上を疾走し、惚けたような表情のままふらふら漂っている住人たちの姿を、鮮烈な悪意を込めて写しとってきた倉田精二。彼は2000年代に入ると、首都高速道路建設現場を大判カメラで撮影しはじめた。今回は2008年4月、エプサイトでのカラー作品の展示に続いて、モノクロームの連作を発表している。
倉田がなぜ道路建設現場にこだわり続けているのか、もう一つ釈然としない。あの緊張感あふれる路上のスナップを知る僕らには、人の姿が消えてしまった風景にはどうしても馴染めないからだ。だが倉田がある「断念」の思いを抱え込みつつ、このシリーズに向き合っていることは間違いないだろう。展示に寄せた「ご案内」の文章で、彼はこんなふうに記している。
「タイトルにある『造景』は、フランスの文学と社会学者が東京経験と近代以降に世界各地で肥大化する大都市化を眺めた際の命名を模倣して失敬した。この造語が目指すべきモデルがどこにも無い事態は、技術史ばかりか文明の転回期にふさわしい。[中略]残る問いは、いかに精密に模倣して自己自身とレンズの向うの対象を同時一体化して止揚せしめ、なおもvisionを望見し得るかであろう。」
「技術史ばかりか文明の転回点」にもっともふさわしい眺めが、道路建設現場ということなのだろうか。たしかに、そのガラクタを寄せ集めたような光景と、印画紙をざっくり切ってピンナップしたチープな展示は、しっくりと溶け合って面白い効果をあげていた。
彼の「vision」がどう展開していくのか、もう少し見てみたいと思う。
2009/02/04(水)(飯沢耕太郎)
篠山紀信 20XX TOKYO
会期:2009/01/22~2009/02/12
T&G ARTS[東京都]
写真家・篠山紀信の展覧会。深夜の街角で撮影されたゲリラ・ヌードの写真を発表した。いわゆるアーティスティックな風情がこれみよがしに醸し出されているが、篠山の写真といえば、何よりもまず雑誌のグラビアである。大衆的な写真と芸術的な写真を切り分け、両者をバランスよく使い分ける戦略は篠山だけのものではないが、大衆的な写真を発表する場としてあった雑誌メディアじたいが危機に瀕している現状を考えると、これからは芸術的な写真に安易に逃げ込むのではなく、大衆的な写真だけを突き詰めることのほうが、むしろ「芸術的」な態度となるのではないだろうか。大衆芸術と純粋芸術という旧来の図式は、いまや反転しつつあるのではないか。
2009/02/04(水)(福住廉)
ぼうしおじさんと中華街 写真展

会期:2009/01/28~2009/02/20
シネマジャック&ベティ・カフェ[神奈川県]
「ぼうしおじさん」こと、宮間英次郎を写した写真展。手作りのデコレーティヴな帽子を被り、横浜の中華街などに出没しては観光客の度肝を抜き、人気を集めている。けれども、展示そのものは本人のキャラが濃ゆすぎると展示がショボくなるというパターンを踏んでいて、あまり見応えはなかった。よく見るとキャプションがノートの切れ端だったが、これは「ねらっている」というより、むしろ「済ませている」という感じで、あまり感心できない。写真だけでなく、ぼうしおじさんの来歴やインタビュー、映像など、多角的にアプローチした展示であれば、もう少し楽しめたはずで、もったいない。
2009/02/04(水)(福住廉)
津田直 写真集『SMOKE LINE』刊行トークショー

会期:2009/02/01
青山ブックセンター本店[東京都]
トークの出演を依頼されたので、喜んで出かけてきた。津田直とは初めて話すのだが、ほぼ予想通りというか、言葉を的確に選んで話す能力がとても高い。小学校4年から、「学校に行ってもしょうがない」と自分で決めて、不登校になってしまった。17歳まで危ない仲間たちと付き合ったり、音楽の道に進もうとしたり、かなりの回り道の末に写真に辿り着いた。その過程で、人間を含めた森羅万象に対するコミュニケーション能力に磨きをかけたということだろう。32歳という年齢の割には密度の濃い人生を歩んできた、その蓄積がいまの仕事に結びついていることがよくわかった。
もう一つ、これも予想通りといえば予想通りなのだが、津田の母親はシャーマン的な資質の持ち主で、彼自身にもその血が色濃く流れているようだ。トークの後半で、これまでずっと私淑していた導師が亡くなった日にモンゴルに旅立つことになっており、飛行機が遅れたため葬儀の間日本に留まったあとでモンゴルに向かうと、そこで出会ったOdjiiというシャーマンに「お前を待っていた」といわれたという話をしてくれた。このOdjiiは津田が帰国した直後にこの世を去った(「煙になった」)のだという。こういうオカルト的な話は、彼の周りでは頻繁に起こっているようだ。先に津田の写真について、「21世紀のシャーマニズム」という言葉を使ったのだが、その直観は正しかったということだろう。
こういう人はシャーマン=アーティストとしての道をまっとうするしかないと思う。自然と人間の社会の接点に立ち、その両者を「くっつける」役割を果たすということだ。そのぎりぎりの営みを見守っていきたい。
2009/02/01(日)(飯沢耕太郎)
石川真生 写真展 Laugh it off!

会期:2009/01/30~2009/02/28
TOKIO OUT of PLACE[東京都]
写真家・石川真生の写真展。過去にアメリカやフィリピンで撮影されたフィルム写真のほか、おなかの人工肛門を堂々と見せつけるポートレイトを携帯で撮影した写真を発表した。いずれも石川真生でなければ撮影できなかった写真であり、だからこそそれらの写真には彼女の生き方が凝縮している。といっても、それは決して「写真家」という安手のロマンティシズムが発露されているわけではなく、むしろ写真云々以前に彼女の「生」がその場に根づいているということを物語っていた。写真の価値がむやみに上昇している昨今、肝心なのは写真より「生」そのものだということを、石川の写真は教えてくれる。
2009/01/31(土)(福住廉)


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