artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

エマニュエル・リヴァ展 HIROSHIMA 1958

会期:12/10~12/29

銀座ニコンサロン[東京都]

フランスの女優、エマニュエル・リヴァによる写真展。1958年、アラン・レネ監督の『ヒロシマ・モナール』の撮影のため広島を訪れたリヴァが、映画撮影の合間を縫って撮りためたモノクロ写真を発表した。写された光景はたしかに50年前の広島にはちがいないものの、写真のありようとしては、いまもって新しく、とてもアマチュアの写真とは思えないほどすばらしい。

2008/12/25(木)(福住廉)

蜷川実花 展──地上の花、天上の色──

会期:11/1~12/28

東京オペラシティアートギャラリー[東京都]

会場に足を踏み入れた瞬間、奇妙な既視感を覚えたが、それが何なのかすぐには分からなかった。けれども、原色をふんだんに使ったド派手な写真を見ていくと、その展示風景が日展のそれに似ていることに気づかされた。そう、2段掛けや3段掛けを常套手段とする、狭い壁面に絵を詰め込む展示手法が、ここで見事に踏襲されているのだ。そのことに自覚的なら、壁面に遠近法的な奥行き感を感じさせる西洋的なテクニックとは真逆の、日本の土着的な展示方法をアイロニカルに反復する確信犯として評価できるが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。

2008/12/25(木)(福住廉)

森山大道「HOKKAIDO」

会期:12月19日~2月8日

RAT HOLE GALLERY[東京都]

森山大道は1978年5月から約2ケ月間北海道に滞在し、道内をあてもなくさまよいながら撮影を続けた。当時「名状しがたい不安」「欠落感」を抱え込んでいた彼は、「よし、もう一度日本中を見てやろう」という決意を固め、その最初の場所として北海道を選んだのだった。以前から明治時代に北海道開拓使の依頼で田本研三らが撮影した「北海道開拓写真」に惹かれるものがあり、彼らの記録写真と「もしかしたらある一点で、時間を超えてクロスすることができるかもしれない」(「写真記『北海道』」『新アサヒカメラ教室2』朝日新聞社、1979)というのが動機だったという。
結果的には「撮れば撮るほど、北海道の地が際限なく広がっていくような」無力感に捉えられるばかりで、思うような成果は得られなかったようだ。日本全国をもう一度しらみつぶしに撮り直してみるという計画も、結局北海道だけで挫折してしまう。だが今回RAT HOLE GALLERYで、初めて展示されたこの時の写真を見ると、森山が既にスナップシューターとしての揺るぎない眼差しを備えており、自分の体質に即した写真のスタイルを確立していることがよくわかる。特に大地に根ざした女性たちの姿を捉えた写真群には、森山の初期写真を特徴づけていた荒々しい苛立ちの身振りに代わって、「演歌的」とでも言いたくなるような安らぎを含み込んだ叙情性がはっきりとあらわれてきている。一般的には「大スランプ」の状態にあったとされるこの時期の森山の、写真家としての底力をあらためて感じさせてくれる充実した展示だった。

2008/12/25(木)(飯沢耕太郎)

石内都 展 ひろしま/ヨコスカ

会期:11/15~1/11

目黒区美術館[東京都]

写真家・石内都の大々的な回顧展。70年代の横須賀から現在の広島にいたるまで、石内の写真の変遷を逐一追った堅実な展示だった。いずれも「痕跡」を示した写真だが、よく見ていくとその痕跡の中に閉じ込められた時間を強く感じさせる写真であることがわかる。広島の被爆者たちが残した衣服を写したカラー写真は、白黒でしかイメージできないわたしたちの原爆イメージに色を付け加えているが、そうすることで原爆が現在と分かちがたく結ばれていることを物語っていたようだ。

2008/12/23(火)(福住廉)

甦る中山岩太──モダニズムの光と影

会期:12月13日~2月8日

東京都写真美術館3F展示室[東京都]

柴田敏雄展と同じ日にオープンした中山岩太展。こちらは1910~20年代にニューヨークとパリに居を定めて活動し、帰国後は兵庫県芦屋にスタジオを開設して、日本の戦前のモダニズム写真の中心人物となった中山岩太(1895~1949)の回顧展である。まったく対照的な企画だが、両方見ると写真表現の位相の広がりを感じることができる。目と頭を切り替えるのが大変そうではあるが、逆にちょっと得をしたような気分になるかもしれない。
ポスターやカタログの表紙にも使われている煙草をくゆらす女性のポートレート「上海から来た女」(1936年頃)は、一度見たら忘れられないような強い印象を残す作品である。物憂げな表情、光と闇の強烈なコントラスト、外人のダンサーをモデルにしているので、時代や撮影場所を特定できない不思議な時空間に落ち込んでいくように感じる。この作品も含めて、中山は常に美意識をぎりぎりまで研ぎ澄まし、外遊中に身につけたデカダンスの感覚を写真に刻みつけようとした。「私は美しいものが好きだ。運悪るく、美しいものに出逢わなかつた時には、デッチあげてでも、美しいものを作りあげたい」。彼は1938年にこんな言葉を書き残している。このような強烈な耽美主義は、戦争の泥沼に沈み込んでいこうとしていた時代においてはきわめて稀なものといえるだろう。
今回の展示は代表作55点によるものだが、そのなかには1995年の阪神・淡路大震災で、芦屋のスタジオが倒壊した時に救い出されたネガから、新たにプリントされた作品も含まれている。プリンターはラボテイクの比田井良一。劣化したネガからいかに情報を最大限に引き出して、オリジナルに近づけるか、その技術力の粋が凝らされている。あらためてモノクロームの銀塩プリントにおける、プリンターの役割の大きさを感じさせてくれた展示だった。

2008/12/12(金)(飯沢耕太郎)

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