artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

柴田敏雄 展──ランドスケープ

会期:12月13日~2月8日

東京都写真美術館2F展示室[東京都]

1980年代から、ダムサイトやコンクリートの土砂崩れ防止堰などの人工的な構築物を中心に撮影してきた柴田敏雄の、国内では初めての本格的な回顧展。92年に第17回木村伊兵衛写真賞を受賞した時のシリーズ・タイトルが「日本典型」であったことでもわかるように、柴田が被写体とする風景は日本各地どこででも見ることができる見慣れた眺めである。だがそれらが4×5や8×10インチの大判カメラで精密に撮影され、巨大サイズの印画紙にプリントされて展示されると、思っても見なかった感覚が生じてくる。それらがまるで現代美術のインスタレーション作品のような、精妙なバランスで組み上げられた造形物に見えてくるのだ。
今回の展示では、柴田の代名詞ともいえるモノクロームの「ランドスケープ」に加えて、2005年頃から発表されるようになったカラー作品もあわせて観ることができた。「作品」として厳密に構成されたモノクローム作品と比較すると、同じく人工的な「インフラストラクチャー」を題材にしていても、カラー作品ではかなり印象が違ってきている。そこには現実世界のリアルな色彩や触感が生々しく写り込んでおり、風通しのよい開放的な気分があふれていた。モノクロームの風景写真を30年近く続けてきて、柴田の中に「撮影しなかった、落としてきてしまった風景がある」という思いが強まってきたのだという。たしかに「回顧展」には違いないのだが、彼がまだ意欲的に新たな分野にチャレンジしていこうとしていることがよく伝わってくる展示だった。

2008/12/12(金)(飯沢耕太郎)

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氾濫するイメージ──反芸術以後の印刷メディアと美術 1960’sー1970’s

会期:11月5日~1月25日

うらわ美術館[埼玉県]

60年代から70年代の印刷メディアにおける視覚的なイメージを紹介する展覧会。赤瀬川原平、木村恒久、中村宏、つげ義春、タイガー立石、宇野亜喜良、粟津潔、横尾忠則による作品、じつに500点あまりが展示された。政治的・社会的なメッセージが原色によって織り込まれたポスターや表紙、挿絵、絵画、コラージュ写真、漫画などを見ていくと、時代の匂いにむせ返ると同時に、印刷メディア自体が困難を迎えている今となっては、その時代への羨望の念を抱かずにいられない。これからの時代はほんとうに貧しくなってゆくばかりで、気が滅入る。

2008/12/12(金)(福住廉)

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岩崎タクジ幻燈会

会期:12月7日

鎌倉婦人子供会館[神奈川県]

美術家・岩崎タクジが写真をスライドショーで見せる「幻燈会」の新作展。紅白の万国旗によって彩られた空間にキューバ音楽が静かに響き渡るなか、二つのスライド映写機を使って次々と写真を見せていく。暗闇のなかで左右の画面を見比べていくと、色やかたちによって写真を連続させていく岩崎の意図が垣間見えるが、それを十分理解しながらも、次第に写真の世界のなかに引きずり込まれていくから不思議だ。数回にわたって同じスライドを見たのにもかかわらず、毎回ちがった写真に出会うように錯覚したのは、それだけ向こう側に意識が取り込まれていた証だろう。古い町並みや家屋、お祭りの光景を見ていると、かつての心象風景をまざまざと見せつけられるようで、胸が痛い。

2008/12/07(日)(福住廉)

石内都 展──ひろしま/ヨコスカ

会期:11月15日~1月11日

目黒区美術館[東京都]

初期の《絶唱、横須賀ストーリー》《アパートメント》から、《1・9・4・7》《マザーズ》を経て《ひろしま》まで、石内の30年におよぶ主要なシリーズを通覧できる写真展。古びた建築に始まり、年老いたり傷ついた肉体、その肉体のいなくなった衣服へと被写体が移り変わっている。肉体を軸に「住」「衣」と来れば、次は「食」かというとそうはならないでしょうね。やはり数十年の時を蓄積させるものでなければ。そうか、数年でも数百年でもなく、自分が生きてきた、あるいは人間が生きられる数十年の「エイジング」を写し取っているのかも。カタログはほとんど偏執狂的。

2008/12/05(金)(村田真)

写真屋・寺山修司

会期:11月19日~2月28日

BLD GALLERY[東京都]

劇団・天井桟敷を率いて、1960~70年代の「アングラ文化」の旗手であった寺山修司は、写真にも異様なほどの執着を見せていた。1973年に「荒木経惟に弟子入り」した寺山は、モデルを公募して『幻想写真館 犬神家の人々』の撮影を開始する。74年に東京、京都などで展覧会を開催し、75年には同名の写真集(読売新聞社)も刊行されたこのシリーズ以後にも、寺山はハンブルグ、ロンドンなどでその続編を撮影し、78年には南仏アルルの国際写真フェスティバルに参加して公開ワークショップをおこなうなど、精力的に活動を続けた。本展は会期を二つに分け(第1期は2008年12月27日まで、第2期は1月9日から)、その多彩なイメージ世界を紹介している。
写真展のカタログも兼ねて出版された『写真屋・寺山修司』(フィルムアート社)に寄せた「寺山修司と写真」で、四方田犬彦は「日本映画史の中で寺山修司は落着きが悪い」と述べる。その言い方を借りれば「日本写真史の中でも寺山修司は落着きが悪い」ということになるだろう。彼の撮影の舞台はすべてキッチュな見世物小屋のような人工空間であり、そこではカメラは徹底して「真を写す」のではなく、「偽を作る」道具として駆使されている。また彼は、できあがった写真そのものよりも、撮り手とモデルとの関係を揺さぶり、エキサイトさせていく撮影行為の方に関心を寄せていたように見える。
荒木経惟、深瀬昌久、沢渡朔のような、同時代に「虚実皮膜」を行き来する作品を作り続けた写真家たちとの影響関係も含めて、「写真屋・寺山修司」の位置づけをもう一度考え直していく契機となる、刺激的な展覧会だった。

2008/12/02(火)(飯沢耕太郎)