artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

長野重一『遠い視線 玄冬』

発行所:蒼穹舎

発行日:2008年12月24日

長野重一は1925年生まれの写真家。1950年代からフォト・ジャーナリズムの最前線で活躍し、羽仁進監督の『彼女と彼』(1963)、『アンデスの花嫁』(1966公開)や市川崑監督の『東京オリンピック』(1965公開)などの映画では撮影を担当した。一時写真の現場からは離れていたが、1989年に写真集『遠い視線』(アイピーシー)を刊行。以後もコンスタントに写真集、写真展などの活動を展開している。80歳を超え、さすがに体調はあまりよくないようだが、そのスナップショットの切れ味に弛みがないことは、新刊の『遠い視線 玄冬』でも確かめることができた。
タイトルが示すように、この写真集は基本的に前作『遠い視線』の延長上にある。作品のキャプションに付された日付で見ると、1996年から2008年に撮影された街のスナップショット、151点で構成されている。長野のスナップから感じとれるのは、「知性」としかいいようのない平静沈着な視線のあり方だろう。ことさらに感情移入することなく、中心となる被写体からやや距離を置いて、周囲を取り込むように撮影していく。そこに巧まずして、時代の空気感や手触りが浮かび上がってくる。
だが写真集全体から感じとれるのは、何ともいいようのない「寂しさ」である。とりたててネガティブな場面が多いわけではなく、街を行き交い、佇む人たちの、ほっとするような場面が写り込んでいる写真も多い。にもかかわらず、孤独や寂しさがひたひたと押し寄せてくるような気配を感じてしまう。最後の2枚は品川区上大崎の自宅の窓から撮影されたもの。雷鳴が走り、ブルドーザーがクレーンで吊り下げられる──何かが壊れていく。後戻りはきかない。そんな日々の移り行きを、写真家はこれから先も静かに「遠い視線」で見つめ続けていくのだろう。
なお写真集の刊行にあわせるように写真展「人、ひとびと」(ギャラリー蒼穹舎、2009年1月8日~25日)、「色・いろいろ」(アイデムフォトギャラリー「シリウス」、2009年1月5日~21日)も開催された。前者は1960年代のポートレートを中心に、後者は長野には珍しいカラー作品を集めた展示である。どちらも彼の作品世界の意外な幅の広さと、的確でしかも遊び心があるカメラワークを楽しむことができた。

2009/01/10(土)(飯沢耕太郎)

ERIC『中国好運 GOODLUCK CHINA』

発行所:赤々舎

発行日:2008年11月22日

エリックこと鐘偉榮は1976年に香港で生まれ、日本に来て東京ヴィジュアルアーツで写真を学び、2001年頃から作品を発表するようになった。これまでは日本や世界各地のスポットを訪れる観光客を、やや皮肉な視線で見つめ、定着する、切れ味のいいスナップショットを撮影・発表してきたが、2005年頃から中国の人々にカメラを向けるようになった。そのことで彼自身の認識が大きく転換したということを、写真集のあとがきにあたる文章で彼はこんなふうに書いている。
「そして私は、自分が香港以外で初めて感情移入のできる被写体に出会えたことに気付いた。[中略]日本で日本人を写すとき(また、諸外国で彼地の人々を写すとき)、私は、その被写体に何の感情移入もせず、その意味では外側から捉えて、ただ『おもしろさ』を基準にシャッターを切ってきていた」。
この感情移入というのは、どうやらポジティブな共感や好意だけではないようだ。「強く反発することも決して少なくないし辟易することさえもある」という。だが、どちらかといえば距離を置いた、批評的な視点から撮影されていた彼のスナップショットが、少しずつ変化しつつあることは確かだと思う。少なくとも、このような愛憎相半ばした生々しい中国人のポートレートは、エリックのような複数の国に所属している写真家でないと、なかなか撮れないだろう。こうなると、彼のホームタウンである香港の写真も見てみたい。それにはもしかすると、これまでのような出合い頭のスナップショットではない方法論が必要になるかもしれない。

2009/01/10(土)(飯沢耕太郎)

The Den-en Dream MOTOKO+井上英樹

会期:1/9~2/1

shin-bi[京都府]

写真家のMOTOKOと編集者の井上英樹が滋賀の農村を取材して、写真とテキストによる展覧会を開催。どちらの仕事も丁寧で、土地に根差して生きる人々への共感が滲み出ていた。長文を読みつつ写真も見るのは少々骨が折れたが、やはり両方に目を通した方が圧倒的に説得力がある。展示室ではPCのスライドショーでも写真が展示されていたが、ここにテキストを組み込む手もあったんじゃないかな、とも思った。

2009/01/10(土)(小吹隆文)

石川直樹『VERNACULAR』/『Mt. Fuji』

VERNACULAR
発行所:赤々舎
発行日:2008.12.24
Mt. Fuji
発行所:リトルモア
発行日:2008.12.24

石川直樹も期待の若手写真家。「五大陸最高峰最年少登頂」という「冒険家」としての実績に加えて、昨年来写真集を立て続けに上梓し、『最後の冒険家』(集英社)で第6回開高健ノンフィクション賞を受賞して話題を集めるなど、各方面での活躍が目立つ。
『VERNACULAR』はその彼の新作写真集。フランス、エチオピア、ベニン、カナダ、ペルー、ボリビア、さらに沖縄の波照間島、岐阜県の白川郷などを巡り、その土地に固有の住居の姿を、ほぼ正面から記念写真を撮影するように捉えている。たしかに人がどのように家を建てて住みつくかを比較することで、「VERNACULAR」すなわち風土性、地域性、土着性のあり方を探るという石川の狙いは的確であり、スケールの大きな構想力とプロジェクトをきちんと実行していく優れた能力を感じさせる。ただし肝心の写真そのものに、弱々しく、緊張感を欠いているものが多いように思えてならない。旅の途上で撮られたプライヴェートなスナップを、主題となる写真のあいだに散りばめていく構成は、前作の『NEW DIMENSION』(赤々舎、2007)以来のものだが、その腰の据わらなさが逆効果になっている気がするのだ。
その点では同時発売された『Mt. Fuji』の方が、写真集としての構成はすっきりしている。19歳での初登頂以来、20回以上登っているという経験の積み重ねが、地を這うような登山者の視点へのこだわりにうまく結びついている。だがこの写真集でも、後半部分に祭りや寝袋などの写真が出てくるとイメージが拡散してしまう。石川にいま必要なのは、言いたいことを全部詰め込むのではなく、むしろ抑制し、集中力を高めていくことなのではないだろうか。

2008/12/31(水)(飯沢耕太郎)

島尾伸三『中華幻紀』

発行所:usimaoda
発売:オシリス
発行日:2008.9.9

やや前に刊行された写真集だが、何度見直しても、不思議な微光を放っているような魅力的な作品群なのでここで紹介しておきたい。
島尾伸三は1981年から妻で写真家の潮田登久子とともに、中国各地を巡る旅に出かけるようになった。それから30年近く、年に数回のペースで続けられてきた旅の合間に撮影されたスナップショットを一冊にまとめたのが、この『中華幻紀』である。オールカラー、264ページ、ハードカバーの堂々たる造本だが、出版の資金は「つましい両親と優しい妹が残した土地を売って」作ったのだという。
旅といってもとりたてて目的があるわけではなく、島尾の視線はひたすらふらふらと路上をさまよい、裏通りや路地の奥へ奥へと入り込んでいく。そこで何気なく見出された、どこか既視感を誘う光景の集積、だがページをめくるうちに、なぜか魔物にでもひっさらわれてしまいそうな不穏な気配が漂いはじめる。たしかにどこにでもありそうな見慣れた眺めなのだが、そのあちこちに異界への裂け目が顔を覗かせているのだ。
その印象をより強めているのが、写真に付されたキャプションである。1980年代の「生活」シリーズ以来の島尾の得意技なのだが、その「朝が来るたびに死から蘇る神経は、覚醒に無頓着のままです」「時として、幻覚は現実に勝る実感を第三信号系にもたらし」といった謎めいた文言を読むと、宙吊りにされるような感覚がより昂進する。島尾の父である島尾敏雄は、夢の世界のリアリティを巧みに描き出す技術に優れた作家だった。その血脈がしっかりと受け継がれているということだろうか。

2008/12/31(水)(飯沢耕太郎)