artscapeレビュー

2016年09月01日号のレビュー/プレビュー

Fashioning Identity

会期:2016/07/01~2016/08/05

京都精華大学ギャラリーフロール[京都府]

展覧会タイトルの「FASHIONING IDENTITY」とは、ファッションをとおして「アイデンティティを作り上げる」という意味。わたしたちが日々身につける衣服は否応なく自分自身が何者であるかを周囲に表明してしまうことを思うと、たしかに、ファッションにはアイデンティティを構築するという側面があるだろう。このようなテーマのもと、本展では演劇や写真などさまざまな領域で活動する4組のアーティストが取り上げられた。
ニューヨークを拠点に活動する韓国出身の写真家、イナ・ジャンは、ファッション・ブランド、URBAN RESEARCHのイメージ写真を担当したことが記憶に新しい。本展ではよく知られる顔の一部を隠したポートレイトのほか、カメラアプリさながらに、デジタル処理を施したポートレイトも出品された。制作過程で被写体となった少女たちに加工作業をゆだねることもあるという。顔は自分でつくるもの、その手段はもはや装飾や化粧を超えつつあるということか。
YANTOR(ヤントル)は坂倉弘祐と吉田賢介が2008年に設立したファッション・ブランド。本展に出品された2015年春夏コレクションの写真は、見慣れたモード写真とは些か違う匂いがする。これらの写真はヤントルと写真家、青木勝洋とのプロジェクト「ONE by ONE」で撮影されたという。インドやチベットに渡り、ヤントルの服を着てもらい、宗教的背景を異にする現地の人々とコミュニケーションをはかるというプロジェクト。ヤントルの服がインドの人々にしっくりと馴染んでいることには驚かされる。
マームとジプシーは2007年から横浜を中心に作品を発表してきた演劇団体。藤田貴大が脚本と演出をつとめる。本展には川上未映子の書き下ろしで上演された一人芝居「まえのひ」の舞台装置やテキスト、写真などが出品された。会期中には主演の青柳いづみによるパフォーマンスも披露されたようだ。森栄喜と工藤司は、同性婚をテーマにしたプロジェクト「Wedding Politics」からの出品。ウェディングドレスに見立てた白い服を着た二人、「Wedding Politics -Sugamo-」は巣鴨の街で通りすがりの人々にその二人の記念写真を撮影してもらうという作品だ。人々は撮影者として作品に参加することで、二人の結婚に立ち会い、それを祝福することになる。本展にはプロジェクトの映像と衣装からなるインスタレーションが出品された。
若手アーティストたちによる、ファッションにまつわる多様な表現に注目した本展。ファッションの創造性と可能性が充分に感じられる展覧会であった。[平光睦子]

2016/07/30(土)(SYNK)

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TDC 2016

会期:2016/07/22~2016/08/27

京都dddギャラリー[京都府]

タイポグラフィを中心とするグラフィックデザインの国際コンペ「TDC」。毎回質の高いデザインを楽しませてもらっているが、その一方で十年一日のごとく選ばれ続ける巨匠デザイナーの存在に疑問を抱き、いっそ一定回数以上入賞した人は殿堂入りにして対象から外せば良いのに、と思っていた。今回も巨匠たちは選ばれていたが、その一方で着実な世代交代を感じたのもまた事実だ。筆者が特に気に入ったのは以下の2点。菅野創+やんツーによる、人工知能に手書き文字の意味を教えず、形状のみを学習させて、意味不明だけど文字らしく見える線をひたすら書き続けるドローイングマシンと、トム・ヒングストンによる、デヴィッド・ボウイのプロモーションビデオ(ラストアルバム『ブラック・スター(★)』に収録されたシングル曲『Sue(Or in A Season of Crime』)である。この2点を知っただけでも、本展に出かけた甲斐ありだ。そして今年の刺激を糧に、来年もまた出かけようと思う。

2016/08/02(火)(小吹隆文)

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ヨコオ・マニアリスム vol.1

会期:2016/08/06~2016/11/27

横尾忠則現代美術館[兵庫県]

横尾忠則の作品のみならず、本人が創作と記録のために保管してきた膨大な資料を預かり、調査を進めている横尾忠則現代美術館。その成果はこれまでの企画展にも反映されてきたが、より直接的にアーカイブ資料と作品の関係に踏み込んだのが本展である。キーとなるのは横尾が1960年代から書き続けてきた日記で、作品との関連がうかがえるスケッチや写真のある見開きをコピーして、作品とともに展示している。もちろん実物の日記を並べたコーナーもある。また、展示室の中にアーカイブ資料の調査現場を移設して、美術館業務の一端を公開する斬新なアイデアも。ほかには、制作の副産物として生じた抽象画のようなパレット、郵便にまつわる作品、猫とモーツァルトと涅槃像をテーマにした作品、ビートルズにまつわる作品と資料も展示された。全体を通して、横尾が作品を生み出す過程や、発想の源が生々しく伝わってくるのが面白い。横尾自身も「発見の多い展覧会」と述べたほどだ。本展は末尾に「vol.1」とあるように、調査の進展に応じて今後も継続される予定。今まで本人ですら気付かなかった横尾忠則像を提示してくれる可能性があり、今後の展開が楽しみだ。

2016/08/05(金)(小吹隆文)

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土木展

会期:2016/06/24~2016/09/25

21_21 DESIGN SIGHT[東京都]

残念な展覧会だった。しかし残念な理由はおそらく筆者が勝手に期待していた内容と違ったからであって、企画の問題ではないのだろう。なにしろネットで見る限り、この展覧会はすこぶる評判がよいのだから。いや実際、この展覧会が楽しい展覧会であることには異論はない。インタラクティブなしかけ、参加型の作品も多数あり、一人よりも二人、あるいはグループで訪れればより楽しめる。そのあたりは、とても21_21らしい企画と言ってよい。
すでに本展については福住廉が「物質の忘却と参加体験の強制」と批判している。ここには「土木の世界の物質性」がない。福住が「もし、あの広大な会場に重機のひとつでも展示されていたら、もしあの無機質な展示空間の床に底が見えないほどの暗い穴がひとつでも穿たれていたら、本展の印象は一変していたにちがいない」と書いているとおり、重機のイラストではなく実物を(せめて巨大なタイヤを)、消波ブロックのひとつふたつ、土木のスケールの非日常を体感できるようなしかけが欲しかった。とはいえ、この会場、3ヵ月の会期で出来ることは限られていたと思う。土木のリアルなスケールを体感したいのであれば、首都圏外郭放水路の見学会に行くとよい。あるいは本物の下水幹線に入れる小平市ふれあい下水道館もお勧めの施設だ。ダムを見に行くのもよいし、身近なところでは地下鉄や高速道路もまた土木技術の結晶だ。なにも展覧会に足を運ばなくても、当然のことながら街には土木が溢れている。だから、容易に実物を持ってくることができない会期限定の展覧会が福住が批判するところの「日常生活にあふれているメディア」に頼っていたとしても、そのこと自体はやむを得ない。問題はリアルなものを非リアルなメディアに変換しておきながら、その非リアルなメディアがリアルを再現できていないところだ。展示作品はばらばらで、土木というキーワードで括られている以上のものではない。土木との関連が強引に思われるものもある。たとえば、Rhizomatiks Researchの《Perfume Music Player》は、人々の行動分析を目的として情報を収集するアプリではないだろう(アプリ・ダウンロードの際にそのような説明はない)。土木に関連する映像や音をサンプリングしてボレロに仕立てた《土木オーケストラ》には「土木が造られていく現場を想像することができるでしょう」とあるが、筆者の想像力の貧困さを確認する以上のものではなかった。ダム建設の記録映画など、世の中にはすばらしい歴史的な土木ドキュメンタリーが多数存在しているのに、なぜ生のままを見せてくれないのだろう。展示では土木の目的、歴史についてはほとんど触れられていない。構造に関連する展示はあるが、技術の話はない。土木の現場を支えるヒトについては菊池茂夫の写真があるのみ。どの展示物も個々には優れていて面白く楽しめるのだが、土木というキーワードに対してあまりに抽象的で、その理解にはほど遠い。
しかしながら、このような印象は博物館で土木に関する展覧会が企画されたらこういう視点があるだろうという、筆者の勝手な思い込みによるものかもしれない。会場を一巡し、展覧会タイトルやステートメントもすべて忘れて、先入観を抜きにして、純粋に出展作品が何を語っているのかを考えてみると、これは土木を愛する人々による文化祭なのだと思い当たる。その愛がいちばん分かりやすく示されているのはご飯をダムにカレーを貯水湖に見立てた《ダムカレー》とその解説映像だろう。出展者が土木のさまざまな鑑賞の仕方、愛し方を持ち寄った企画なのだと考えると、本展に生の土木がないことにも納得がいく。ディレクターズ・メッセージには「縁の下の力持ち的な"見えない土木"を、楽しく美しくヴィジュアライズしたい」とある。この展覧会は身近にありながらもなかなか意識されない土木に気づいてもらうための試みであって、ここに土木やその前提となるインフラのリアルな課題や歴史的視点、批評が欠けているのは、そもそもそれを目的としていないからなのだ。[新川徳彦]

★──展示最終章「土木と哲学」にはそのような示唆が含まれるが、66分の映像を通して見る人がどれほどいるだろう。

2016/08/08(月)(SYNK)

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アートと考古学展

会期:2016/07/23~2016/09/11

京都文化博物館[京都府]

考古学のオリンピックと呼ばれる「世界考古学会議」が京都で行なわれることを記念した企画展。考古遺物を展示するほか、アーティストと考古遺物がコラボレーションした作品も展示され、芸術と考古学の共同作業とその可能性が紹介された。参加アーティストは、安芸早穂子、日下部一司、清水志郎、伊達伸明、松井利夫、八木良太の6名。アーティストが考古学をイメージソースとするケースはままあるだろうが、考古学は芸術を必要とするのだろうか。そんな疑念を抱きつつ展覧会を見たが、これがめっぽう面白かった。例えば、純粋に記録のために描かれた遺跡の図面に、ある種の芸術性を認める、陶磁器の断片が見立てひとつで作品に生まれ変わるといった事例が、そこかしこで展開されているのだ。考古学者とアーティストが互いに専門外の領域から刺激を受け、自分のフィールドを広げていく。これこそまさにクリエイティブではないだろうか。

2016/08/09(火)(小吹隆文)

2016年09月01日号の
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