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2018年08月01日号
次回9月3日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

池田葉子「Crystalline」

会期:2018/06/08~2018/07/07

gallery ART UNLIMITED[東京都]

池田葉子は今年の1月に、「壁面をきらびやかに埋め尽くすヨーロッパ古典絵画」の展覧会をたまたま見て、作品を「コレクティブに見せる」展示の仕方に強い印象を受けた。今回のgallery ART UNLIMITEDの個展では、そのパワフルな視覚的効果を再現するために、一番大きな壁に大小さまざまな写真18点を、「結晶体=Crystalline」に見立てて展示構成していた(ほかに11点を出品)。

京都、北海道、ロサンゼルス、ロンドン、台北など撮影地はさまざまだが、被写体の切り取り方には独特の美意識とリズムを感じる。クローズアップで、何が写っているかわからないほどに抽象化された写真が多いのだが、色味をコントロールして柔らかいトーンでまとめているので、目に気持ちよく飛び込んでくる。今回、特に特徴的だったのは「結晶体=Crystalline」といっても輪郭がくっきりと際立った鉱物質ではなく、どちらかといえばエッジがぼかされた有機的な印象を与える、画面の一部がブレたりボケたりした作品だった。フレームの色や材質もそれぞれの写真で変えるなど、会場全体のインスタレーションも注意深く整えられていて、新たな方向に踏み出していこうとする強い意欲を感じた。

2016年に第32回東川賞新人作家賞を受賞したことで、池田の写真家としての営みに弾みがついてきているようだ。こうなると、モノや風景だけでなく、ヒトを撮影した写真も見たくなってくる。

2018/06/21(木)(飯沢耕太郎)

百々武「もう一つのものづくり MOTTAINAI ARIGATAI」

会期:2018/06/14~2018/06/20

キヤノンギャラリー銀座[東京都]

百々武が2017年に刊行した『もう一つのものづくり』(赤々舎)は、とても興味深いテーマの写真集だった。被写体になっているのは岡山に本拠を置く産業廃棄物処理会社、平林金属の作業場である。OA機器や家電から自動車や船舶まで、驚くほど多種多様な廃棄物を「選別・破砕・切断・解体・圧縮」して、リサイクル資源として活用していく現場が、克明に描写されていた。

今回のキヤノンギャラリー銀座の個展では、基本的には写真集のコンセプトを活かしつつ、展示作品のインスタレーションに工夫を凝らしている。かなり大判のプリントに引き伸ばされ、アクリル加工された写真(15点)には、それぞれの画面にのみエリアスポットライトで光を当て、あたかも現代美術の彫刻作品を思わせる産業廃棄物のフォルムや質感を強調している。また、金属やプラスチックの塊を、黒バックで「宝石のように」撮影し、モザイク状に並べて背後からの透過光で浮かび上がらせるインスタレーションもあった。この種の作品の場合、どうしても「モノ」中心の構成になりがちだが、作業員の存在をきちんと取り込み、ヒトの匂いのする空間として撮影していたのもよかったと思う。

大事なのは、産業廃棄物処理という仕事が、「処理ではなくものづくり」であり、その現場は「factoryではなくfarm」であるという認識が、きちんと貫かれているということだ。写真を通じて、そのことをけっして押し付けがましくなく、謙虚な姿勢で伝えようとしていた。「farm」としての工場というのは面白い観点だと思うので、被写体の幅を産業廃棄物だけでなく、もっと広げていってほしい。なお本展はキヤノンギャラリー名古屋(2018年7月5日~7月11日)、同大阪(2018年7月19日~7月25日)にも巡回する。

2018/06/20(水)(飯沢耕太郎)

ゴードン・マッタ=クラーク展

会期:2018/06/19~2018/09/17

東京国立近代美術館[東京都]

ゴードン・マッタ=クラークというと、パリの建物を円錐形にくり抜いた《円錐の交差》が知られている。ちょうどポンピドゥー・センターが建設中だったときで、再開発で取り壊される前の建物を使ったのだ。ほかにも、建物を真っ二つに切断した《スプリッティング》、ゴミを固めて壁をつくる《ごみの壁》、当時流行り始めたグラフィティを撮影して着色した《グラフィティ・フォトグリフス》、食を通じて交流を目指す《フード》など、すでに70年代に先駆的な活動を展開。その後のサイト・スペシフィックなインスタレーションやストリート・アートやコミュニティ・アートやソーシャリー・エンゲイジド・アートなどに道を開いたといっても過言ではない。意識したかしないかに関わらず、川俣正もPHスタジオも殿敷侃も中村政人もChim↑Pomもその影響圏内にあるのだ。

でもそのわりに知られてないのは、彼の作品がモノとして残らないこと、そして、78年にわずか35歳で病死したからだ。亡くなる前に、自分は有名じゃないから作品はすべて処分してくれと遺言したらしいが、遺族は処分しなかった。もし処分していたらその後の美術の流れは変わっていたかもしれないし、こんな極東の国立美術館で紹介されることなどありえなかっただろう。とはいえ、残されたものはスケッチや記録写真、ビデオ映像、使用した建築の断片などで、いかにも作品然としたものはほとんどない。今回の回顧展では、仮設壁を立てたり鉄パイプを組んだりフェンスを張ったりしたなかに、こうした記録や作品の断片をいかにも雑然とした感じで並べていた。まるで「工事中」で、マッタ=クラークにはまったくふさわしい。

そもそも都市を舞台にした活動を美術館で見せることを、マッタ=クラークは望んだだろうか。望んでいなかったから遺品を処分してくれと頼んだのではないか。そこは矛盾しているが、矛盾を抱えていたほうが展覧会としては刺激的になる。だいたい都市と美術の関係なんて矛盾しているし、それ以前に美術館の存在自体、矛盾の固まりではなかったか。みたいな、自爆的な展覧会。

2018/06/18(村田真)

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ミウラカズト「とどまる matter」

会期:2018/06/13~2018/06/30

ギャラリーヨクト[東京都]

1946年生まれのミウラカズト(三浦和人)は、桑沢デザイン研究所での牛腸茂雄の同級生。1983年の牛腸の逝去後、彼の遺したネガやプリントを管理するとともに、やはり桑沢の同級生だった関口正夫と二人展「スナップショットの時間」(三鷹市市民ギャラリー、2008)を開催するなど、コンスタントに写真家としての活動を続けてきた。今回は「50年目の写真 ○いま、ここに─」と題して、東京・四谷のギャラリー ヨクトで、関口正夫との連続展を開催した。

展示作品の「とどまる matter」(30点)はデジタルカメラで撮影された新作である。ずっと銀塩のフィルム、印画紙で制作してきたミウラにとって、デジタルカメラとデジタルプリントに切り替えるのはそれほど簡単ではなかったようだ。試行錯誤の末に、オリンパスEM1にライカのレンズを付けて撮影し、ピクトラン局紙バライタに出力するというシステムがようやく確立した。都市の路上の経験を、それぞれの場所の地勢や光の状態に気を配りつつ、細やかに撮影していくスナップショットスタイルに変わりはない。だが、モノクロームの銀塩印画紙とカラーのデジタルプリントでは、自ずと見え方が違ってくる。それを微調整するために、撮影・プリントのフォーマットを3:4(6×7判や4×5判のカメラと同じ比率)に変更し、プリントの彩度をやや落とし気味に調整している。結果として、彼が銀塩プリントで鍛え上げてきたプリントのクオリティの基準を、充分クリアーできる出来栄えになっていた。

デジタルプリントが出現してから20年以上経つわけだが、いまだにその「スタンダード」が定まっているわけではない。写真家一人ひとりが自分勝手に色味や明暗のコントラストを決めているわけで、そろそろその混乱に終止符を打つべき時期が来ているのではないだろうか。ミウラの試みは、その意味でとても貴重なものといえるだろう。

2018/06/17(日)(飯沢耕太郎)

岸田良子展「TARTANS」

会期:2018/06/12~2018/06/23

galerie 16[京都府]

岸田良子が2010年から手がけている「TARTANS」シリーズの第8弾。1968年に刊行された書籍『THE CLANS AND TARTANS OF SCOTLAND』に掲載されたタータンチェックの写真を元に、80号のキャンバスに拡大して描いた絵画作品である。それぞれの絵画には、「LINDSAY」「MACINTOSH」など、タータンチェックの名前がタイトルに冠されている。筆を使わずに、ペインティングナイフとマスキングテープを用いて制作されているため、遠目には均質でフラットな表面は巨大な布地を貼り付けたように見えるが、近寄って見ると、地色(赤)の上に交差する縦/横の色の帯(緑、赤褐色)が、ごく薄く盛り上がった絵具の層を形成している。編まれた織物を表面的には擬態するが、「筆触」はないものの、絵具の物質的な層の形成が「絵画であること」を宣言する。そのグリッド構造は、厳格な幾何学的抽象絵画を思わせ、モダニズム絵画の規範を擬態するかのようだ。また細部を見れば、拡大された「織り目」は「斜線の交差」として描かれ、オプ・アート的な錯視効果を生み出す。あるいは、布地の表面を「絵画」として描く、すなわち三次元の物体を二次元に変換するのではなく、二次元の平面を二次元として描くトートロジカルな態度は、ジャスパー・ジョーンズの国旗や標的を描いた絵画作品を想起させる。このように岸田の「TARTANS」シリーズは、複数の絵画史的記憶を重ね合わせつつ、「写真」(複製、コピー)、「テキスタイル」(絵画の制度から捨象された手工芸の領域)といった諸要素のミクスチャーでもって、「絵画」に(再)接合しようとしていると言えるだろう。


会場風景

また本展では、約40年前に発表された《A・B・C スター絵本》(1979)も合わせて展示された。これは、往年の映画俳優などの「スター」のブロマイドを、名前のアルファベット毎に1人選び、同じ写真で全ページを構成した1冊の「本」に仕立てた作品だ(ただし「X」の本のみ該当者がなく、白紙である)。本の写真図版を元に絵画化した「TARTANS」とは逆に、ブロマイド写真から本を制作したという反対のベクトルだが、既存の情報の収集、引用、所属する文脈からの切断、(再)秩序化、抽象(絵画)化といったプロセスに対する一貫した関心や連続性が感じられる展示構成だった。


《A・B・C スター絵本》1979

2018/06/17(日)(高嶋慈)

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