2018年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

フェルメール光の王国展 2018

会期:2018/07/28~2018/09/02

そごう美術館[神奈川県]

フェルメール好きの生物学者、福岡伸一博士が監修するフェルメールの複製画展。「複製画」というとミもフタもないけど、サイズはもちろんテクスチュアや艶も復元、色も描かれた当時の色彩をなるべく忠実に再現したもので、「リ・クリエイト」と呼ぶ(額縁も現在の所蔵先となるべく同じものを使用)。点数は計37点。これは本当にフェルメール作か疑問のあるものまで含めた最大限の点数だ。展覧会については数年前に銀座で開催されたとき書いたので、ここでは展覧会以外のことに触れたい。

フェルメールは作品点数が少ないうえ小品が多いため、さほど広くないそごう美術館の半分も埋まらない。残りのスペースではフェルメールも描いたヴァージナルやギターなど17世紀の楽器を展示したり、福岡博士のインタビュー映像を流したりしているが、そのなかでおもしろかったのが、フェルメールのコレクションで知られるハーグのマウリッツハイス美術館が博士を起用してつくったCM。ニューヨークにある博士の自室にはマウリッツハイス所蔵の《真珠の耳飾りの少女》の複製画が掛けられているが、同館はこれまでフェルメールの宣伝係を務めてくれた恩返しに、自室にホンモノの《真珠の耳飾りの少女》を掛けようと計画。ただし、さすがにホンモノを貸すわけにはいかないので、逆に博士の部屋をマウリッツハイスに持ってこようというのだ。こうして美術館内に再現された博士の「自室」で、ホンモノの《真珠の耳飾りの少女》が鑑賞できるようになったという映像。なかなかシャレたことをするなあと感心したが、でもこれって西野達のパクリではないか。以前、西野はある美術館のピカソの絵の前に日本の部屋を再現し、「ピカソのある家庭」を実現してみせたからだ。向こうのクリエイターは現代美術をしっかり(ちゃっかり)勉強しているわい。

2018/08/17(村田真)

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ジャポニズム2018 響きあう魂

会期:2018/07/13~2019/08/21

ルーブル美術館、ロスチャイルド館[フランス、パリ]

現在、パリでは「ジャポニスム2018 響きあう魂」と題して、日本を紹介するさまざまなアートイベントが行なわれているが、おそらくもっとも目立つのは、7月にルーブル美術館のガラスのピラミッドに設置された名和晃平の新作《Throne》だろう。地上レベルからも見える中心の高い場所に金色に輝く玉座が鎮座し、I.M.ペイによる建築空間、あるいはガラスを介して見えるまわりの古典主義の建築群と張りあう存在感を示した大作である。実際、王政のシンボルだった旧宮殿やピラミッドといった権力の歴史に触発されており、今度は人工知能が支配者として君臨する予感を表現した彫刻だという。ちなみに、名和の作品はある程度の抽象性をもっているので、《サン・チャイルド》のような炎上は起きにくいかもしれない。なお、ガラスのピラミッドにおいて、こうした空間インスタレーションを行なうのは最初ではないが(アジア人として名和は初)、半年間設置される予定だ。

その後に訪れたリヨンでも妖怪をテーマにしたジャポニスムの展示が開催されていたが、パリではもうひとつロスチャイルド館で、「深みへ─日本の美意識を求めて─」展を見ることができた。歴史建築の床を使う李禹煥や大巻伸嗣の空間インスタレーションが印象的だった。一方で伊勢神宮の模型はかなり唐突に置かれていたり、工芸の部屋があまりに明る過ぎるのには違和感をおぼえた。名和はここでもアンリアレイジとのコラボレーションを行なったほか、あいちトリエンナーレで初披露した《Foam》が地下の大空間で展示されていた。ただし、展示の方法はだいぶ変えており、真っ暗ではなく、むしろ色のある照明を使い、泡の世界に包まれるというよりは、まわりから眺めるオブジェになっていた。またおそらく泡の動きも制御しており、あいちに比べて、ほとんど動かず、静止した状態に近い彫刻だった。それにしても、新作の《Throne》と大作の《Foam》をほぼ同時期にパリで設置できるとは、名和晃平が主宰するSANDWICHの底力に感心させられる。

名和晃平《Throne》


ロスチャイルド館


「深みへ」展、李禹煥(左)、大巻伸嗣(右)


「深みへ」展、名和晃平《Foam》


2018/08/13(月)(五十嵐太郎)

宇多村英恵「Holiday at War戦争と休日」

会期:2018/08/03~2018/08/26

資生堂ギャラリー[東京都]

国籍、人種、文化といったさまざまな社会的立場や時代状況の隔たりを超えて、他者の経験や記憶を「表象」として切り取るのではなく、どう鑑賞者が身体的経験として共有することができるか。本展のメイン出品作である《Holiday at War /戦争と休日》で宇多村英恵が挑むのは、この困難な問いである。

展示空間には、約3m四方の黒い立方体が入れ子状に置かれている。観客の目線の高さには横長のスリットが窓のように開けられ、一定の間隔で光が旋回する。光が横切る瞬間、どこか現実離れした高級リゾートホテルの室内のようなイメージが浮かび上がる。その旋回する光は、薄明の青い光で包まれた霧深い海上を照らす灯台の灯りを思わせ、周囲の壁には一列のテクストが照らし出される。「私は海に沿って歩いている。」という出だしから既に虚実混淆の仕掛けに満ちたこのテクストに導かれるように、観客は読みながら歩を進め、この建築物について語る架空の語り手の歩行と身体的に同一化していく。



会場風景 [撮影:加藤健]

語られるのは、ドイツのリューゲン島のプローラという地に建てられたこの建築物の変遷と、関わった建築家の辿った運命について。ナチスにより、国民が余暇を過ごすための世界最大の保養施設として計画されるも、第二次世界大戦中に建設は頓挫。戦後は、ソ連と東ドイツの軍隊によって使用され、また、戦時中の市民の避難所やユーゴスラビア戦争時の難民の避難所にもなった。廃墟同然となっていた建物だが、現在、高級マンションとして売り出されている広告を語り手は目撃する。そして、当初の保養施設の建設コンペで審査員を務めた、ナチスの主任建築士のアルベルト・シュペーアは、戦後、戦犯として刑務所に収監された。彼の独房のサイズは、この休暇用の部屋のサイズとほぼ同じであり、そのサイズを再現したのが目の前の黒い箱なのである。シュペーアは独房の中で回想録を書き、服役中に取った休暇期間には、旅行ガイドや地理の本の中で想像上の世界旅行を楽しんだ。



会場風景 [撮影:加藤健]

地下にある架空の「建物の記憶を保存した博物館」から地上に出た語り手は、どうやら「黒い箱」の中にいるようだと語る。語り手=私たち観客を取り込んだそれは独房であり、内省と想像のための空間であり、休暇用の部屋であり、救済の部屋でもある。複数の主体と空間の境界が溶け合い、重なり合う。「それぞれの時代の要請を受け入れ、異なる国の他者を歓待してきたこの建物のように、私達は他者を受け入れることができるのだろうか」と最後に語り手は自問する。それは、「テクストを読みながら歩く」行為を通して、語り手へと、そして語り手が自身の歩みを彼の孤独な想像旅行に重ね合わせたシュペーアへと、二重、三重に他者へと自身を重ね合わせた私たち観客に引き継がれるべき問いである。無機的な「黒い箱」はその時、近代合理主義の権化から、「他者に自身を重ね合わせる、想像と歓待のための象徴空間」へと反転して現前する。だから内部は不可視のままなのだ。しかしそれは閉ざされた空間ではない。「黒い箱」の周囲を歩き回った私たちは、自らの身体的駆使から、想像力の駆使へと最後に飛躍を迫られる。「想像と歓待のための空間」に身を置いて、灯台が投げかける光のように、外を見通すこと。そこにこそ本作の掛け金がある。緻密なリサーチに基づき、知的な洗練度を備えた、極めて完成度の高いインスタレーション作品だった。

2018/08/12(日)(高嶋慈)

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中村紋子「光/Daylight」

会期:2018/08/10~2018/08/26

Bギャラリー[東京都]

中村紋子のBギャラリーでの個展は4年ぶり4回目になる。2008年以来、絵画作品と写真作品をコンスタントに発表してきたが、東日本大震災後の2011年5月に自らの死生観に向き合った「Silence」を発表して以来、写真の表現からはやや距離を置き、被災地での活動や知的障がい者との関わりなどに力を入れてきた。ひさびさの写真作品の発表となった今回の個展では、新作の「Daylight」のシリーズを中心に展示していた。

「Daylight」は「Silence」「Birth」に続く「3部作」の締めくくりにあたるシリーズで、障がい者や新生児を含むポートレートと、「場所」の写真がセットになるように並んでいた。中村はそれぞれの人物を照らし出す光のあり方を注意深く観察しながらシャッターを切っており、「この人はこのように在るべきだ」という確信が、以前にも増して強まっているように感じる。独りよがりな解釈ではなく、被写体の存在のありようをストレートに受け入れることができるようになったことで、表現に安定感が備わった。17歳の頃から構想していたという「3部作」は、これでひとつの区切りを迎えるということになる。

会場の最後のパートには、ひと回り大きめにプリントされた写真が5枚ほど壁に直貼りしてあった。それらがいま進行中の新たなシリーズ、「光」の一部なのだという。「光」がどんなふうに展開していくのかは、まだ明確には見えていないが、都市のイルミネーションやデモ隊の写真など、これまでとは違った「客観的」「物質的」な感触の写真が含まれている。どちらかといえば内向きだった中村の写真の世界が、外に大きく開いていきそうな予感がする。次作の発表は意外に早い時期になりそうだ。なお、展覧会にあわせて写真集『Daylight』(Bギャラリー)が刊行された。

2018/08/11(土)(飯沢耕太郎)

加藤俊樹「失語症」

会期:2018/08/04~2018/08/31

公益財団法人日産厚生会 玉川病院[東京都]

1965年、岐阜県生まれの加藤俊樹は、写真雑誌の編集の仕事を経て2008年からカメラメーカーに勤務していた。ところが2012年に急性の脳出血を発症し、以後長く療養生活を送るようになる。失語症のために「自分の名前も言えず、平仮名も読めなく」なったのだという。その後、週2回の通院とリハビリによって症状は回復し、2014年5月には復職することができた。今回、通院先だった玉川病院内のレストランの外壁を使って展示された写真群は、そのリハビリの期間中に撮影されたものである。

写真に写っているのは、ソファ、鏡、窓、植物など、自宅や病院の行き帰りに目にしたものがほとんどである。花火や自分の手を写した写真もある。まず目につくのは、光に対する鋭敏な反応だろう。まさに光を物質として捉え、撫でたり触ったりするようなあり方を見ると、加藤が写真を撮るという行為の「原点」を、もう一度辿り直しているのではないかと思えてくる。よく知られている例でいえば、急性アルコール中毒による記憶喪失から復帰した中平卓馬と共通する写真への取り組みといえる。加藤は写真雑誌の編集長を務めていたほどだから、写真の「撮り方」はよく知っていたはずだ。だが、失語症によってそのようなルールが一切無化された状況下で、もう一度ゼロから写真行為を組み上げていこうとするもがきが、このシリーズに異様なほどの緊迫感、みずみずしい生命力の漲りをもたらしている。

写真展のコメントとして、以下のように記されていた。「心は言葉か? 心は絵か? 心は脳CTか? 心は写真か?」。たしかに、さまざまな問いかけを呼び起こす写真群である。すでにPLACE Mで一度展示されているシリーズではあるが、もうひと回り規模を拡大して、多くの観客に見てもらう機会を持ちたい。写真集の刊行もぜひ考えてほしいものだ。

2018/08/10(金)(飯沢耕太郎)

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