2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

宇佐美雅浩「Mandala-la in Cyprus」

会期:2018/02/21~2018/03/24

Mizuma Art Gallery[東京都]

2015年にMizuma Art Galleryで開催された個展で、はじめて「Manda-la」シリーズを展示して衝撃を与えた宇佐美雅浩が、さらにヴァージョン・アップした展覧会を開催した。今回、彼が1年余りの時間をかけて撮影したのは、地中海のキプロス島である。ギリシャ正教徒であるギリシャ系キプロス人と、イスラム教徒であるトルコ系キプロス人とが、緩衝地帯(グリーンライン)を挟んで同居するキプロス島は、ある意味、現代社会の縮図ともいえる場所だ。宇佐美は、その複雑で緊張感を孕んだ島の歴史を踏まえて、住人たちをある場所に活人画のように配置し、パフォーマンスを演じさせて撮影するという手法で作品を制作した。

例えば、大作の「マンダラ・イン・キプロス」(2017)では、画面の中央にドラム缶を並べて「グリーンライン」を表現し、黒と白の同じ衣装を身につけ、それぞれの祈りのポーズをとるギリシャ正教徒とイスラム教徒たちに、その両側に並んでもらった。画面の手前には少女たちがいて、彼女たちと花で作られたキプロスの地図に、迷彩服姿の兵士たちが銃を向けている。そんな入り組んだ構図の写真を、デジタル合成ではなく4×5インチサイズの大判カメラで「一発撮り」していくというのだから驚くしかない。一つひとつの作品に傾注されたエネルギーを考えると、気が遠くなるような作業である。それを現在も政治・軍事情勢が不安定なキプロス島で、通訳を介しながらやり遂げたことには大きな意義があると思う。

どちらかといえば、政治的なテーマが敬遠されがちな日本の写真・現代美術の世界で、このような作品をつくり続けることの難しさは、痛いほどよくわかる。しかも、宇佐美の作品は単なる絵解きで終わることなく、視覚的なエンターテインメントとしての強度もしっかりと保ち続けている。そこに彼のアーティストとしての真骨頂があるのではないだろうか。

2018/03/13(火)(飯沢耕太郎)

塩竈フォトフェスティバル2018

会期:2018/03/07~2018/03/18

塩竈市杉村惇美術館ほか[宮城県]

平間至を実行委員長として隔年で開催されている塩竈フォトフェスティバル。6回目になる今回は、東日本大震災から7年目にあたる3月11日を中心に、塩竈市内のスペースで、展覧会やポートフォリオレビューなどの催しが開催された。

今回のテーマである「自己と他者」に沿うように、塩竈市杉村惇美術館で開催されたのが、「牛腸茂雄 まなざしの交錯」展である。牛腸の「日々」、「SELF AND OTHERS」、「幼年の『 時間とき』」といったシリーズから代表作34点をピックアップした、それほど大きな規模ではない展覧会だが、1950年に建造されたという元公民館の建物を改装した瀟洒なスペースに、写真が柔らかに溶け込んでいて、魅力的な展示になっていた。それにしても、いつ見ても牛腸の写真には見る者の心に深く食いいってくるような不思議な力がある。淡々と写しているようで、被写体となる人物たちの、本人すら気づいていないような痛みや翳りを感じとる能力が抜群に高いということではないだろうか。3月11日に会場で行なわれた、本展の構成を担当した三浦和人(牛腸の桑沢デザイン研究所の同級生)と平間至とのトークも、牛腸の写真に写っている被写体の細やかな情報を伝え、彼の「まなざし」のあり方を問い直す、とても充実した内容だった。

ほかにも、亀井邸では菱田雄介、横山大介、喜多村みか+渡邊有紀による「あなた/わたし」展が、ビルドスペースでは前回のポートフォリオレビューでグランプリを受賞した北田瑞絵の「一枚皮だからな、我々は。」展が開催されるなど、「自己と他者」というテーマ設定をしっかりと踏まえたいい展示を見ることができた。けっして派手ではないが、地に足がついた写真フェスティバルが、東北の地に根付きつつあるのは素晴らしいことだと思う。

2018/03/11(日)(飯沢耕太郎)

Tokyo Rumando(東京るまん℃)「S」

会期:2018/03/02~2018/03/31

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

Tokyo Rumandoの「S」は意欲的な新作である。「S」という謎めいた文字が何を意味するかについては、いろいろな解釈が可能だろう。一番わかりやすいのは、「ストリップティーズ」の「S」ということだ。展示されている作品には、ストリップ劇場の看板や楽屋を撮影したものが多い。実際にその舞台で作者本人がストリップティーズを演じている場面もある。もうひとつ、「ストーリーズ」の「S」という解釈も成り立つ。これまでも、Tokyo Rumandoの作品には物語性が組み込まれていることが多かったのだが、今回はそれがより強く打ち出されてきている。一枚一枚の写真に、いわくありげなバックグラウンドがあるように見えるし、セーター服、網タイツ、能面のような仮面など小道具もそれぞれが自己主張しているのだ。さらに、ワックスペーパーに焼き付けた写真に、透過光を当てて再複写したという、ざらついた、白黒のコントラストの強いプリントも、ミステリアスな雰囲気を醸し出すために効果的に使われていた。

だからこそ、その物語性をもっとくっきりと浮かび上がらせる仕掛けが必要だったではないかとも思ってしまう。写真の並びだけでそれを実現するのはやや難しいので、テキスト(言葉)もあったほうがよかった。《DISCO Red Dress》(2017)と題する映像作品も、静止画像の作品ともっとうまく組み合わせれば、面白いインスタレーションとして成立しそうだ。全体的にまだ未完成な印象だが、ブラッシュアップしていくと、さらにインパクトが強まるのではないだろうか。

なお展覧会に合わせて、ZEN FOTO GALLERYから、同名のスタイリッシュな造本の写真集が刊行されている。

2018/03/08(木)(飯沢耕太郎)

今道子「Recent Works 2018」

会期:2018/03/07~2018/04/28

PGI[東京都]

今道子は2016年に初めてメキシコを訪れ、すっかり気に入ってしまった。それはそうだろう。彼女の魚や野菜や果物を使ってあり得ないオブジェをつくり上げて撮影する作品は、元々ラテン・アメリカの「魔術的リアリズム」の風土ととても相性がいいからだ。その後の2回の滞在を経て、メキシコで受けたインスピレーションを形にした作品が、今回の展示の中核部分を占めている。実際に「死者の日」に撮影したという「Self portrait in Mexico」(2016)は、顔の半分にドクロのメーキャップを施し、メキシコの人形、聖母像、布などを配した作品だが、あまりの違和感のなさに思わず笑いがこみ上げてきた。

今回、もうひとつ気になったのは、昆虫を被写体にした作品が目につくことである。特に蚕蛾の生育キットをモチーフにした「蚕観察」(2018)のシリーズが興味深い。《目の見えない蚕》、《飛べない蚕蛾》、《口がない蚕蛾》、《蚕蛾と生きているアワビ》とそれぞれ題された作品には、今道子にはやや珍しく、苦いアイロニーが感じられる。ほかの作品も、それぞれ思考の深まりと技術的な洗練とが見事に合体しており、見応えのあるものが多かった。メキシコ滞在をひとつのきっかけとして、また別の世界が拓けてきつつあるのではないかと思う。今回で、PGI(フォト・ギャラリー・インターナショナル)では6回目の個展になるそうだが、さらなる飛躍が期待できそうだ。

2018/03/07(水)(飯沢耕太郎)

渡邊耕一「Moving Plants」

会期:2018/01/13~2018/03/25

資生堂ギャラリー[東京都]

スケールの大きな思考と実践の成果である。渡邊耕一は「15、6年前」に北海道を撮影している時に目にした、巨大なオオイタドリの群生に興味を惹かれ、その来歴をリサーチし始める。その結果、驚くべきことがわかってきた。イタドリ種の植物は日本では普通に見られるが、ヨーロッパやアメリカでは外来種であり、江戸時代に来日したフォン・シーボルトによって種子が持ち込まれ、「侵略性植物種」として各地にはびこることになったのだ。渡邊はこの「名も無き雑草」の200年以上にわたる遥かな旅の足跡を辿り、イギリス、オランダ、ポーランド、アメリカなどで、イタドリが生えている風景を撮影し続けた。本展はその成果をまとめて大阪のThe Third Gallery Ayaで2015年に開催された同名の個展の拡大版である。

渡邊の撮影のやり方は、正統なドキュメンタリー写真のそれだが、写真だけではなく、標本や古文書などの原資料、テキスト、スライド・プロジェクションなども加えたインスタレーションはとても現代的に洗練されている。発想の鮮やかさはもちろんだが、それを粘り強い調査を積み重ねて丹念に編み上げていくことで、展覧会としてもよくまとまったものになっていた。イタドリのある見慣れた眺めが、この写真展を見たあとでは、まったく違ったふうに目に映るのではないだろうか。写真による新たな世界認識のあり方を提示しようとする意欲的な試みといえる。なお、2015年の展覧会に合わせて、青幻社から同名の写真集も刊行されている。

2018/03/06(火)(飯沢耕太郎)

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