2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

広田尚敬「Fの時代」

会期:2018/01/05~2018/03/31

ニコンミュージアム[東京都]

広田尚敬(1935~)は日本の鉄道写真の第一人者であり、60年以上にわたって素晴らしい作品を発表し、数々の名作写真集を刊行してきた。そのなかでも『Fの時代』(小学館、2009)は特に印象深い一冊である。「F」というのは、名機として知られるニコンFであり、広田は1961年にこのカメラを手に入れ、以来北海道を中心としたSLの撮影に使用するようになった。東京・品川のニコンミュージアムで開催された本展には、時には200ミリの望遠レンズにエクステンダー(レンズの長さを調整するリング)を2台つけて撮影したというそれらの写真群から、大伸ばしも含めて約60点のモノクローム作品が展示されていた。

この時期の広田の写真を見ると、彼の出現によって日本の鉄道写真の世界が大きく変わったことが実感できる。それまでの蒸気機関車の車体と走行のメカニズムを克明に記録することを目的とする写真に、幅と深みが加わってくるのだ。鉄の車体の質感や力動感に肉薄しているだけでなく、鉄道の周辺の風景、車内や駅の様子なども被写体として取り上げられるようになってくる。乗客のスナップショットは抜群の巧さだし、ブレやボケを活かした表現も積極的に取り入れている。SLをダイナミックに、多面的に捉えるにあたって、機動力を備えたニコンFの機能を最大限に活かして撮影していたことがよくわかる。

広田が新たな領域にチャレンジしていた「Fの時代」の頃と比較すると、デジタル時代の鉄道写真は、ハード的には進化して誰でもクオリティの高い写真を撮れるようになったにが、何か物足りなさを感じてしまう。撮ること、撮れたことへの歓び、ワクワク感が失われてしまったことがその大きな要因といえるだろう。このジャンルも原点回帰の時期にさしかかっているようだ。

2018/01/15(月)(飯沢耕太郎)

生誕100年 ユージン・スミス写真展

会期:2017/11/25~2018/01/28

東京都写真美術館[東京都]

本展はアリゾナ大学クリエイティヴ写真センター(CCP)が所蔵する2600点のW・ユージン・スミスのヴィンテージ・プリントから、約150点を選んで構成したものだ。むろんそのなかには、彼の代表作である「カントリー・ドクター」、「スペインの村」、「慈悲の人(シュヴァイツァー博士)」といった、1940~50年代に『ライフ』に掲載された名作も含まれている。だが、初めて目にする作品も多く、スミスの写真家としてのあり方を再考させる造りになっていた。

特に注目したのは1950年代後半から60年代にかけての「ロフトの暮らし」と題する写真群である。スミスは『ライフ』のスタッフカメラマンを1954年に辞めてから、「ピッツバーグ」のシリーズに取り組む。だが、この叙事詩を思わせる大作はなかなか完成せず、経済的に困窮し、家庭生活も破綻した。スミスは1957年にマンハッタン島北部のロフトに移転して一人暮らしを始めるが、アルコールとドラッグに溺れて、心身ともに極度の混乱状態に陥ってしまった。「ロフトの暮らし」は、まさにこの時期に撮影された連作で、『ライフ』時代の、ひとつのテーマや物語性への執着が薄れたことで、逆に彼の写真家としての地金が露呈しているように思える。極端に黒(闇)を強調したプリント、断片的で不安定な画面構成などは、ほかの時代には見られないものだ。このような混乱をステップボードにして、最後の作品になった「水俣」へと踏み出していったということがよくわかった。

CCP所蔵のユージン・スミスのヴィンテージ・プリントには、まだ未知の可能性が潜んでいる。その全体像が見えてくるような、ひとまわり大きな規模の展示も考えられそうだ。

2018/01/13(土)(飯沢耕太郎)

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吉村朗遺作展 THE ROUTE 釜山・1993

会期:2018/01/12~2018/01/28

ギャラリーヨクト[東京都]

写真集『Akira Yoshimura Works──吉村朗写真集』(大隅書店、2014)の刊行を契機に、2012年に逝去した吉村朗の仕事の見直しが始まっている。そのなかで、写真展「分水嶺」(1995)以後の、韓国、中国などで撮影された、自らの家族史を、戦前・戦中の日本の侵略の歴史と重ね合わせようとした一連の写真群にあらためてスポットが当たってきた。だがそれ以前の、都市の光景にカメラを向けたカラー・スナップ作品については、その大部分が破棄されていることもあって手つかずのままだった。今回の「遺作展」に出品された36点は、アメリカの「ニュー・カラー」や牛腸茂雄の『見慣れた街の中で』(1981)に触発された初期のスナップショットと、「分水嶺」以降の作品のちょうど中間に位置するものといえる。

自室にまとまって保存されていたというやや色褪せたプリント見ると、吉村が韓国・釜山の路上を彷徨いながら、手探りで新たな方向性を見出そうともがいている様子が伝わってくる(一部中国で撮影された写真を含む)。写真の大部分は、ややローアングルのノーファインダーで撮影されており、画面が傾いているものも多い。その不安定な画像から色濃く滲み出してくるのは、違和感や不安感のようなややネガティブな感情だ。吉村はこの時点で、偶発的なスナップショットを続けていくだけでは、彼が構想しつつあったより政治性、社会性の強いテーマを定着するのは難しいと思い始めていたのではないだろうか。今後、さらに初期作品が出てくる可能性もある。『Akira Yoshimura Works』の拡大版の刊行も、そろそろ視野に入れてもいいかもしれない。

2018/01/12(金)(飯沢耕太郎)

TOP Collection アジェのインスピレーション ひきつがれる精神

会期:2017/12/02~2018/01/28

東京都写真美術館[東京都]

20世紀初めにパリの街角を撮り続けたウジェーヌ・アジェと、その写真が後世に与えた影響を探る展覧会。アジェのほか、マン・レイ、ベレニス・アボット、リー・フリードランダー、森山大道、荒木経惟らの作品が出ているが、なんてったって見ごたえがあるのはアジェだ。いってしまえばただのパリの街角を写した風景写真なのに、なんでこんなに見飽きないんだろう? たぶん、それがいまもほとんど変わらないパリの街角だからであり、また、建築の細部まで写し込まれているからであり、モノクロゆえに郷愁を呼び、想像力をかき立てるからでもあるだろう。もっと簡単にいうと、記録性、情報量、芸術性を兼ね備えているからだ。なんだ、写真の重要な要素ばかりじゃないか。後続の写真家に影響を与えたというのもうなずける。

さて、こうしてあらためてアジェの写真を見てひとつ気づいたのは、意外と人が写ってるということ。なんとなくアジェの写真はパリの無人の風景、つまり人のいない時間帯を狙って撮影したものだと思っていたが、そんなことはなさそうだ。彼は人の有無にかかわらず撮影したが、長時間露光のため人が消えたりぼんやりと写ってしまい、結果的に無機質の建築ばかり目立ち、人がいたことに気づかないのだ。なるほど、こういうのを「不動産写真」と呼んでみたい。今回はアジェの油絵も出ていて、これがなかなか興味深い。《(樹)》というタイトルどおり樹を描いているのだが、ふつう木らしさの出る枝葉を描くものなのに、彼は地面から幹が生えてる下のほうしか描かず、代わりに背景に下生えの低木を描いているのだ。アジェがなにを見ようとしていたかがうかがえる絵だと思う。

2018/01/12(金)(村田真)

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無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol. 14

会期:2017/12/02~2018/01/28

東京都写真美術館[東京都]

吉野英理香、金山貴宏、片山真理、鈴木のぞみ、武田慎平の5人展。この順に作品が展示されているが、見ていくうちに写真展から、写真も素材に採り入れた現代美術展へと趣を変えていく。そういえばタイトルも「日本の新進作家」であり、写真家に限定していない。金山は似たようなおばあさんばかり撮った見た目ふつうの写真だが、彼女らは統合失調症の母とその姉妹(作者からすれば叔母たち)。こういうきわめて私的な動機で撮った私的な写真を公表することには違和感を感じるが、その違和感がこの作品をふつうの写真から遠ざけている。片山はセルフポートレート写真を中心に、手づくりのオブジェやコラージュで構成したインスタレーションで、5人のなかでいちばん目立っている(浮いているというべきか)。本人はセルフポートレートを撮ってる自覚も、写真作品を制作しているつもりもないそうだ。窓や鏡にピンホールカメラの手法で外の風景を焼きつけた鈴木は、写真の原理を問い直そうとしているように見えるが、むしろ絵画の延長と捉えたほうがわかりやすい。窓も鏡も写真のメタファーである以前に絵画のメタファーだった。武田も印画紙に放射性物質を含む土を被せて感光させる点で、写真の原理に遡ろうとしているようだが、そのイメージはもっとも写真から遠く、科学的な実験データでも見せられているようなおもしろさがある。

2018/01/12(金)(村田真)

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