2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

第16回グラフィック「1_WALL」グランプリ受賞者個展 時吉あきな展 ナンバーワン

会期:2018/01/10~2018/01/26

ガーディアン・ガーデン[東京都]

時吉あきながガーディアン・ガーデンで開催した「ナンバーワン」展は、2017年の第16回グラフィック「1_WALL」のグランプリ受賞作品展である。だが、手法的には写真を使った立体コラージュ作品であり、写真部門の作品と見てもまったく問題ない。まず、いろいろな犬たちの写真を、角度を変えてスマートフォンで撮影し、それらをコピー用紙に出力して貼り合わせ、立体化していく。リアルな造形だが、細部を見るとつなぎ目の所にズレや歪みが生じており、それが逆に面白い視覚的効果を生んでいる。会場には、さらに部屋の壁やカーテン、ソファ、キャビネット、流しなども同じ手法で再現してあって、活気あふれる部屋の空間が成立していた。キャビネットの上のTVやティッシュペーパーの箱、ソファのクッションなどもコピー用紙製で、その徹底したこだわりがなかなか楽しかった。

このような立体コラージュの手法を使った作品は、すでに1990年代から写真新世紀や写真「ひとつぼ展」(写真「1_WALL」の前身)に出品されていた。また、糸崎公朗が街の建物などを写真撮影して再構成した「フォトモ」のシリーズなどでも使われてきた。その意味では特に目新しい手法ではないのだが、1994年生まれの時吉のような若いアーティストが、スマートフォンやカラーコピー機を使って新たにチャレンジしようとしているのが興味深い。同時に、いまや若い世代にとっては、グラフィックと写真の領域のあいだの境界線もほとんどなくなりつつあるのではないだろうか。僕は写真「1_WALL」の審査をしているのだが、時々グラフィック部門と審査員の入れ替えを図るのも面白いかもしれない。

2018/01/24(水)(飯沢耕太郎)

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奥山淳志「庭とエスキース」

会期:2018/01/24~2018/01/30

銀座ニコンサロン[東京都]

「他者の人生にカメラを向ける」というのは、口で言うほど簡単なことではない。写真家とモデルとの微妙な関係をうまく保ちつつ、長期間にわたる忍耐強い作業の蓄積が必要になるからだ。奥山淳志が、北海道新十津川町で自給自足の生活を送る「弁造さん」(井上弁造、当時78歳)の写真を撮影し始めたのは、「25歳の頃」だったという。以来、森の中の丸太小屋での暮らし、その周辺の「庭」の様子を繰り返し訪ねて撮影し続けてきた。2012年に「弁造さん」が92歳で亡くなってからは、遺された「庭」や彼が描き続けた絵のエスキースにカメラを向けることが多くなった。今回の銀座ニコンサロンの個展は、その成果をまとめたもので、それに合わせて厚みのある写真集『弁造 Benzo』(私家版)も刊行された。

6×6判のカラーフィルムで撮影された写真群は、「弁造さん」の生の痕跡を丁寧に跡づけ、辿っていく。今回の展示の特異な点は、彼が遺したエスキースをそのまま複写した写真がかなり多く含まれていることだろう。しっかりとしたデッサン力を感じさせるスケッチやクロッキーではあるが、絵画作品としてそれほど高度に完成されたものではない。だが逆に、それらは「弁造さん」のあまり人に見せなかった側面を、ありありと浮かび上がらせているようにも見える。奥山によれば、エスキースのほとんどは女性を描いたものであり、そこには独身だった彼の「リビドー」が秘められているのではないかというのだ。この推測が当たっているかどうかは別にして、そこでは絵画作品を手がかりにして「他者の人生」を再構築していくという興味深い試みが展開されていた。

奥山は1998年に岩手県雫石町に移住し、東北の風土と文化をテーマにしたドキュメンタリーに力を入れているが、そこからはみ出した今回の展示にも、彼の表現力の高まりを感じることができた。なお、本展は2月22日~2月28日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2018/01/24(水)(飯沢耕太郎)

小平雅尋「在りて在るもの」

会期:2018/01/13~2018/02/17

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

タカ・イシイギャラリーでの小平雅尋の個展は、ほぼ3年ぶり2度目になる。前回の「他なるもの」(2015)と同様に、今回の「在りて在るもの」でも、風景、物体、身体、建築物など、かなり幅の広い被写体をモノクロームで撮影した写真が並ぶ。ただ、前回と比較すると距離を詰めてクローズアップで撮影した写真が多く、「部分」であることがより強調されている印象を受ける。スタジオで撮影されたと思しき、ヌード作品が含まれていることにも意表をつかれた。被写体は女性と赤ん坊のようだが、ほかの写真よりもやや浮遊感のある撮り方をしている。つまり、小平の写真の世界も少しずつ拡大し、形を変えつつあるということだろう。

とはいえ、ベーシックな部分での撮影の姿勢にはまったく揺るぎがない。展覧会に寄せた文章を、彼は「気の向くままに撮り歩いていると、理由はわからないが眼が引き付けられることがある」と書き出している。違和感を覚えつつもそこにカメラを向け、シャッターを切るのだが、「眼が捉えてから物事に気付いている事実に動揺する」のだという。普通なら、当たり前に思えてしまうこのような心の動きに、小平はこだわり続けている。それは写真撮影を通じて「意識にそれを見ろ、判断しろと促し続ける、もう一つの隠れた存在」を明るみに出そうとつねに心がけているからだ。今回の展示を見ると、「気の向くまま」ということだけではなく、より意識的に撮影のプロセスを構築するようになってきているようにも思える。それこそ、ゴールの見えない作業の積み重ねには違いないが、彼にとっても、写真を見るわれわれにとっても、手応えと厚みのある作品の世界が形を取りはじめているのではないだろうか。

Masahiro Kodaira, “Tokyo Tower, Tokyo 2017.4.23”, 2017, gelatin silver print, 35 x 52.6 cm © Masahiro Kodaira / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

2018/01/20(土)(飯沢耕太郎)

川田喜久治「ロス・カプリチョス-インスタグラフィ-2017」

会期:2018/01/12~2018/03/03

PGI[東京都]

「ロス・カプリチョス」は、1960年代末から80年代初頭にかけて制作された写真シリーズである。川田によれば「写真の発表をはじめて、10年ほど経ったころ、そのシリーズは自己解放のような気持ちで取りくんだ」のだという。たしかに、それ以前の「地図」や、同時進行していた「聖なる世界」のような緊密な構成の作品と比較すると、ゴヤの版画シリーズからタイトルを借りた「ロス・カプリチョス」は、気ままな発想のバラバラな作品の集合体であり、「自己解放」の歓びにあふれているように見える。

今回の「ロス・カプリチョス-インスタグラフィ-2017」は、70年代を中心にした旧作の再現というだけでなく、全89点のうち3分の1ほどは新作ということで、むしろこのシリーズの再構築というべき展示になっていた。こうして見ると、「ロス・カプリチョス」の発想や手法がまったく古びることなく、むしろより自由度を増したデジタル時代の作品制作のあり方を予言していたようにも思えてくる。軽やかな、だが切れ味のあるアイロニーを含んだ作品としてよみがえった「ロス・カプリチョス」は、これから先もさらに増殖し続けていくのではないだろうか。

ところで、いまや1959年に活動を開始したVIVOの創設メンバーのうち、現役の写真家として活動を続けているのは、川田だけになってしまった。やや寂しいことではあるが、この元気な展示を見ていると、まだしばらくは若々しい、活力に満ちた写真群を生み出し続けることができそうだ。

2018/01/20(土)(飯沢耕太郎)

村上華子展 ANTICAMERA(OF THE EYE)

会期:2017/12/11~2018/1/19

第一生命ギャラリー[東京都]

重厚な第一生命日比谷本店のビルを入ってギャラリーに向かうと、入口から金の額縁が目に飛び込んでくる。このギャラリーには似つかわしくない作品だなと思いつつ入室してみると、額縁ではなく、縁が黄金色をした大きなプリントであることがわかる。いやそれは最初からわかっていたんだけど、いちおう書き出しとして知らんぷりして書いてみました。第一生命がスポンサーを務める「VOCA展」で昨年、佳作賞を受賞した村上華子の個展。「ANTICAMERA(OF THE EYE)」と題するシリーズは、100年ほど前に生産されたものの、未使用のまま残されていた最初期のカラー写真「オートクローム」の乾板を現像したプリント作品。だからなにかが写っているわけではなく、100年のあいだにわずかながら光学的・化学的変化を起こしてシミのような偶然の模様が成長したのだ。額縁のように見えたのも、乾板の周囲にたまたま瑪瑙のような美しいパターンが現出したもの。作者もこれを見て「お、これは絵画だ!」と思ったのではないか。

2018/01/16(村田真)

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