artscapeレビュー

2014年01月15日号のレビュー/プレビュー

プレビュー:GRAPHIC WEST 6 大阪新美術館建設準備室デザインコレクション 熱情と冷静のアヴァンギャルド

会期:2014/01/17~2014/03/05

dddギャラリー[大阪府]

大阪新美術館建設準備室のデザイン・コレクションは、2010年にサントリーミュージアム[天保山]からポスター・コレクションの寄贈を受けたこともあり、質量ともに日本トップクラスの評価を受けている。本展では、それらのコレクションのなかから、グラフィック・デザインの発展期である1920~30年代と、成熟期である1950~60年代の作品約50点を展覧する。第2次大戦前のロシア・アヴァンギャルド、バウハウス、デ・ステイルや、戦後一世を風靡したスイス・スタイルなどの作品を通して、文化で社会を変えようとした先人たちの軌跡を振り返りたい。

2013/12/20(金)(小吹隆文)

artscapeレビュー /relation/e_00024934.json s 10095338

プレビュー:フルーツ・オブ・パッション ポンピドゥー・センター・コレクション

会期:2014/01/18~2014/03/23

兵庫県立美術館[兵庫県]

フランス・パリのポンピドゥー・センターにあるパリ国立近代美術館は、現代美術に関する世界屈指の拠点として知られている。本展では、同館の支援団体である「国立近代美術館友の会」が2002年に立ち上げた「現代美術プロジェクト」により収蔵された19作家25点に、現代美術の巨匠の作品6点を加えた31点を紹介する。出品作家は、レアンドロ・エルリッヒ、エルネスト・ネト、アンリ・サラ、ツェ・スーメイ、ダニエル・ビュレン、ゲルハルト・リヒター、サイ・トゥオンブリーなど。これだけの面々が一堂に揃う機会は珍しく、現代美術ファン垂涎の機会となるだろう。なお、本展は巡回の予定がなく、兵庫県立美術館1館のみの開催となる。

2013/12/20(金)(小吹隆文)

artscapeレビュー /relation/e_00024609.json s 10095339

森栄喜『intimacy』

発行所:ナナロク社

発行日:2013年12月14日

だいぶ予定からは遅れたのだが、森栄喜の新作写真集『intimacy』がようやく刊行された。2013年1月~2月のZEN PHOTO GALLERYでの展示でも感じたのだが、日本ではこれまでゲイのカップルの日常を、ことさらにドラマティックな葛藤に逃げ込むことなく、こんなふうに淡々と描き切ったシリーズは、あるようでなかったのではないだろうか。
あるよく晴れた夏の日から、季節を経て、次の年の夏の日まで、森自身とパートナーの男性の日常が日記のように綴られていく。だがそれらの日々が、東日本大震災の直後からの一年であることに注目すべきだろう。多くのカップルが経験したことだと思うが、その時期には重苦しい不安に包み込まれることで、二人の関係にある種の切羽詰まった感情が影を落としていったことが想像できる。その翳りは写真には明確に表われてはいない。ただ、パートナーの髪の毛や皮膚や筋肉の微細な動き、表情の変化を細やかに追う森の眼差しに、緊張と弛緩とが交互にやってきたあの日々の、危うい気分が確実に投影されているように感じる。
おそらく森にとって次の課題となるのは、この親密なイメージの連鎖を、二人の関係の内側だけに留めることなく、よりのびやかに社会や現実に開いていくことだろう。日本社会に色濃くある、ゲイ・カルチャーへ向けられた差別や異化の視線は、むろんまだ完全に解消されたわけではない。「intimacy」のなかに潜むポリティックスを、より正確に抉り出していくことで、彼の写真の世界はさらなる広がりと深みを持つのではないだろうか。

2013/12/20(金)(飯沢耕太郎)

齋藤陽道「宝箱」

会期:2013/11/30~2014/03/16

ワタリウム美術館[東京都]

齋藤陽道の視覚的世界は、聾唖の写真家であるがゆえの特異な歪みを備えているのではないかと思う。決してネガティブな意味ではなく、彼の眼が捉え、カメラが記録する画像を見ていると、写っているはずのないものが写っていたり、見慣れた被写体が何とも奇妙な変容を遂げたりしていることがよくあるのだ。音のない世界に生きる彼は、視覚を研ぎ澄ますだけではなく、全身感覚的に(触覚や嗅覚も総動員して)「見る」ことを目指している。その結果として、彼の写真は「たましいのかたち」としか言いようのない、異様に昂揚した生命感に満たされることになる。
それに加えて、今回の展示で強く感じたのは、齋藤の言葉で何かをつかみ取る能力の高さだ。彼は普段から筆談でコミュニケーションを試みているのだが、そのことが彼の言語感覚に磨きをかけているのかもしれない。「感動」「絶対」「無音楽団」「MY NAME IS MINE」「せかいさがし」「あわい」といった、新作、旧作のタイトルを見ただけでも、彼の言葉を操る才能が驚くほど柔らかく、しかも鋭敏であることがよくわかるだろう。今回の展示で最も感動的だったのは、3Fの「無音楽団」のパートだった。ここでは五線譜を思わせるブラインドのイメージを下敷きにして、さまざまなかたちで音楽を楽しむ人々の姿が写し出されている。言うまでもなく、それらは齋藤にとっては理解不能な体験だ。だが、その「無音」の世界を、彼は肯定的に受け入れ、楽しげに写真に翻訳して見せてくれる。むろん、それらの写真からは音は聞こえてこない。つまり、われわれ観客もまた、齋藤の感じとった「無音楽団」の演奏を追体験できるということだ。
これらの新作を含めて、齋藤は急速にその写真家としての能力を開花させつつある。その勢いは、今後さらに強まっていくのではないだろうか。なお、ワタリウム美術館の編集で、カタログを兼ねた同名の写真集(ぴあ刊)が出版されている。デザインは寄藤文平。小ぶりだが、やはり勢いのある写真集だ。

2013/12/20(金)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00024441.json s 10095352

アイチのチカラ!

会期:2013/11/29~2014/02/02

愛知県美術館[愛知県]

戦後の愛知県おける美術史を振り返った展覧会。同館のコレクションから130点あまりが展示された。戸谷成雄や奈良美智、杉戸洋、安藤正子といった愛知県にゆかりのある美術家の作品をはじめ、片岡球子や中村正義の破天荒な日本画、舞妓を丹念に描いた鬼頭鍋三郎の油彩画など、見るべき作品は多い。
都市の美術史を編纂する重要な契機となるのは、公募団体と美術大学、そして美術館である。こうした諸制度は、美術家や鑑賞者、学生が集まる美術の現場になりうるからだ。事実、本展も1946年の中部日本美術協会の結成にはじまり、1955年の愛知県文化会館美術館の開館、そして1966年の愛知県立芸術大学開学などを歴史の動因としていた。
だが、本展には決して見過ごすことのできない重大な欠陥が2つあった。それは、展示された作品が「絵画」に偏重していることと、歴史を構築する美術館としての態度である。
本展のラインナップは、油彩画や日本画を含む絵画が大半で、立体や彫刻はきわめて少ない。ましてやパフォーマンスや映像は皆無だった。けれども、愛知には同地で結成され、その後全国的に活動を展開したゼロ次元をはじめ、1970年の「ゴミ裁判」や1973年の名古屋市長選挙に立候補した岩田信一など、重要な美術家がたくさんいる。言うまでもなく、赤瀬川原平や荒川修作といったネオ・ダダのメンバーも愛知とは関わりが深い。そうした側面をすべて欠落させたまま、あくまでも絵画を中心に提唱された愛知の美術史が著しく偏向していることは指摘しておかなければなるまい。
むろん、こうした偏りは美術館の収集方針に由来している。だが、本展で明らかにされていたそれを確認してみると、「絵画」を重視する明確な収集方針が打ち出されているわけでもないことに驚かされた。同館は、「愛知県としての位置をふまえた特色あるコレクションを形成する作品」を収集するというのだ。このひどくまわりくどい日本語がわかりにくいのは、コレクションを形成する主体が誰なのか明示されていないからだ。だが、これは明らかなトートロジーである。事実として美術館が収集した美術作品が美術史の主流を形成するのだから、このようにコレクションの主体を曖昧にするような言い方は、無責任というより不誠実と言わざるをえない。
今日、美術史が排除と選択の結果であることは誰もが知っている。だが、であればこそ、美術館に求められるのは美術の歴史を構築する明確な意志とフィロソフィー、すなわち「愛智」ではないのか。

2013/12/20(金)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00024255.json s 10095359

2014年01月15日号の
artscapeレビュー