artscapeレビュー

チェルフィッチュ『現在地』

2012年05月01日号

会期:2012/04/20~2012/04/30

KAAT[神奈川県]

「村」に生きる7人の女たちが二、三人ずつ立ち上がってはおしゃべりする。内容は、噂(兆し、予感)を信じるかどうか、何かを信じると選択したあと、自分と異なる選択をした者とどうつきあうべきかなど。明らかにテーマは「3.11以後の日本」。災いが起こるかもしれない、いや起こってしまったかもしれない。その状況に直面しているわけではない女たちが、不安と不信を抱え、出口を得られぬまま生きている。日本は二つに分裂し戦争状態となり、そこから逃れてきた者たちが「村」をつくっているという話も「おとぎばなし」と称して語られる。いつものチェルフィッチュらしいぶらぶらした動作は抑制され、役者たちはほぼ直立状態で姿勢や向きを変えない。ストロープ=ユイレの作品を想起させるそうしたところよりも、さらに印象的だったのは、いつものモノローグ的な台詞が今作ではやや対話的になっているところ。聞き手が「うんうん」と相づちするだけではなく「なぜ?」と問う。とはいえ、問われた本人の心に大きな変化が訪れるわけではなく、だからモノローグ的傾向は相変わらずと言うべきかもしれない。各人は各人のそれらしい理屈をこねては投げる。岡田利規の書いた「それらしい理屈」のさまざまなかたちは、確かに現在の日本のある一定の心の模様を指し示しているとも言えるが、どれもねじくれたへ理屈ばかりとも思わされる。この日本の滅びを遠くから眺める逡巡する女たちを主人公に据えたことは、どんな狙いからか? 家族や恋人との関係はかなり希薄で、孤独な理屈屋たち。そこに岡田は描くべき対象を見た。それは、居を九州に移した岡田本人の心情を、女たちを通して反省するためか。ところで、終始流れ続けるサンガツの音楽と女たちのありようは、とてもよく響き合っていた。音楽というよりギターやシンバルの、音としてのマテリアル性が際立つ。そこには肯定も否定もなく、あるのはちゃんとその音が響いているということだけ。けれども、その意志が貫かれることで、音楽には微かな様式性が漂っていた。舞台もそうで、役者の挙措動作に漂う、微弱な様式性は、全体を引き締め、単調であっても質のある舞台をつくっていた。

チェルフィッチュ『現在地』

2012/04/28(土)(木村覚)

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