2019年08月01日号
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artscapeレビュー

開館40周年記念 産業の世紀の幕開け ウィーン万国博覧会

2018年12月01日号

会期:2018/11/03~2019/01/14

たばこと塩の博物館[東京都]

渋谷の公園通りから下町のスカイツリーのふもとに移転して初の訪問。なんか閑散とした街だなあ。なんでこんなとこに「たば塩」が移ってきたんだろう、と思って地図を見たら納得、近くに日本たばこ産業生産技術センターをはじめJT関連のビルがひしめいているのだ。でもなんで「たば塩」で「ウィーン万博展」をやるんだろう。よくわからないけどうれしい。なぜなら、ウィーン万博は日本政府が初めて公式に参加した万博というだけでなく、その準備のため前年に湯島聖堂で日本初の「博覧会」が開かれ、それが現在の東京国立博物館につながったこと、また、この出品を機に「美術」という日本語が生れたこと、この後ヨーロッパにジャポニスム旋風が吹き荒れることなど、近代日本美術の形成にも大きな意味を持っているからだ。

ウィーン万博は1873(明治6)年に開催。日本を含め35カ国が参加し、半年間で726万人を動員した。日本からは湯島の博覧会にも出された金のシャチホコをはじめとする古器旧物や装飾工芸品を出展。そのとき万博事務局から届いた出品目録に「kunstwerke」とあり、これを「美術」と訳したそうだ。目録を見ると「鉱山ヲ開ク業ト金属ヲ製スル術ノ事(鉱業)」から「少年ノ養育ト教授ト成人ノ後修学ノ事(教育)」まで26区分されていて、見ていくと最後のほうの第二十二区に、「美術ノ博覧場ヲ工作ノ為ニ用フル事(美術品展示の有益性)」、第二十四区に「古昔ノ美術ト其工作ノ物品ヲ美術ヲ好ム人并古宝家展覧会ヘ出ス事(古美術)」、第二十五区に「今世ノ美術ノ事(美術)」とある。これが「美術」という新語を使った最初期の例だろう。
でも同展には大花瓶や大皿、蒔絵、人形、羽子板、そしてたば塩ならではのメアシャム製のコテコテの装飾がついたパイプなど、工芸品は出ているものの絵画・彫刻の類は1点もない。実際、当時の展示写真を見ても、金のシャチホコと大花瓶ばかりが目立ち、絵画はほとんど目立たない。考えてみれば当たり前だ。当時日本で油絵を試みていたのは高橋由一と五姓田一家くらいで、本場西洋に太刀打ちできるような作品はなく、「日本画」もまだ確立する前のこと、外国人に見せられる絵画などなかったのだ(浮世絵はあったが、見せる価値がないと日本人は思っていた)。でもこうした工芸品が人気を呼び、以後19世紀末にかけて続々と開かれる欧米の万博に出展され、ジャポニスム旋風が巻き起こることになる。その際、壊れやすい陶磁器などを包んでいた二束三文の浮世絵版画が見直され、印象派にも影響を与えていったことはよく知られている。

同展では、ウィーン万博を参考に国内向けに開かれた内国勧業博覧会についても紹介している。第1回勧業博が上野公園で開かれたのは1877(明治10)年のこと。当時の錦絵を見ると、会場奥の中央に日本初の「美術館」が建ち、内部では絵が3段掛けで展示されている様子がうかがえる。しかし名称からもわかるように、勧業博は殖産興業政策の一環として産業振興のために行なわれたもの。そこでは美術はお飾りにすぎなかった。海外向けにはジャポニスムの美術を売り出す一方で、国内向けには農工業製品を中心に扱っていたわけで、この構図はどうやら「クールジャパン」と名を変えたいまでも変わっていないようだ。

2018/11/23(村田真)

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