artscapeレビュー

RUN

2021年07月15日号

「母親」の異様なる愛情が暴走するサイコ・スリラーである。日本の流行り言葉だと、「毒親」ということになるかもしれないが、娘を薬漬けにして病気にさせてしまうのだから、尋常ではない。ゆえに、本作では安心だと思われていた家こそが、もっとも恐ろしい場所に転化する。これはフロイトの精神分析をもとにしたアンソニー・ヴィドラーの論考を想起させるだろう。すなわち、辞書によって「親しみのある(ハイムリッヒ)」の意味を掘り起こしていくと、真逆の「不気味なもの(ウンハイムリッヒ)」が隠されているというものだ。安心な場のもっとも奥に秘められたものは、「不気味なもの」である。主人公のクロエは二階の個室を与えられ、日常生活を送っていたが、母への疑いが生じたことで脱走を計って失敗し、映画の終盤では地下室に閉じ込められ、出生の秘密を知ることになった。二階への階段には、車椅子の昇降機がついているが、地下室にはそれがない。したがって、本来、そこはクロエが絶対に入ることができない場所だった。

映画はぽつんと建つ一軒家、車椅子、薬、母と娘というミニマムな要素によって構成される。そして無駄に尺が長くもない。少しだけ映画館、薬局、病院も登場するが、基本的にはずっと家が舞台であり、空間の仕掛けもおもしろい。例えば、二階の自室に閉じ込められたクロエが足は不自由ながら、どのように脱出するのか。もっとも、車椅子なら、わざわざ自室を二階にするだろうか? という疑問もなくはないが、この母親なら、いざという時に娘を家から出させないためにそうしてもおかしくない。そして階段のモチーフは、別の場所においてもういちど使われる。ともあれ、家に憑く霊とか化け物とか呪いではなく、まさにサスペンスとしての映像がつくりあげる宙吊り感覚の怖さだ。例えば、深夜にクロエは隠れてインターネットを検索しようとするが、接続されておらず、諦めて帰ったあと、不意に闇の中に浮かぶ母の顔。外向けに良い母を演じる母は、娘には私が必要なのだと繰り返す。が、ついに娘は母の方が私を必要としていると言い返すのだ。なお、事件が解決した後、ラストのシーンもやばい。


映画『RUN』公式サイト:https://run-movie.jp/

2021/06/18(金)(五十嵐太郎)