2022年09月15日号
次回10月3日更新予定

artscapeレビュー

αMプロジェクト2022 判断の尺度 vol.1 髙柳恵里|比較、区別、類似点

2022年07月01日号

会期:2022/04/16~2022/06/10

gallery αM[東京都]

会場の入り口についた。髙柳恵里の個展だ。大きく開かれた扉の向こうに、コンクリート床にある切断された合板数枚とハンドアウトを見比べている二人がいた。私は検温と消毒と記名を済ませて、ハンドアウトを受付でもらって、二人の仲間入りをした。作品名は《棚板》で、合板は3枚だった。本棚の板って、見えない部分が結構切りっぱなしで、やすりもほどほどだったりする。この木材の毛羽立ち、棚板を切り出したものなのか、そのまま取り出したものなのかどうか。

なんとなく会場を向かって左側に進む。突き当たりにデーンとカーペットが敷かれていた。6畳間カーペットの上にはポリシート、さらにその上には泥のかたまり。カーペットの下にもさらにポリシート。ハンドアウトを確認。これらは下が《敷く(実例)》で、上に乗っているシートと泥の作品は《実例》。振り返るとダイニングテーブルと2脚の椅子、床には床材の仮置き。壁にはハンカチが畳まれ、重心上アンバランスな箇所がクリップで留められて、虫ピンで壁に打たれていた。小部屋の机の上には剪定鋏とそれで刻まれた枝とその欠片。部屋の方々には水のペットボトル。これは《奥行き》で、材質を知ろうとハンドアウトを見ると「ミネラルウォーター」、サイズは「可変」。ハンドアウトには髙柳の言葉も載っていた。冒頭だけだが抜粋する。


合うのか、合わないのか、試してみる。 比べる。選ぶ。 やってみるとどうなのか、やってみる。 「試し」なので、取り返しがつく。極力リスクは回避する。

(会場ハンドアウト、作家ステイトメントより)



「αMプロジェクト2022 判断の尺度 vol. 1 髙柳恵里|比較、区別、類似点」(企画:千葉真智子)展示風景
gallery αM(2022)[撮影:守屋友樹]


マルティン・ハイデガーにおける「取り返し」は、ゲルマン民族によるドイツの取り戻しというナチズムと結びついた。ハイデガーの前身としてのセーレン・キルケゴールにおける「反覆」とは愛する人の取り戻しだった。国家的なるものと私的なるものの双方で求められてきた「取り返し」。では、この展覧会にとっての「取り返し」が問うものは何だろうと考えてみて、それは「美術展示施設の倫理」だろうと私は考えている。その倫理を個人的に言ってみたら、「次に来るものが不意に損なわれないように」だと思っている。だから、草木は燻蒸し、土は焼成し、水はペットボトルの中に入れて、壁の穴開けは必要最低限、原状復帰が大原則。カビや虫が次に来る作品を損ないませんように。あるいは、目の前の現実へのリスク回避。

国家ないし愛する人とのあるべき歴史を紡ぐための「取り戻し」を求める憧憬と比べると、髙柳の「取り返し」はとてもドライで「リスク」と結びつく。買ったものの使い勝手はどうだろうか、床色を変えるにもまずはサンプルから、作品を制作するのもコスト、作品を抱えることもコスト、再展示ができないのもコスト。これは物をつくり抱え続ける個人サイドの持続可能性への視点だろう。展覧会が終わったら、虫ピンで打ったタオルは使えばいい。ペットボトルの水は飲める。だから次の展示のために、ボトルは「サイズ可変」にしておく。ただしこれは「美術施設に対峙する作家」の尺度でもある以上に、家にこれ以上物を増やせないし、大きな倉庫なんてない「生活の尺度」でもあるだろう。


公式サイト:https://gallery-alpham.com/exhibition/project_2022/vol1/



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