artscapeレビュー

冨樫達彦 “Fahrenheit” by 灯明 / Lavender Opener Chair

2023年09月01日号

会期:2023/08/11~2023/08/13

void+eaves[東京都]

気温およそ35度、肌がジリジリする日差しのなか、パラソルの中ではためく「アイスクリーム」というのぼりを見つけた。「Skin&Leather」と書かれた冷凍庫が外に置かれていて、人がけっこう集まっている。どうやらギャラリーの中に入って、そこでアイスクリームカップを1個800円で購入し、外に出て誰かにアイスクリームを注いでもらうらしい。うろうろしていたら本展のアーティストである冨樫達彦がアイスディッシャーをガシャガシャさせて2種類のアイスをよそってくれた。「今日はアイスがだれている。増粘剤の問題か、今日は冷凍庫を移動させたからか」と冨樫が言っていた。

富士通や日立といった家電メーカーはアイスクリームの推奨保存温度を摂氏マイナス18度だとしているが★1、それは華氏でいうと0度。アイスがだんだん溶けていく。本展のタイトルが「華氏(Fahrenheit)」であるうえでアイスクリームが提供されるならば、それはアイスクリームを基点とした世界への眼差しを提供しようとするものなのだろうか。確かにみるみるサラサラと溶けていく。


カップの中のアイスクリームの様子[撮影:森政俊]


出展作は「Leather」と「Skin」という名の二つのアイスクリームだ。《Skin》はパプリカとレモンピールがメインの食材★2。可食部のほとんどが皮であり、さまざまな肉詰め料理の皮にもなる野菜の筆頭パプリカと、ずばりレモンの皮でできたアイスは、牛乳の甘みとパプリカのどこかフルーティーなみずみずしさにレモンピールのこくが加わり爽やかで、プラスチックの小さなスプーンで掬ってすぐ「あ、おいし」と言葉がこぼれた。もうひと口。あともうひと口。うまいうまい。

暑い。コンクリートの上に置かれた巨大なサーキュレーターがごうごうと音をたてている。《Leather》と《Skin》がどんどん混ざっていく。《Leather》をすくう。《Leather》はなんというか、革の香りがする。牛革でいっぱいの鞄屋の匂いが味になったような気がした。スパイシーだけど甘い。コリアンダーシードが入っているかと思った(入っていなかった)。

これは「甘くておいしい」とかではなかった。食べ慣れた感覚になることはまったくなく、面白くて口内の感覚がフル稼働し始めるという意味で味わい深く、美味しい。もっと知りたいと思って口に運ぶも、3口くらいで食べきってしまった。カップには作品名が記載されており、ギャラリー裏の水場でゆすぎ、持ち帰ることにした。

《Leather》の黄色い見た目はサフラン由来。そこにしいたけ、京番茶、ホワイトペッパー、パンペロ★3、栗の蜂蜜でつくられているそうだ。しいたけについて尋ねると、冨樫が「マッシュルームレザー」が念頭にあると話してくれた。

それは「きのこレザー」ともいわれ、広いカテゴリーとしては天然皮革の代替品を目指し動物由来のものを一切含まない「ヴィーガンレザー」の一種だ。皮革のなかでも牛革は食肉と結びつく付随的な面ももつが、アニマルウェルフェア(動物福祉)、牛皮を革へと鞣す過程でクロムなど環境汚染を引き起こす化学物質を使用すること、また、そもそも畜産業が世界における温室効果ガスの排出の14.5%を占めるといった事象に対する解決の一助として、マッシュルーム、パイナップル、サボテンなど、非プラスチックのヴィーガンレザ―は近年開発が目まぐるしい★4

皮から毛を剥ぎ、脂肪を取り除いて柔らかくしたものが革になるということに対置するのであれば、牛乳や生クリームに砂糖とタンパク質を加え冷やし固めたものがアイスクリームだ。では、皮革に対する倫理や環境への意識をほかの食材に反射させていくとどのようなことが浮かび上がってくるだろうか。

いずれもその生産に関して動物福祉の面であったり(養蜂★5や養鶏の生育環境★6)、植民地主義的な問題(砂糖における大規模プランテーションといった歴史的な地域搾取★7)が透けて見えてくる。牛乳の場合はどうか。例えば、一度に40頭の搾乳が可能な大型搾乳機「ロータリーパーラー」が近年導入され、人員や時間の削減が見込める一方でその巨大装置の前で牛も人間も等しく機械の歯車となるべく、互いに気持ちを読み合うようになっていきながらも、両者とも心身を疲弊させていくということが報告されている★8。ここにきて酪農に関する報告書を読み始め★9、世界の至るところに問題が山積している、ということしかわからなくなってきた。

家の机の上には持ち帰ったアイスのカップがある。二つのアイスクリームは途中で溶け合ってしまったが、《Leather》の鮮烈さはいまもわたしの舌だか鼻だかをちらつく。広く「革」を模倣するということ、すなわちプラスチック系の「合成皮革(ヴィーガンレザー)」は、長きにわたって樹脂による「革の表面の模倣」だった。数年経ったらボロボロと崩れてしまうそれは、視覚的あるいは触覚的な水準での刹那の模倣である。わたしは植物性のヴィーガンレザーを手に取ったことはまだない。しかしそれは、一体「革」の何を模倣しようとしているのだろうか。


ギャラリーの外で行なわれていた作品の提供の様子[撮影:森政俊]


冨樫のアイスクリームは事物としての「皮」と模倣としての「革」をひとつのカップの中に収める。だが、それはきっとマイナス18度の冷凍庫を出たらものの数分で融解してしまい、作品の構造そのものが溶けてなくなってしまう。「Fahrenheit」、それはこのアイスクリームを《Skin》を《Skin》として、《Leather》を《Leather》として体験できる、一瞬の温度を指した言葉なのかもしれない。


展覧会の観覧は無料、アイスクリーム《Leather》と《Skin》は800円で購入可能でした。



★1──「アイスクリームが凍りにくいです。」(『日立の家電品』)
https://kadenfan.hitachi.co.jp/support/rei/q_a/a90.html
★2──その場で作者の冨樫達彦氏に筆者が素材について質問した。
★3──パンペロ社によって製造されているベネズエラ産のラム酒。「パンペロ アニバサリオ」は豚の革の袋に包まれて販売されている。
★4──「ヴィーガンレザ―」については以下を参考としている。
エミリー・チャン「天然皮革をよりサステナブルにすることは可能?」(『VOGUE』、2021.6.4)
https://www.vogue.co.jp/change/article/ask-an-expert-sustainable-leather
廣田悠子「アディダスのキーマンが語る“キノコの菌製”人工レザーの課題と可能性」(『WWD』、2021.5.11)
https://www.wwdjapan.com/articles/1212585
★5──中村純「ダーウィン養蜂とミツバチのアニマルウェルフェア」(『玉川大学農学部研究教育紀要』第5号、2020、pp.45-67)
https://www.tamagawa.jp/university/faculty/bulletin/pdf/2_2020_45-67.pdf
★6──山本謙治「突撃インタビュー『やまけんが聞く!!』」(『月刊専門料理』2023年8月号、柴田書店、2023.7、pp.114-117)
★7──マーク・アロンソン、マリナ・ブドーズ『砂糖の社会史』(花田知恵訳、原書房、2017)
★8──ポール・ハンセン「乳牛とのダンスレッスン」(『食う、食われる、食いあう : マルチスピーシーズ民族誌の思考』近藤祉秋、吉田真理子訳、近藤祉秋、吉田真理子編、青土社、2021、pp.108-131)。ハンセンによるこの北十勝のフィールドワーク論考はすばらしいので機会があればぜひ読んでほしい。牧歌的表象としての日本の酪農についてから、技能実習生にとっての北海道への憧憬とその失望に至るまでつぶさに書かれている。
★9──「バター不足、TPPで深刻化へ ─時代遅れの酪農振興策が招く悲劇─」(『キヤノングローバル戦略研究所』、2016.8.18)
https://cigs.canon/article/pdf/160818_yamashita.pdf



冨樫達彦 “Fahrenheit” by 灯明 / Lavender Opener Chair:https://www.voidplus.jp/post/725053469531291648/

2023/08/12(土)(きりとりめでる)

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