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スヌーヌー『長い時間のはじまり』

2023年09月01日号

会期:2023/07/14~2023/07/17

SCOOL[東京都]

長い時間、とはいったいどんな時間だろうか。黙ってしまった相手の返事を待つ10分。地震の揺れの続く1分。大事な人を亡くしたあとの人生。返事を待つ時間はいつかは終わるだろう。地震の揺れもいつかは収まる。だが、大事な人の不在は人生の終わりまで続く。あるいはそれは、大事な場所やもの・ことをなくす経験とその後に続く不在かもしれない。いずれにせよ人はその不在とともに生きていくしかない。『長い時間のはじまり』で描かれるのは、まずはそのような意味での「長い時間」だ。

主な登場人物は5人。カーサ・ヨクナパトーファの201号室に越してきたハヤシ(踊り子あり)、その隣の202号室に住むヤマダハチロウ(松竹生)・ケサコ(ぼくもとさきこ)夫妻、その子・ノボル(山本健介)、ハヤシのかつてのバイトの後輩で引っ越しの手伝いにきたドイ(山本)。『長い時間のはじまり』は、登場人物それぞれが生きる人生という長い時間のほんの短い断片を、そしてそれらが偶然に触れ合い離れる束の間を描いていく。


[撮影:明田川志保]


ハヤシには過去に恋愛関係で辛い出来事があったようであり、それと関係するのかどうか、そもそも引っ越し自体が何かから逃げるためのものだったということがやがて語られるだろう。ハヤシはドイのおかげで「逃げて来れた」と思っていて、代わりに(これは口にされることはないのだが)ドイがどんな状況になっても助けるのだと思い定めている。引っ越してから12年後、ダブルワークの過労からか、ハヤシはそのアパートの部屋で息を引き取ることになる。

ヤマダ家はいまはもうなくなってしまった「ある町」から「この地」へと12年前に移住してきた。それは東日本大震災とそれに伴う原発事故の影響によるものだったらしい。家から外に出ることができなくなってしまっていたノボルは5年前にガンで亡くなっている。夫婦ふたりきりとなった生活は同じような毎日の繰り返しのうちに過ぎていくが、しかしもちろん時間は流れ、ハヤシが引っ越して来て3年後にハチロウが、さらにその1年後にはケサコが亡くなる。倒れたハチロウを病院へ運ぶのを手伝ったのはハヤシと、アパートの1階に住むタクシー運転手のリーだった。ハチロウが亡くなる前からすでに認知症らしき症状の出ていたケサコは、自宅近くの小さな施設で最期を迎えることになる。


[撮影:明田川志保]


ハヤシの10年以上前のバイトの後輩であるドイは、かつてはプロの漫画家を目指していたのだが、いまは手の震えで思うようには描けておらず、一緒に暮らす父の介護をしているようだ。引っ越しから1年後、「引っ越し、楽しかったです。ありがとう」というドイからのDMを受け取ったハヤシは何かを察し、「住所教えて」とリーさんのタクシーでドイの自宅に向かう。結局、タクシーはエンストしてしまい、ハヤシがドイの家に着くことはない。それでもドイは飲み込んだ家中の薬を残らず吐き出し、その後も何かしら「バリバリやって」いるのだという。ドイは時折、ハヤシと飲んだ日のことを、ハヤシからのメールのことを思い出す。

何かから逃げなければならなかったこと。故郷を去らねばならなかったこと。家から出られなくなってしまったこと。息子を、連れ合いを亡くしたこと。手が震えて漫画が思うように描けなくなってしまったこと。登場人物たちがそれぞれに悲しみや生きづらさを抱えていることは明らかだが、しかしその背景が詳らかに語られることはなく、観客が触れられるのは断片的な情報だけだ。それは登場人物同士でも同じことだろう。悲しみは、もしかしたらときにそれが悲しみだとはわからないくらいわずかにしか他人には共有され得ず、それでも人はその、分かち合えない悲しみとともに生きていくしかない。


[撮影:明田川志保]


だが、この作品で描かれているのは、悲しみと過ごす「長い時間」の孤独だけではない。

ハヤシとドイは長らく会っておらず、連絡手段がLINEではなくTwitterのDMであるような薄い関係だが、それでも、引っ越しを介しての短い再会は互いの助けになったのだった。いや、それどころか、たとえ自ら助けを求めることができなかったとしても、あるいは、誰かを助けようという強い意志がそこにはなかったとしても、誰かがそばにいるというただそれだけの事実が思いがけず支えになるということはあり得るはずだ。

すべての「長い時間」はやがてひとつの「長い時間」へと合流していく。私の死後も世界は続く。私の人生よりもはるかに長い時間がそこでは流れるだろう。大事な人を、ものを、場所をなくしたあとに過ごした不在の「長い時間」も、いつかは必ず、私がいなくなったあとの、私が不在の時間と合流することになる。だから悲しむことはない、などと言うことはできない。しかしそれでもそこに、わずかな慰めを感じることくらいは許されるだろうか。悲しみとともに歩む人、悲しみとともに歩む人とともに歩む人。パレードのようなその列は、どこまでもどこまでも続いている。


[撮影:明田川志保]



スヌーヌー:https://snuunuu.com/



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