artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
『ジャコメッティ 最後の肖像』
会期:2018/01/05
[全国]
試写会場でチラシをもらったとき、「あれ? これドキュメンタリー映画?」と勘違いしてしまったほど、役者(ジェフリー・ラッシュ)がジャコメッティそっくりだった。本人だけではない。アトリエの様子もいかにもジャコメッティらしいし、パリのカフェも半世紀前の雰囲気。どこまで実話に基づいた話か知らないけれど、いかにもありそうなお話ではある。アメリカ人の美術評論家ロードがパリ滞在中、老芸術家ジャコメッティに肖像画のモデルになることを依頼され、アトリエに赴く。すぐできるといわれたが、2、3日すぎても終わらず帰国を延ばし、1週間たっても完成せず再び帰国を延長、結局18日かかってしまった。というより、描いては消し描いては消しを繰り返す芸術家に我慢できなくなったロードが、策を巡らせて打ち切らせたのだ。そのあいだに繰り広げられる奔放な愛人や浮き沈みの激しい妻、アシスタントを務める弟とのエピソードを挿入したストーリーだ。
というと重苦しい映画だと思われかねないが、そんなことはない。むしろコメディと呼べるくらい笑えるのだ。これがほんとのジャコメディ、なんてね。まず笑えるのは、ジャコメッティの性格づけ。頑固で気まぐれで気難しく、酒と女が好きで悩んで絶望するのも好きというのは事実かもしれないが、いかにもありがちなアナクロ芸術家像だ。彼は制作中しばしばユビュ王のように「クソッタレ!」を連発しながら筆を投げ出し、頭を抱えるのだが、けっして深刻ぶることなく、むしろステレオタイプの芸術家を揶揄するかのようにユーモラスに描かれる。ほんのちょっとだが、イサクも出てくる。アイザックではなく、遺作でもなく、矢内原伊作。なんと奥さんと浮気しているのだ。しかも旦那公認で。いろいろな意味で楽しめる映画。
2017/11/15(水)(村田真)
北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃
会期:2017/10/21~2018/01/28
国立西洋美術館[東京都]
19世紀後半ヨーロッパをブームに巻き込んだ「日本趣味」を検証する展覧会は、88年の「ジャポニスム展」をはじめいくつか開かれてきた。でも考えてみると、ジャポニスムの展覧会というのは難しいものだ。ジャポニスムにも段階があって、最初は日本の美術工芸品を集めて家に飾ったり、それをそのまま絵に描いたりしていた。有名なのはモネが和服姿の夫人を描いた《ラ・ジャポネーズ》や、今回出品されている『北斎漫画』をパクった絵皿などだ。
この段階なら影響関係は見ればわかる。だが次の段階になると、じつはこの段階から本当のジャポニスムが始まるのだが、印象派をはじめとする画家たちが浮世絵などの色や構図を学び、それを自らの表現に採り入れていく。いわば日本美術を内面化していくわけで、パッと見ただけでは影響関係はわかりにくい。「ジャポニスム展」の難しさはここにある。わかりやすくするには影響を受けた西洋の作品と、影響を与えた日本の作品を並べて比較できるようにすることだ。これはテマヒマかかる大変な作業だが、今回の「北斎とジャポニスム」はそれを実現した。しかも日本側は北斎ひとり。つまり北斎ひとりが西洋の近代美術をどれほど感化したかがわかるのだ。
例えばドガの《背中を拭く女》の横に、よく似たポーズの女性を描いた『北斎漫画』を並べ、モネの《陽を浴びるポプラ並木》の横に北斎の《冨嶽三十六景》の1枚を置く。これなら影響関係が一目瞭然。しかし度を超すと首を傾げたり、笑い出したくなるような比較も出てくる。いい例がメアリー・カサットの《青い肘掛け椅子に座る少女》と、『北斎漫画』に描かれた布袋図で、確かにポーズは似ているけれど、可憐な少女とでっぷりした布袋は似ても似つかない。きわめつけはスーラの《尖ったオック岬、グランカン》と北斎の波涛図。これもかたちはそっくりだが、スーラは岩、北斎は波を描いているのだから似て非なるもの。ところが驚いたことに、この対比は以前からよく知られていたらしい。そんな逸話も含めて、キュレーターの情熱が伝わってくる展覧会なのだ。
2017/11/11(土)(村田真)
態度が形になるとき ─安齊重男による日本の70年代美術─
会期:2017/10/28~2017/12/24
国立国際美術館[大阪府]
1970年以降の現代美術の現場を撮り続けてきた写真家、安齊重男の初期作品に絞った回顧展。いま「現場」「作品」「回顧展」といった言葉を出したけれど、ためらいながら使っている。というのも、例えば「現場」という言葉を「作品」に置き換えてもいいのだが、そうはいいきれない事態がまさに70年代から始まろうとしていたからであり、そのことに初めて自覚的に向き合った写真家が安齊さんだったからだ。なんのことかわかりにくいが、要するに被写体となる作品が非物質化し始めたということだ。それを象徴する出来事が、安齊さんの写真家デビューとなった「東京ビエンナーレ70〈人間と物質〉」展だった。
いまや伝説的なこの展覧会では、いわゆる絵画や彫刻の展示はなく、当時としてはまだ珍しかったインスタレーションやパフォーマンスが繰り広げられた。それらの「作品」の多くはその場で発想され、会期が終われば解体されてあとに残らないため、制作から展示までのプロセスも記録する必要があった。つまり「作品」を撮るというより、「現場」を押さえる感覚だ。しかもそうした「作品」はいつ、どこから、どのように撮ったかで見え方、捉え方が異なってしまうため、写真家が作品をどのように解釈し、どれだけ理解したかが問われることになる。その点、安齊さんは写真家になる前は作品をつくっていたこともあって、作者側の視点で作品を解釈することができ、多くのアーティストの信頼を勝ち得ることができた。
では、それらの写真は安齊さんの「作品」といえるのか。もちろん単なる記録写真でも多かれ少なかれ「作品」といえるが、特に安齊さんの場合は彼自身の解釈が大きく加わるため、ほかの記録写真に比べて「作品」度が高いといえるだろう(でも美術館が所蔵する場合「作品」だと高くつくから「資料」扱いにされる、と聞いたことがある)。そして、そうした安齊さんの「作品」を集めたこの展覧会は、安齊さんの「回顧展」であると同時に、安齊さんの解釈を通して見た「日本の70年代美術」の回顧展ともいえるのだ。ああ少しすっきりした。
被写体となったのは、李禹煥、高松次郎、菅木志雄、吉田克朗、原口典之ら、もの派とその周辺の作家が大半を占めている。とりわけ菅が多いのは、彼自身の創作の思考過程をたどるようなパフォーマンスをしばしば披露していたからだろう。ところで、安齊さんの写真は圧倒的にモノクロームのイメージが強い(もちろんカラーもたくさんもあるが今回は出ていない)が、70年代の美術も全体に色彩も形態も抑制的で、しかももの派以降新たな光が見出せないという意味でも、ぼくのなかではほとんどモノクロームに近い。まさに安齊さんのモノクロ写真は70年代の美術状況をそのまま反映しているように思えるのだ。というか、じつはぼくの70年代美術のイメージが多分に安齊さんの写真によって色づけ(モノクロなので色抜きか)されているのかもしれない、とふと思った。
2017/11/08(水)(村田真)
福岡道雄 つくらない彫刻家
会期:2017/10/28~2017/12/24
国立国際美術館[大阪府]
福岡の作品はこれを見るまで、「波」の彫刻と「何もすることがない」シリーズしか知らなかった。「波」のほうは黒い直方体の上面にさざ波だけを彫ったもので、「何もすることがない」はその言葉を黒い板いっぱいに延々と刻んだもの。どちらも無意味なことの繰り返しだが、こうした虚無感は若いころだれしも感染する症状であり、そんなものをいい年してつくり続けてるのはどんなやつだろうと興味があったのだ。福岡は1950年代、砂浜を手で掘った穴のなかに石膏を流し込み、砂だらけの彫刻を発表。最初から「彫刻をつくる」という意志は希薄で、「できちゃった彫刻」とでもいうべきか。この無作為の作為こそ彼の彫刻を貫く芯といっていい。60年代には屹立する男根状の彫刻になり、やがて地から離れて宙づりのバルーン彫刻に行きつく。ここで地中から始まって地上に直立し宙に浮くという物語が完成してしまい、魔が差したのか、70年ごろからウケ狙いの具象彫刻に走ったこともあった。
そんな制作に嫌気が差し、しばらく趣味の釣りに浸るが、やがて釣りをする自分を表わした「風景彫刻」を始め、そこから余計なものが削り取られて水面だけ残ったのが「波」のシリーズだ。福岡の名を全国区にしたのはおそらくこの「波」シリーズからだろう。これが20年ほど続き、90年代後半から「何もすることがない」シリーズが始まる。その外見はロゼッタストーンを思わせるが、数千年後これが発見されて解読したら「何もすることがない」という言葉が繰り返されるだけで、未来人はどう思うだろう。もし未来人がAIロボットだったら、この「無作為の作為」のジレンマを理解できるだろうか。いやロボットでなくても現代人でもどれだけ理解できるだろう。おっと展示はまだあった。粘土をこすって「ミミズ」に見立てたり、丸めて「きんたま」をつくったり、もっとちっちゃく丸めて「つぶ」にしたり。もうここまで来れば「何もいうことがない」。
2017/11/08(水)(村田真)
金刀比羅宮高橋由一館
金刀比羅宮高橋由一館[香川県]
香川県一人旅。まずは高松空港から琴平へ。金刀比羅宮を初めて訪れた2000年、高橋由一の作品はまだ独立した館ではなく、風通しのいい学芸館てとこに人魚のミイラとか妖しげなものたちと一緒に展示されていた。閑散とした見世物小屋といった趣で、それはそれでなかなか風情があったが、このままだと作品が劣化しちゃうんじゃないかと不安も感じたものだ。と思っていたら、宮司の旧友でもあるアーティストの田窪恭治が文化顧問に就き、2004年の大遷座祭に向けて「琴平山再生計画」に着手。同じころ、由一に画塾設立の資金を融資した(その見返りに由一が作品を奉納したため、ここにたくさんある)当時の宮司を描いた肖像画《琴陵宥常像》も見つかり、これを含む計27点を常設展示する高橋由一館が建てられた次第。由一の絵ばかりが整然と並ぶさまはなかなか壮観だが、余計なもの(人魚のミイラみたいな)がなくて寂しい気もする。由一作品はけっこう日常的というか猥雑な環境が似合うのかもしれない。
所蔵作品の内訳は、風景画が最も多く15点、次いで静物画が《豆腐》など10点、肖像画は先の《琴陵宥常像》1点、風俗画は《左官》1点。風景画で特徴的なのは極端に横長の作品が多いこと。この地を訪れた際に描いた《琴平山遠望図》をはじめ、《愛宕望獄》《牧ヶ原望獄》《月下隅田川》《江之島図》《本牧海岸》《二見ヶ浦》《州崎》などがそう。特に《琴平》《愛宕》《牧ヶ原》の3点は左右端をぼかして描くことで、見る者の注意を画面中央に向けさせるテクニックを用いている。また、袋戸の小襖として描かれた《月下隅田川》は、薄明の隅田川の夜景を表現したもので、同時代のホイッスラーを思わせるモダンな作品。風景画ではこれがいちばん横長だが、静物画ではやはり小襖仕立ての《貝図》がさらに横長で、縦対横の割合が1対10以上。当時の日本家屋には絵を掛ける壁がなかったので、戸袋の襖に描いたのだろう。由一作品が美術館より世俗的な空間に合うのはそのためかもしれない。
2017/11/07(火)(村田真)