artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
開館記念展Ⅳ 北斎×富士 ~冨嶽三十六景 富嶽百景 揃いぶみ~
会期:2017/06/27~2017/08/20
すみだ北斎美術館[東京都]
復興記念館のあと江戸東京博物館の常設展示を見てから、徒歩5分で北斎美術館へ。復興記念館と北斎美術館というまったく性格の異なる2館が近所にある理由は、江戸東京博物館の存在が集約しているように、ここらへんがかつての江戸─東京の中心地だったからにほかならない。その江戸のど真ん中に暮らした浮世絵師が北斎だった(といっても1カ所に留まらず、93回も引っ越ししたと伝えられる)。今回は代表作「冨嶽三十六景」と「富嶽百景」の展示。というと、合わせて136点が見られるに違いないと思うだろうが、そうはいかない。「冨嶽三十六景」は人気が出たため10枚追加されて46点になったし、絵本仕立ての「百景」のほうも102点あるからだ。じゃあ148点もあるのかというと、残念ながら浮世絵は長時間光に当てると退色するため、会期中展示替えしなければならず、いちどに見られるのは約80点だけなのだ。
そんなこともあって美術館で浮世絵を見るのは好きでないのだが、でも今回おもしろかったのは、展示が「構図」「自然」「風俗」「遠近」「伝説」「年中行事」「ユーモア」などのテーマごとに分類されていたこと。例えば、大きな樽の穴の向こうに富士を望む《尾州不二見原》は構図、旅人が富士を見やりながら峠を登る《甲州犬目峠》は自然、不二見茶屋の大きな窓から富士をながめる《東海道吉田》は風俗、といった具合。こうしてあえて分類してみることで、逆に北斎の視覚的イマジネーションの多様性が浮き彫りにされる。
2017/07/08(土)(村田真)
書だ! 石川九楊展
会期:2017/07/05~2017/07/30
上野の森美術館[東京都]
書には興味ないが、以前作者の著書を読んで染みる部分があったので見に行く。70年代から40年以上にわたる書を展示。書といっても初期のころは、文字を線として書くというより、面として描いている感じ。それが後半になると、線の運動になり、波動になる。こうなると文字として読もうとしてもほとんど、あるいはまったく読めないし、かといって絵として見てもモノクロームの変わった絵でしかない(変わった絵ならいくらでもあるから)。じゃあつまらないかといえば、そんなことはない。むしろとてもおもしろかった。まさに文字でもなく絵でもない、線であり印であり記号であり地図であり、染みであり、にじみであり、かすれであり、ほとばしりであり、ノイズであり、宇宙であり……じつに豊かな視覚体験であった。
そういえば最近これに近い体験をしたなと思ったら、アドルフ・ヴェルフリをはじめとするアウトサイダー・アートだ。もちろん石川はアウトサイダーではない。アウトサイダーが作品に無自覚的なのに対して、石川は自覚的にアウトサイダーたらんとしているからだ。アウトサイダーはワンパターンだが、彼はどれだけ多くのパターンを紡ぎ出せるかに挑戦しているようにも思える。またアウトサイダーは画面の枠にそれほどこだわらないが、彼は画面にきっちり収める(そのための下絵や下書きはするのだろうか)。彼は計算ずくでアウトサイダーしようとしている。彼が書の世界でどのような立場にいるのか知らないけれど、書とか華とか茶とか伝統的な「道」の内圧が強ければ強いほど、弾ける力もハンパないのかもしれない。
2017/07/05(水)(村田真)
境界を跨ぐと、
会期:2017/06/25~2017/07/06
東京都美術館[東京都]
2年前、隣接する武蔵野美大と朝鮮大の境界に仮設の橋を架け、双方のギャラリーを行き来できるようにする「突然、目の前がひらけて」という交流展が開かれた。いくつかのメディアで紹介されたこともあり、ぼくも見に行きたいと思いつつ、残念ながらかなわなかった。そのときのメンバーを中心にしたグループ展「境界を跨ぐと、」が開かれるというので、これはひょっとして2年前の交流展を振り返るドキュメント展かもしれないと思って見に行く。出品は市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉の5人。で、期待は見事に裏切られ、タイトルどおり「境界を跨」いだあとの、つまり現在の各人の作品を紹介しているのだ。彼女たちは過去に留まってはいなかった。トホホ。仮にぼくが2年前の交流展を訪れたとしても、個々の作品を見ることより、むしろ両会場をつなぐ「橋」を渡るという体験に興味があったのだ。同様に今回もそれぞれの作品より、この5人をつなげた「橋」とその後の状況(向かい風も予想される)を知りたかったわけ。われながら失礼な話だが、本当だから仕方がない。
といいつつ、ひとりだけ目に止まった作家がいた。最初は少女趣味のイラストかと勘違いしたが、よく見るとすごく筆達者な李晶玉。会田誠か山口晃を思い出してしまった。数百円のカンパで入手した小冊子にも、「絵画内の絵画という設定は往々にしてダサい。フレーム額縁やら絵画の四角やら、出さんほうがいい。どうせ作者による虚構という事に変わりないのだから、むしろそれは構造が複雑化するほど強調されていくしかないのだから」とか「美術は脆弱だ。ピクシブは自由だからこそ、もはや不自由だ。旗は模様になるか。君が代はただの歌になるか。アリランはただの歌になるか」など、きわめて冷徹な批評性を有する文章を寄せている。彼女が今後どのように世に出るか、出ないか、楽しみにしたい。
2017/07/05(水)(村田真)
サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで
会期:2017/07/05~2017/10/23
森美術館+国立新美術館[東京都]
森美術館と国立新美術館といえば六本木の2大美術館。その2館が国立と私立の枠を超えて共同企画した最大規模の、日本で最大ということは世界でも最大の東南アジア現代美術展ということだ。しかしなんで東南アジアなのか。2館共同で大規模な現代美術展を開くなら、腐っても鯛ではないがやはり欧米の最新動向を知りたいし、国策として重要というならそれこそ中国と韓国を(できれば北朝鮮も)採り上げるべきだし、それ以前になぜ日本の現代美術をやらないのかとの不満も出てくるはず。そんな疑問がもたげてくるのも、必ずしも展覧会が満足いくものではなかったからだ。
展覧会は1980年代から現在までASEAN10カ国から選んだ86組のアーティストによる約190点を、「情熱と革命」「さまざまなアイデンティティー」「発展とその影」「歴史との対話」など9つのセクションに分け、大ざっぱに国立新美術館から森美術館へと時代が移るように構成されている。初期のころには絵画もあるが、大半を占めるのはインスタレーション、パフォーマンス、映像、そして観客が参加することによって成立する作品だ。このように絵画が減って作品が非物質化していくのは世界的傾向だが、特に東南アジアに著しいように感じられるのは、もともと油絵の伝統がないため初めから本気で取り組んでいる者が少なく、たとえ本気で取り組んでも一線に浮上する可能性が低いからではないか。いきおい伝統も技術も資本もさほど必要ないパフォーマンスや参加型作品に走ってしまいがちなのだ。また、それぞれの国の抱える問題を作品化するには、絵画よりインスタレーションやパフォーマンスのような形式なき形式に訴えるほうが手っとり早いからでもあるだろう。そして選ぶほうもそれが東南アジアの現代美術と思い込み、ついそうした作品を中心に選んでしまいがちになるのではないか。あくまで推測だが。
それはそれとして、見ごたえのある作品が出ていれば問題ないのだが、残念ながら見て楽しんだり感動したりする作品はきわめて少なく、大半は解説を読み、それぞれの国の事情や作者の置かれている状況に思いを馳せることで、初めて作品の意図を理解することができるのだ。もちろん理解して「ああよかった」と納得できる作品ならいいのだが、逆に「だからどうした?」と問いたくなるような作品もある。加えて、出品作家の何割かは90年代から福岡あたりで紹介されていて、絵画やインスタレーションならまだしも、いまさら似たようなコンセプトの観客参加をやられても興ざめするばかり。あるいはそれを伝統なき「伝統芸」として受け入れるべきなのか。と文句ばかり書いたので、最後に少しだけホメたい。森美術館にあったフェリックス・バコロールの《荒れそうな空模様》。手前の展示室にも音が漏れてくるのでなにごとかと思って入ってみると、天井から吊り下げられた1000個を超す風鈴が扇風機の風でジャーと音を立てているのだ。色も音も動きもあって、美しくもあり、恐ろしくもある作品。
2017/07/04(火)(村田真)
没後90年 萬鐵五郎展
会期:2017/07/01~2017/09/03
神奈川県立近代美術館 葉山[神奈川県]
萬鉄五郎の没後90年記念展。1997年には没後70年の回顧展が東京国立近代美術館で行なわれたが、10年後にはキリよく没後100年記念展が開かれるだろうか。生誕でいうと、1985年には生誕100年展が鎌倉などを巡回したが、別に10年とか100年単位で企画しなければならない決まりはないので、来年生誕133年記念展を開いてもかまわないわけだ。だれも企画しないだろうけど。ちなみに、萬の初の本格的な回顧展は1962年に鎌倉で開かれたもので、画家が亡くなってから35年もたっていた。そんなわけで今回、約20年周期の大規模な回顧展となる。
萬というと乱暴にいってしまえば、東京美術学校の卒業制作として描かれた《裸体美人》が、日本におけるポスト印象派やフォーヴィスムの代表作とされ、5年後の《もたれて立つ人》が日本のキュビスムの受容を体現する作品として知られている。美術史の教科書にもこの2点がしばしば掲載されるが、そのどちらも東京国立近代美術館の所蔵だから、さすがお目が高いというか、いいとこどりというか。まあ東近が持ってるから日本近代美術史の代表作として祭り上げられた面もあるかもしれない。ともあれ、それ以外の大半の作品は故郷の岩手県立美術館か、萬鉄五郎記念美術館の所蔵品だが、故郷の美術館に大量に入ってるということは、作品がほとんど売れず画家の手元に残っていたことの証でもあるだろう。生前はあまり評価されていなかったのだ。
出品は、油彩が131点、水彩・素描・版画が157点、水墨画が75点の計363点、資料を加えれば442点。途中展示替えがあるとはいえ、これだけのボリュームの展覧会はめったにない。意外なのは水墨画が多いこと。特に故郷に戻ってからと晩年に集中しているのは、売る目的で描いたからか。田舎では(東京でもそうだが)油絵より水墨画のほうが確実に売れるからだ。モダンアートの先駆者という顔を持ちながら、生活のために伝統的な水墨画もこなしたとすれば、画家としての評価に響いたはず。それが美術史的な評価の遅れにつながった可能性もある。
しかし一方で、萬のモダンアートは、先の代表作以外にも《風船をもつ女》にしろ《裸婦(ほお杖の人)》にしろ、日本独特(あるいは東北特有?)の泥臭さが目立ち、それは水墨画との関連で見ていかなければならないかもしれない。特に「水浴」シリーズは素描でも水彩でも版画でも水墨画でも油彩画でも試みられているが、いずれも素材が違うというだけで様式的には大差ない。むしろ初期のころは油彩と水墨を別ものとして描き分けていたのが、相互に影響し合いながら近づいていったといえそうだ。そのへんを水沢勉館長は、「それは二者択一されるべきものではなく、また、そうできるものでもなく、いうならば画家の内部に共生していた」ものであり、それが「萬鐵五郎の創作活動に楕円状の動きをあたえたように思われる」と述べている。たしかにモダンアートだけならわかりやすいが、それだけだとあまりに教科書的すぎてつまらないともいえる。そこに水墨画という異質な要素が介入することで焦点がブレ、モダンアートそのものをも撹乱させる。それが萬の芸術なのだ。と、ここまで書いてふと、これって近代日本の画家の多くにも当てはまるんじゃないかと思ったりして。
2017/07/01(土)(村田真)