artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
大西伸明 個展「ソノモノ Itself」
会期:2015/10/10~2015/11/07
MA2ギャラリー[東京都]
木の枝、2分割された頭蓋骨、ヤツデや睡蓮など。いずれも樹脂で型どりして白く塗り、内側を銀色というか鏡面仕立てにしたものだ。相変わらず見事な手技だが、以前のようなホンモノだと思ったらニセモノでしたみたいなトリッキーな効果は影をひそめ、よりコンセプチュアルになっている。水がいっぱい入ってるように見えるコップは透明樹脂の固まり。これはすばらしい。
2015/10/13(火)(村田真)
三上浩 硄グリフ展 “QUAUGLYPH”
会期:2015/09/18~2015/11/15
佐賀町アーカイブ[東京都]
石彫をやってる人の関心はなにも作品を完成させることばかりではない。制作する行為そのものを重視する人もいれば、共同作業する人たちとの関係性を重んじる人もいる。三上浩が着目したのは、石を叩くときに出る火花。この火花が飛び散る瞬間を写真に収め、そのかたちをベースに文字を生み出したのが「硄グリフ」だそうだ。ところが、これを完成して数カ月後、発表しようとした矢先に三上は亡くなってしまう。1999年のことだ。今回はこの「硄グリフ」の写真と、そのとき使った石によるインスタレーション。石彫からまったく別のものを生み出そうとした三上だが、彼にとってこれらの写真こそ「石彫」だっただろう。
2015/10/10(土)(村田真)
中村政人「明るい絶望」
会期:2015/10/10~2015/11/23
3331アーツ千代田[東京都]
「ソウルー東京1989-1994」とサブタイトルにあるように、韓国に留学した1989年から94年まで、デビュー前後の5年間に撮りためた写真から700点近くを選んで展示している。大半はモノクロプリント。韓国時代は、まるでもの派のように道端に鉄板が置かれていたり、角材が鉢植えにコンクリートで固められていたり、落書きを消すために白く塗られた部分に落書きされていたりという、路上観察学的な写真が多数ある。これは韓国ならではの珍しさからカメラを向けたというより、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートとの類似性や、「I am not doing, but being(なにもしない、ただあるだけ)」という存在への共感から撮られたものだろう。そしてここから初期の鍵穴型オブジェやハト除け作品が発想されたことがわかる。これらの写真はいわばアイデアのデータバンクの役割も果たしていたようだ。92年に帰ってからも路上観察学風の物件は撮られているが、それより仲間のアーティストたちのポートレートや制作風景などドキュメント風の写真が増えていく。「中村と村上」展の村上隆をはじめ、「ザ・ギンブラート」「新宿少年アート」の中ザワヒデキ、小沢剛、岩井成昭らだ。傍観者から、つくる側、主催する側へと立場が変化していくプロセスが読みとれる。全体を通して繰り返し登場するのは、路上に置かれた石やコンクリートの突起物、ボウリング場のピンのハリボテ広告、玄関にとりつけられたライオン錠など。どれも男性的、ファルス的なのが意味深だ。写真のほかに、新作の絵画と彫刻もある。自動車の車体に使われる塗装を施した湾曲した平面と、各地の民芸品の人形を同じ製造技術で等身大に立体化したもの。まあこれを絵画・彫刻と呼ぶかどうか。どちらも90年代にプランニングしたものを今回実現させたそうだ。
2015/10/10(土)(村田真)
オノデラユキ作品展 Muybridge's Twist
会期:2015/10/07~2015/11/10
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
縦3メートル近いキャンバスに張られた巨大な人物写真だが、身体が奇妙にねじれていたり、足が3本あったり、どうも居心地がよくない。作者は写真に身体性を取り戻そうとしているようで、それは写されたモデルの身体性だけでなく、写す側の制作するという行為の身体性も含めてのこと。そのため彼女はマイブリッジの連続写真を推し進めて、1枚の写真のなか、ひとりの人物像のなかに動きを取り戻すべく、撮影ーデッサンーコラージュというプロセスを積み重ねていったという。と説明されて納得する類いの作品でないのはたしかで、そこからはみ出た不穏な空気が周囲に漂っているのだ。それが作品のオーラというものかもしれない。
2015/10/07(水)(村田真)
吉川和江
会期:2015/10/05~2015/10/17
ギャラリー現[東京都]
壁4面に絵画が1点ずつ、計4点。といえば少ないが、多く見積もれば30点ともいえる。3×5の15枚セット、3×3の9枚セット、4枚横並び、2枚縦並びの組み合わせだから。15枚セットはほとんど女性の顔が描かれているが、真ん中のキャンバスだけ「動物の図鑑」と書いてあり、9枚セットは女性像と花の絵で、1点だけ「ABE」の鏡文字を繰り返し、4枚セットは花ばかりで、2枚セットは青い表現主義的な抽象画だ。どれも脈絡がなさそうで、特に抽象が異質だが、もともと吉川は抽象画家として知られているので、むしろ女性像や花のほうに違和感がある。でもこれらは女性や花を描いてるというより、雑誌の図版などを参照しながら色彩と筆触を試しているという感じだ。ちなみに「動物の図鑑」といえば、だれしも中平卓馬の『なぜ、植物図鑑か』を思い出すはず。世界を図鑑のように相対化して眺めるという姿勢は、彼女の絵画観に通じているように思える。
2015/10/07(水)(村田真)