artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

ニュータウン♥ゴースト

会期:2015/10/04~2015/11/01

大塚・歳勝土遺跡公園[神奈川県]

港北ニュータウンに隣接する大塚・歳勝土遺跡公園で行なわれてきた都筑アートプロジェクト、今年は特に復元された竪穴住居が並ぶ大塚遺跡に集中的に展示している。橋村至星は竪穴住居内に段ボールを立て、表面にシールやテープを貼っているが、もっと段ボールハウスっぽくつくって入れ子状にすればよかったのに。阿部剛士は高床倉庫の下に新聞紙を固めた疑似石で枯山水をつくった。いちおう龍安寺の石庭と同じ配置だそうだが、とてもそうは見えない。とし田みつおは遺跡公園の端に白くて四角い箱をいくつか置き、物見台にもベンチにも使えるようにした。ここから柵越しにニュータウンを見下ろせというメッセージか。松本力は黒板に対角線や水平・垂直線を引いてイーゼルに置いた。なんだかわかんないナゾめいたとこがいい。全体にもっとスケールアップ、レベルアップすれば人が来るだろうに。

2015/10/29(木)(村田真)

始皇帝と大兵馬俑

会期:2015/10/27~2016/02/21

東京国立博物館[東京都]

前半は秦王朝と始皇帝の遺品の食器、装飾品、瓦、水道管などが並んでいて退屈するが、後半になると兵馬俑が登場。最後の巨大な部屋には手前に兵馬俑が10体ほど置かれ、背後には整列した兵馬俑のコピー、その奥には整列した兵馬俑の写真と発掘現場近くの風景写真が貼られ、展示室全体がジオラマになっている。これは壮観。ただしこれらの陶像は均整のとれた古代ギリシャ彫刻とは異なり、なで肩で足が短く、総じて重心が低い。つまりカッコわりいのだ(顔はそれなりにリリしいが)。これは日本人と同じくもともと中国人のプロポーションが悪いのか、それともプロポーションはいいんだけど、陶像を立てて焼くため安定感を得ようとわざと重心を低くしたのか。気になるところだ。

2015/10/26(月)(村田真)

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平子雄一「BARK FEEDER」

会期:2015/10/01~2015/10/30

第一生命ギャラリー[東京都]

絵の内容より形式に興味を持った作品。木枠に張ってない3×2メートルほどの大きなキャンバス布を7枚並べて、カーテンみたいに天井から吊るしている。カーテンみたいというのは比喩ではなく、表面がフラットにならず波打ってしまうからだ。これは作者も意図しなかったことだろうが、この波打つ画面を屏風のジグザグ面のように絵画内容に採り込めば、新たな「カーテン絵画」の可能性が開けるかもしれない。

2015/10/23(金)(村田真)

武器をアートに──モザンビークにおける平和構築

会期:2015/10/17~2015/11/23

東京藝術大学大学美術館[東京都]

サブタイトルに「モザンビークにおける平和構築」とあるように、1975年の独立以来内戦が続いたアフリカ南東部のモザンビークで、大量に供給された武器を農具や自転車と交換するプロジェクトが進んでいるが、その武器の一部が解体されたうえ、アートの素材として使われている。ネガティブなものをポジティブに価値転換するにはアートがいちばんだからね(ポジティブなものをネガティブに変えるアートもあるが)。これらの作品は以前、大阪の民博で見たことがあるので新鮮味はないが、楽しげに楽器を弾く人物像の頭部が銃の一部でつくられていたりすると、ちょっと複雑な気分になる。だが逆に、今回の目玉でもある《いのちの輪だち》のような大作になると、武器が使われてることがわかりづらくなり、ただのヘタな鉄の彫刻にしか見えなくなる。やはりどこかに武器であった痕跡をはっきり残しておかないと、アートとしての緊張感が低下してしまうのだ。ちなみに、使われてる武器は圧倒的にAKB48、じゃなくてAK-47(いわゆるカラシニコフ)が多いようだ。

2015/10/23(金)(村田真)

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菊畑茂久馬個展「春の唄」

会期:2015/09/26~2015/10/23

カイカイキキギャラリー[東京都]

カイカイキキで菊畑茂久馬とは意外な気もするが、グルッと1周回って行きつくところに行きついたともいえる。作品は200号を3枚つないだ大作絵画が壁に1点ずつ計4点。描かれている内容は4点ともほぼ同じで、キャンバス上辺から下辺に行くに連れて幅が狭くなる逆台形に色を塗り、中央に縦の空白をつくってそこに水玉やストライプを入れている。逆台形の色彩はそれぞれ淡い赤、青、黄、緑のパステルカラー。このキャンバスの巨大さと逆台形はちょうど、木枠に張らない布に絵具を流して染めたモーリス・ルイスのヴェール絵画を想起させるが、つくり方は正反対といえるほど違っていて、菊畑のそれは偶然の入り込む余地がないほど周到に計画され、工芸的といえるくらい丹念に仕上げている。工芸的といえば、畳部屋の100号3点はいずれも線による表現で、より工芸的かつ日本的な印象を受ける。菊畑にとってこれまで「戦争と人間と芸術」が大きなウェイトを占めていたが、新作では「その呪縛から解き放たれて」美とはなにか、芸術とはなにかを問うものになったという。平たくいえば吹っ切れたというか。でもその境地がこれだといわれると、なんか肩すかしを食わされたような気がする。境地なんてそんなもんだといわれればそれまでだが。

2015/10/23(金)(村田真)