artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
藤原彩人 軸と周囲 ─姿としての釣り合い─
会期:2021/07/15~2021/08/01
gallery21yo-j[東京都]
陶で人形(ひとがた)彫刻をつくってきた藤原の個展。今回は大きめの彫刻4点を中心に、手捻りの小品やドローイングを加えた展示。これまで藤原のつくってきた人物は、なで肩で足が短く重心が下のほうにあるため、見るからに不格好だった。それは陶土で成形して焼くため、重心が高いと崩れやすく、立たせるのが難しいからだと聞いたことがある。ところが今回の人物は、胴や手足は円筒、目玉は球体といったようにシンプルな幾何学形態を組み合わせたようなかたちをしており、不格好ではない。むしろ印象としては「モダン」で「カッコいい」。それはおそらくキュビスムを想起させるからではないだろうか。
キュビスムはよく知られるように、セザンヌの「自然を円筒と球体と円錐で捉える」との言葉を具現化し、対象を円柱や立体の組み合わせとして再構成した。藤原の彫刻も身体を分節化し、胴体や頭部、手足などを単純な形態に置き換えて接合したため、重心が低くならず(座像であることもその要因だが)、モダンでカッコよく、安定した印象を与えているのだ。考えてみれば、人間とは形態的には口から肛門までが空洞の一本の筒に還元できるわけで、中身が空洞(頭もからっぽ?)の筒の組み合わせからなるこの彫刻は理にかなっている。いずれモビルスーツのガンダム型に進化するだろうか。
2021/08/01(日)(村田真)
徐勇展「THIS FACE」
会期:2021/07/16~2021/08/16
BankART KAIKO[神奈川県]
壁に一列に女性のクローズアップした顔写真が並ぶ。その数513枚。すました顔、化粧した顔、疲れた顔、汗かシャワーに濡れた顔など表情はさまざまだが、同じ女性であることがわかる。彼女は「性工作者」(セックスワーカー)で、これらは朝9時から翌日の午前2時までの17時間に、北京のホテルの一室で何人もの男を相手にした合間の記録写真だという。ただし写っているのは彼女の顔だけで、相手もベッドもティッシュも写っていない。だからこれだけ見てもどういうシチュエーションかわからないけれど、なんとなく妖しげな空気だけは伝わってきて、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気分になる。
作者の徐勇は1980年代に広告写真で名をなし、90年代には北京の古い路地を撮った写真集『胡同』が日本でも発売されるなど、中国の写真家では知られた存在。いや、写真家というよりアーティストというべきだろう。というのも、彼は広告写真や記録写真といった特定の分野にとどまらず、写真というメディア自体を問い直すような作品もつくっているからだ。たとえば、本展にも何点か出ている「十八度灰」シリーズなどは、カメラ本体とレンズを10センチほど離して撮影した完璧なピンボケ写真。いわばコンセプチュアル・フォトだ。日本人にたとえれば、篠山紀信から宮本隆司、石内都、杉本博司までを合わせたような存在、というと大げさか。加えて彼は、北京の現代美術の拠点「798時態空間」の創始者の一人でもあるそうだ。そうした彼のトータルな活動を知ったうえでこれらの顔を見直してみると、単にスケベ心を刺激する「のぞき見」写真ではないことが了解されるだろう。
関連レビュー
徐勇展「THIS FACE」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年08月01日号)
2021/07/23(金)(村田真)
Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる
会期:2021/07/22~2021/10/09
東京都美術館[東京都]
「イサム・ノグチ展」の傍でひっそりと開かれている小企画展。「Walls & Bridges」といっても別に壁や橋をモチーフにした作品の展覧会ではなく、障害としての「壁」を新しい世界へとつなげる「橋」に変えた表現者たちを紹介するものだ。
出品者は、老人ホームに入ってから絵を描き始めた東勝吉、ダム建設で水没する自分の村の日常を撮りためた増山たづ子、日本人の彫刻家に嫁ぎ、主婦業の合間に制作したイタリア生まれのシルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田、ウィーンに亡命後、彫刻家になったチェコ出身のズビニェク・セカル、言葉も通じないニューヨークに亡命後、映画で日常の断片を撮り続けたリトアニア出身のジョナス・メカスの5人。名前を知っているのはジョナス・メカスくらい。いずれも20世紀前半生まれ、ということは過酷な戦争を生き延びた人たちであり(セカルとメカスは反ナチス運動に参加して強制収容所に送られた)、アカデミックなアートの世界で脚光を浴びたわけではなく、まったくアートとは無縁のアウトサイダーもいる。その作品、制作態度から、「アートとはなにか」「表現とはなにか」を考えさせもする。
たとえば、木こりを生業にしてきた東が故郷の風景を描き始めたのは83歳の時。それまで美術をたしなむことのなかった東の絵は、人はどのように物事を見るか、それをどのように作画するかというひとつのサンプルとしても興味深い。農家の主婦だった増山が60歳にして身の回りの情景を撮り始めたのは、故郷が水没の危機に迫られたから。以来30年近くにわたり撮られた写真は10万カット、アルバムは600冊にも及ぶ。そのまま捨てられてもおかしくない写真(記憶)たちの運命に思いを馳せざるをえない。将来を嘱望されたシルヴィアは彫刻家の保田春彦と結婚後、日本に移住したものの、彼女が制作できるのは家族が寝静まった夜半だった。限られた時間と空間と材料のなかで完成した作品は少ないが、むしろ日々の祈りのようなドローイングや小品こそ輝いているように感じる。
大量動員を狙った特別展だけでなく、こういう埋もれた表現者の再発見や再評価を促す企画展は貴重だ。とはいえ、無名の一人だけにスポットを当てることは興行的に難しく、いきおい何人か集めてグループ展にするしかないが、そうすると量的にも見せ方においても一人ひとりの個性や独自性が伝わりづらくなるというジレンマもある。今回のジョナス・メカスがそうで、映像ということを差し引いても、展示が淡白すぎて彼の特異性が伝わってこない。逆にズビニェク・セカルは、これまでまったく知らなかったこともあるが、小品のシンプルな展示にもかかわらず圧倒的な存在感を示していた。
2021/07/21(水)(村田真)
GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?
会期:2021/07/17~2021/10/17
東京都現代美術館[東京都]
都現美の巨大な企画展示室2フロアを使った大規模な個展。チラシによれば、「60年以上にわたる創造の全貌を目の当たりにすることができる集大成の展覧会」とあるが、60年代のポスターを飾ったコーナーはあるものの、出品作品の大半は80年代初頭のいわゆる「画家宣言」以降の絵画に占められている。それでも40年だ。そういえば10年くらい前にも横尾さんの個展を都現美でやったなあと思ったら、19年も前だった。あれは画家宣言20年目で、その倍の年月が過ぎたということだ。今回の出品点数は計603点。ならせば年平均15点、つまり月1点以上の計算になる。総作品数はその数倍はあるだろうけど、主要作品はほぼ網羅していると見ていい。とりあえず「質より量」だ。
作品はほぼ年代順に、「神話の森へ」から「多元宇宙論」「越境するグラフィック」「滝のインスタレーション」「Y字路にて」「原郷の森」まで13に分けられている。人気グラフィックデザイナーの横尾が画家へ転身したきっかけが、1980年にニューヨークで見たピカソの回顧展だったのは有名な話だが、初期の作品を見ると当時アートシーンを席巻していた新表現主義の影響が色濃い。というより新表現主義そのものだ。おそらく当時、アメリカのシュナーベルやイタリアの3Cあたりを見て「あ、これならオレにも描けそう」と思ったに違いない。その10年前だったらミニマルアートを見ても描きたいとは思わなかったはず。その意味で1980年代初頭に画家になるべくしてなったといえる。
もちろん新表現主義ベッタリというわけではなく、横尾ならではの工夫が随所に凝らされている。初期のころは、鏡の断片を画面に貼り付けたり(これは皿の破片を貼り付けたシュナーベルを思い出させるが)、絵の周囲をネオンで囲んだり、画面にキャンバス布を重ねたり、あれこれ試しているので見ていて飽きることがない。サービス精神が旺盛なのだ。
その後も、アンリ・ルソーや過去の自作イラストレーションをリメイクしたり、1万枚を超える滝の絵葉書を集めてインスタレーションとして見せたり、Y字路にこだわったり、プリミティブな筆づかいながらも一貫して奇想に富んだ絵を描き続けている。なかでも圧巻は最後の「原郷の森」だ。ここ1、2年の新作を集めたもので、デッサンは狂い、構図も破綻し、色彩も乱調をきわめているが、モネの最晩年のタッチを思わせる奔放なストロークは、もうだれにも止められない。もはや優劣とか善悪とかの価値観を超えて彼岸に達している。とうとうここまで来たか、ここまで見せるか。
2021/07/16(金)(村田真)
さまよえる絵筆─東京・京都 戦時下の前衛画家たち
会期:2021/06/05~2021/07/25
京都文化博物館[京都府]
板橋区美でもやっていたのに、会期途中で非常事態宣言が出てしまったため見られず、京都会場に足を運んだ。タイトルにもあるように、これは戦時下における東京と京都の前衛画家たちがなにを思い、なにを描いたかを検証する展覧会。なので京都は単なる巡回先ではなく、展覧会においても重要な位置を占めているのだ。一般に戦時中の美術というと、勇ましくも愚かしい「戦争画」しか思い浮かばないが、もちろん戦争画を描かない画家たちもたくさんいた。では彼らはどんな絵を描いていたのか、とりわけ前衛的な画家たちはいったいなにをしていたのか? この展覧会によれば、彼らはおおむね「古典」および「伝統」に接近していたという。
戦前の前衛美術として、シュルレアリスム(超現実主義)、抽象、プロレタリア美術が知られているが、プロレタリア美術はすでに1934年に弾圧されて壊滅。翌1935年には帝展改組によって国家統制が強化されたが、それに対抗するように福沢一郎らの美術文化協会、長谷川三郎らの自由美術家協会が結成され、前衛運動は盛り上がったかに見える。だが、作品傾向としては抽象は先細り、シュルレアリスムは古典的絵画へと退行を余儀なくされる。要するにシュルレアリスム(超現実主義)から「シュル(超)」が抜け落ちて「現実主義」に立ち戻ったともいえるだろう。ここでいう「古典」とは美術史の古代ギリシャ・ローマに限らず、近代以前の美術全般を指し、また西洋だけでなく日本の仏像や古美術も含めてのもの。ナショナリズムの高まる時代になぜ西洋の古典が参照されたのかといえば、1937年に日独伊防共協定が結ばれたことが大きい。古典の宝庫であるイタリアはもとより、前衛芸術を弾圧し、古典美術を推奨したナチス・ドイツの影響もあるはずだ。
第1章では福沢一郎とその薫陶を受けた小川原脩、杉全直らの人物像などを展示。軍靴の響きが近づくにつれ奇抜さは影を潜め、穏やかなシュルレアリスムに落ち着いていくのがわかる。ちなみにこの3人はその後、戦争画を描いている。戦争画に反発したことでよく知られているのは、松本竣介や靉光や麻生三郎らが1943年に結成した新人画会だが、彼らは別に戦争に反対していたわけではなく、戦時下においてもふだんどおりに描いたり発表しようとしただけにすぎない。いまでは当たり前のことが、当時は非常識と受け止められたのだ。第2章ではこの新人画会が取り上げられている。西洋と東洋の古典技法を採り入れた靉光は不穏な時代を予感させる静物画を残し、戦前ヨーロッパに滞在した麻生はレンブラントばりの自画像を制作した。
第3章では、古代ギリシャ美術から仏像や埴輪にモチーフを移行させた難波田龍起、第4章では締め付けが厳しくなる戦時下、東北への取材旅行に活路を見出した吉井忠を中心に紹介。そして第5章で、京都を拠点に活動した北脇昇と小牧源太郎の出番となる。京都の数寄屋建築から想を得た北脇の幾何学的抽象絵画や図式絵画、小牧の仏教美術研究から導き出されたシュールな仏画もユニークだが、いちばん目を引いたのは、この2人を含めた新日本洋画協会のメンバーによる集団制作だ。その第1号の「浦島物語」では、北脇が「浦島亀を救ふ」から「玉手筥は遂に開かれた」まで全体の構成を決め、14人の同人がそれぞれ与えられた命題を描いていく。連歌や連想ゲーム、あるいはシュルレアリスムの実験のように、全体でストーリーがつながっていながら個々の作品としても鑑賞できるという優れものだ。絵はダリやタンギーに似た寂しげなイメージが多いが、これで紙芝居か絵本をつくればおもしろいかもしれない。
ともあれ、こうして見てくると、古典回帰といっても中途半端なシュールがかったリアリズムだったり、とりあえずの一時的な日本回帰だったりして、本格的に古典主義を採り入れるまでには至らなかったようだ。もちろん戦時下だから古典というのは隠れミノで、同展を企画した弘中智子氏が指摘するように、「『古典』を取り入れることで監視の目をくぐり抜けながら、戦時下の日本の社会が抱える問題を描き出そうとしていた」面もあるだろう。それにしても、やむをえずではあれ、戦時中の前衛画家が古典に向き合う時を得たのは無駄なことではなかったはずだ。であればこそ、戦争画が短期間のあいだに大量に復活させた「物語画」ともども、これらの前衛画家たちが試行錯誤した「古典主義」も、戦争が終わった途端に失われ、再びゼロから出発せざるをえなかったことは、日本の近代美術史にとって大きな損失ではないかと思うのだ。あーもったいない。
2021/07/13(火)(村田真)