artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
志村信裕展 游動
会期:2021/09/09~2021/10/08
KAAT 神奈川芸術劇場 中スタジオ[神奈川県]
毎回ひとりのアーティストが、美術館やギャラリーではなく劇場空間を舞台に、照明、音響、舞台美術などのスタッフとともにつくりあげる現代美術展「KAAT EXHIBITION」。光、音、映像などを用いて物語性の高いインスタレーションを構築するアーティストが増えているだけに、こうした劇場と現代美術のコラボレーションはさらに需要が増していくだろう。今回選ばれたアーティストは、斬新な映像作品で知られる志村信裕。
仕切りのない400平方メートルの真っ暗なスタジオ内に、計8点の映像インスタレーションが展示されている。扉を開けてまず目に入るのは、カーテン地に映し出される木漏れ日のような光。その隣には、古い窓ガラスにたゆたうクラゲの群れ。どちらもゆらゆら揺らめいている。その奥では、おそらく浮かび上がる泡を真上から捉えた映像を台の上に映写しているが、まるで星間飛行するロケットから見た光景のように光の粒が広がっていく。その横では、逆に床からガラス球を通して光を天井のスクリーンに投影している。といった感じで進み、出口の手前には、台の上に置いた星野立子の句集『光の曝書』のページ上に、天井から木漏れ日を映し出してみせた。
映像は横から、天井から、床からといろいろな角度から投影され、カーテン、窓ガラス、本のページとさまざまな素材に映される。ここらへんはピピロッティ・リストにも共通する手法だが、映像の内容は、木漏れ日、クラゲ、水、泡など実体感のないものばかり。いや、クラゲは唯一実体があるけれど、しかし水流をゼリー状に固めたようなクラゲほど実体感の薄い生物もいないだろう。いってみれば現象のような生命体。逆に水流や木漏れ日や泡などは、生命体のような現象と言えなくもない。それゆえ志村は「游動」と名づけたのだろう。もとより映像は実体のない光の戯れを、あたかも生命があるように動かす形式だから、彼の選ぶ「游動」たちはまさに映像ならではのモチーフといえる。つまり映される内容と映像という形式が一致しているのだ。
以下、蛇足。前回の「冨安由真展」では、会期終了まで1週間近くあったのにカタログが完売していたが、今回は1日前なのにまだあった。それはいいのだが、その売り場に「限定200部」とあり、その「200部」に二重線が引かれ「20部」と書き直されていた。どういうことかたずねてみたら、200部は販売部数で、残り20部とのこと。200部ってずいぶん少ないような気がするけど(もちろん刷り部数はもっと多い)、以前、展覧会のカタログを買う人は入場者の1割弱で、現代美術など専門性が高ければ割合も高くなると聞いたことがあるから、まあそんなもんか。納得したような、しかねるような。
2021/10/07(木)(村田真)
福田美蘭展 千葉市美コレクション遊覧
会期:2021/10/02~2021/12/19
千葉市美術館[千葉県]
福田美蘭というと西洋絵画を元ネタにした作品が多いが、今回はタイトルどおり、千葉市美術館の日本美術コレクションに触発された新作を中心とする個展。しかも福田が引用した千葉市美のオリジナル作品もセットで展示されるので、福田と日本の絵師たちとのコラボレーションともいえる。旧作も含まれるが、すべて日本美術の枠に収まっている。
たとえば《二代目市川団十郎の虎退治》は、鳥居清倍の同題の丹絵を部分ごとにバラして再構成したもので、団十郎の身体と虎の手足がぐちゃぐちゃに絡まって一体化している。これは現在の新型コロナウイルスとの戦いとダブらせたもので、もはや単純な勝ち負けではなく、敵との共存も考えなくてはならない新しい世界観を示しているというのだ。あ、ちなみに今回は福田の全作品に本人の解説がついているので、それにのっとって解釈してます。《三十六歌仙 紀友則》も同様、鈴木春信による同題の浮世絵に想を得て、雪を表わす「きめだし」(空押しで画面に凹凸をつくる技法)を、新型コロナウイルスの飛沫拡散パターンに用いている。また、チラシにも使われている《風俗三十二相 けむさう 享和年間内室之風俗》は、煙を嫌がる女性を描いた月岡芳年の浮世絵に五輪模様の煙を描き加え、「オリンピックがけむたい」という国民感情を表わしたという。
相変わらずよく練られているなあと感心する反面、コロナやオリンピックなどいささかこじつけがましさが鼻につくし、しょせん時事ネタは時が経てば忘れられてしまうので、一過性のパロディ絵画に終わってしまうのではないかと懸念もする。しかもそれほど有名ではない千葉市美のコレクションを対象としているだけに、将来別の場所で展示したいという需要は生まれにくい。でも逆に、コロナ騒動や2度目の東京オリンピックの記憶が薄れたころ、2020-21年という特異な時代相が刻印されたこれらの作品には、解説込みで付加価値がつくかもしれない、とも思う。少なくともそれだけの技術的クオリティを備えた作品ではある。
時事ネタは別にして、ぼくが惹かれるのは西洋美術に強引なまでに接続した作品だ。たとえば《美南見十二候 九月》。鳥居清長の原画では3人の女性が平坦に描かれているが、福田は月明かりと行灯という2つの光源を意識して、思いっきり陰影を強調している。まるで狩野一信の《五百羅漢図》のような不気味さ。似たような例に、旧作の《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》と《三代目佐野川市松の祇園町の白人おなよ》がある。これは写楽の役者絵のポーズを現実の役者が演じているようにリアルに描いたもの。つまりフラットな浮世絵を肉づき豊かな西洋絵画に翻案しているのだ。これらは解説が不要でストレートに伝わってくる点でも評価したい。
もっと省エネでコスト・パフォーマンスが高いのは、やはり旧作の《慧可断臂図 折かわり絵(4枚組)》。雪舟の《慧可断臂図》をあれこれ折りたたんで、達磨を振り返らせたり、慧可の頭を真っ白にしたりして遊んでいるのだ。これは笑ってしまった。いきなり上から目線でいえば、「芸術としての芸術(art as art)」が絵画の理想とすれば、福田のそれは「芸術についての芸術(art about art)」だろう。でも、つまらない「芸術としての芸術」を見せられるくらいなら、笑える「芸術についての芸術」を選びたい。
2021/10/06(水)(村田真)
秋山祐徳太子と東京都知事選挙
会期:2021/09/13~2021/10/09
ギャラリー58[東京都]
昨年暮れの回顧展でその一端を垣間見せた秋山祐徳太子の資料収集癖(正確には「ためこみ症」または「捨てられない病」)だが、その資料の山のなかでも質量ともに最高峰というべきなのが、東京都知事選のそれだ。今回は秋山が1975年と79年の2回にわたり立候補した都知事選の資料を壁面いっぱいに並べている。現在でも都知事選には泡沫候補がずらりとそろい、選挙公報や演説会をにぎわしてくれるが、秋山ほど都民を楽しませ、また本人も楽しんだ候補者はいなかったんではないだろうか。
秋山は当初、大日本愛国党の赤尾敏をはじめとする泡沫候補に興味を抱いていたが、「私は、いつかはこの美しき泡沫候補の一員に加わってみたい、との願望を抱いていたし、今回の選挙は二大有力候補による保革大激突の谷間に、政治による芸術行為の花を、あえかにでも一輪咲かして見せる唯一絶好のチャンスかも知れなかった」とのことで出馬にいたったという。この二大有力候補とは美濃部亮吉と石原慎太郎で、ここから「保革の谷間に咲く白百合」というキャッチコピーが生まれてくる。このとき秋山40歳、山高帽にヒゲのスタイルで選挙戦を戦ったが、結果は3,101票の5位に終わった(ちなみに美濃部と石原はそれぞれ200万票以上を獲得し、美濃部が当選)。しかし候補者16人中、美濃部、石原、松下正寿、赤尾敏に次ぐ5位だから、よく健闘したというべきか。少なくとも秋山の選挙活動を支持した(おもしろがった)都民が3千人以上いたのだ。
1979年の都知事選はなぜかパリで出馬宣言し、キャッチコピーも「都市の肥満を撃つ!」「都市を芸術する!」と先鋭化。ポスターも4年前に比べてニラミをきかせ、頭頂部もやや薄くなって貫禄を増したが、順位は7位に甘んじた。しかし得票は前回より千票余り上乗せした4,144票だからリッパなもの。このときは鈴木俊一が当選、以下、太田薫、麻生良方、赤尾敏……と続いた。
今回展示されているのは、この2回の選挙で使用したポスター、ポスター掲示場の地図、選挙運動の記録写真、選挙公報、候補者届、腕章(立候補者に配られる選挙運動の七つ道具のひとつ)、宣誓書(「この選挙における候補者となることができない者ではないことを誓います」などと記されている)、通称使用申請書(「秋山祐徳太子」の名で立つため)、候補者特殊乗車券(選挙期間中は国鉄、地下鉄、バスなど乗り放題の券)、立会演説会の案内書や注意書、新聞の切り抜き、赤尾敏から贈られた色紙とツーショット写真など、おびただしい量の資料だ。政治と芸術を結びつけるアーティストはヨーゼフ・ボイスをはじめたくさんいるが、選挙を芸術する人はあまりいないし、これだけの資料を残しているのは秋山祐徳太子くらいのものではないか。衆院選も近いことだし、まことにナイスなタイミングといえる。これはやはり都美館か都現美か、いずれにせよ東京都がパーマネント・コレクションすべきだろう。
2021/10/04(月)(村田真)
菅野由美子展
会期:2021/10/04~2021/10/30
ギャルリー東京ユマニテ[東京都]
菅野は15年ほど前から器を並べた静物画を描き続けているが、今回は少し趣を異にする。見た目はこれまでとほとんど変わらないが、違うのは器のヴァリエーションが増えたこと。これまでは自分の収集したお気に入りの器を並べて描いてきたが、今回は友人たちが愛用する器を描いたそうだ。本人いわく、「会いたい人にもなかなか会えない日々が続いたので、友人たちの器を描いてみたくなった」。といっても実物を見て描くのではなく、メールで愛用のカップの画像を送ってもらい、画面上に構成したのだという。
たとえば、案内状にも使われている《MUG_7》。複雑に入り組んだ棚が正方形の画面を大きく十文字に分けている。どこかエッシャーの位相空間を思わせるが、それは重要ではない。その棚の中央2列に計14個のマグカップを置き、右上と左下にティーポットを配する構図だ。これらのマグカップは友人たちから送られた画像を元にしたもの(ぼくの愛用していたマグカップもちゃっかり鎮座している)。実物ではなく画像を見て描くのは安易な気もするが、実はとても難しい。なぜなら、送られてくる画像の大半は斜め上から撮ったものだが、その角度は人それぞれ異なるし、光の方向も右から左から正面からとバラバラに違いない。それらを修正しつつひとつの画面に破綻なくまとめ上げなければならないからだ。
めんどくさそうな作業だし、そもそも他人の選んだ器を描くのだから気が進まないと思いきや、意外にも菅野は楽しかったという。なぜならこれらのカップを描いているとき、それぞれの所有者のことを思い、心のなかで会話したからだそうだ。それはおそらくカップだから可能だったのではないか。言葉を発するのも、カップから飲むのも同じ人の口だから。コロナ禍で人に会えないから友人たちのカップを描いたら、会話が成り立ってしまったという小さな奇跡。静物画が、ただの静物画ではなくなるかもしれない。
2021/10/04(月)(村田真)
北井一夫「過激派の時代」
会期:2021/09/07~2021/09/28
Yumiko Chiba Associates (viewing room shinjuku)[東京都]
1960年代の学生運動を記録した北井一夫の写真展。昨年出版された写真集『過激派の時代』の重版記念でもある。こういう社会運動を記録した写真集が重版になるのは珍しいのではないか。層の厚い団塊の世代がノスタルジーに浸るために買うのだろうか。コロナ禍でほかにやることないし。
会場には学生のデモや過激派のアジトを撮ったモノクロ写真が並ぶ。学生運動とか過激派とか、ぼくはちょっと前の(つまり現在と地続きの)話だと思っていたが、これを見て「ちょっと前」どころではなく、すでに半世紀以上も昔の、もはや歴史化された(つまり現在とは断絶した)出来事になっていたことに気づいて愕然とした。これが「歳をとる」ということなんだろうけど、それはともかく、現在と断絶していると思ったのは、写っている街の風景や彼らの着ている服、メガネ、ヘアスタイルが現在とかけ離れているからだ。そして、唐突かもしれないが、ブレたりボケたりするモノクロプリントが、中平卓馬や森山大道のそれを想起させたからでもある。当時、もちろんカラープリントはあったし、『過激派の時代』の写真集にもカラーは何点か載っているけれど、パラッと見た限り街の様子を写したものだけで、デモの写真はすべてモノクロだった。
どうもぼくには、こうしたドキュメント写真はモノクロでなきゃいけないという先入観みたいなものがあり、多少ブレ・ボケがあるくらいがふさわしいと思い込んでいる。それはひとつには、過激派の活動は動きが激しく、夜に行なわれることも多いので、アレた写真しか撮れないからだ。そしてもうひとつ気づいたのは、中平や森山のアレ・ブレ・ボケのモノクロ写真がこの過激派の季節とぴったりシンクロしていたこと。過激派に限らずドキュメント写真や報道写真が中平らに影響を与えることはあったとしても、その逆はないはずだ。だけど、彼らのアレ・ブレ・ボケの表現が逆に、過激派を写した北井の写真に対するぼくらの見方に影響を与えた可能性はあるだろう。ぼくは北井の写真を見ながら、直接知ってるわけでもないあの『プロヴォーク』の時代の視覚を追体験していたのかもしれない。
写真:「過激派」1968/2008[© Kazuo Kitai, Courtesy of Yumiko Chiba Associates]
2021/09/15(水)(村田真)