artscapeレビュー

さまよえる絵筆─東京・京都 戦時下の前衛画家たち

2021年08月01日号

会期:2021/06/05~2021/07/25

京都文化博物館[京都府]

板橋区美でもやっていたのに、会期途中で非常事態宣言が出てしまったため見られず、京都会場に足を運んだ。タイトルにもあるように、これは戦時下における東京と京都の前衛画家たちがなにを思い、なにを描いたかを検証する展覧会。なので京都は単なる巡回先ではなく、展覧会においても重要な位置を占めているのだ。一般に戦時中の美術というと、勇ましくも愚かしい「戦争画」しか思い浮かばないが、もちろん戦争画を描かない画家たちもたくさんいた。では彼らはどんな絵を描いていたのか、とりわけ前衛的な画家たちはいったいなにをしていたのか? この展覧会によれば、彼らはおおむね「古典」および「伝統」に接近していたという。

戦前の前衛美術として、シュルレアリスム(超現実主義)、抽象、プロレタリア美術が知られているが、プロレタリア美術はすでに1934年に弾圧されて壊滅。翌1935年には帝展改組によって国家統制が強化されたが、それに対抗するように福沢一郎らの美術文化協会、長谷川三郎らの自由美術家協会が結成され、前衛運動は盛り上がったかに見える。だが、作品傾向としては抽象は先細り、シュルレアリスムは古典的絵画へと退行を余儀なくされる。要するにシュルレアリスム(超現実主義)から「シュル(超)」が抜け落ちて「現実主義」に立ち戻ったともいえるだろう。ここでいう「古典」とは美術史の古代ギリシャ・ローマに限らず、近代以前の美術全般を指し、また西洋だけでなく日本の仏像や古美術も含めてのもの。ナショナリズムの高まる時代になぜ西洋の古典が参照されたのかといえば、1937年に日独伊防共協定が結ばれたことが大きい。古典の宝庫であるイタリアはもとより、前衛芸術を弾圧し、古典美術を推奨したナチス・ドイツの影響もあるはずだ。

第1章では福沢一郎とその薫陶を受けた小川原脩、杉全直らの人物像などを展示。軍靴の響きが近づくにつれ奇抜さは影を潜め、穏やかなシュルレアリスムに落ち着いていくのがわかる。ちなみにこの3人はその後、戦争画を描いている。戦争画に反発したことでよく知られているのは、松本竣介や靉光や麻生三郎らが1943年に結成した新人画会だが、彼らは別に戦争に反対していたわけではなく、戦時下においてもふだんどおりに描いたり発表しようとしただけにすぎない。いまでは当たり前のことが、当時は非常識と受け止められたのだ。第2章ではこの新人画会が取り上げられている。西洋と東洋の古典技法を採り入れた靉光は不穏な時代を予感させる静物画を残し、戦前ヨーロッパに滞在した麻生はレンブラントばりの自画像を制作した。

第3章では、古代ギリシャ美術から仏像や埴輪にモチーフを移行させた難波田龍起、第4章では締め付けが厳しくなる戦時下、東北への取材旅行に活路を見出した吉井忠を中心に紹介。そして第5章で、京都を拠点に活動した北脇昇と小牧源太郎の出番となる。京都の数寄屋建築から想を得た北脇の幾何学的抽象絵画や図式絵画、小牧の仏教美術研究から導き出されたシュールな仏画もユニークだが、いちばん目を引いたのは、この2人を含めた新日本洋画協会のメンバーによる集団制作だ。その第1号の「浦島物語」では、北脇が「浦島亀を救ふ」から「玉手筥は遂に開かれた」まで全体の構成を決め、14人の同人がそれぞれ与えられた命題を描いていく。連歌や連想ゲーム、あるいはシュルレアリスムの実験のように、全体でストーリーがつながっていながら個々の作品としても鑑賞できるという優れものだ。絵はダリやタンギーに似た寂しげなイメージが多いが、これで紙芝居か絵本をつくればおもしろいかもしれない。

ともあれ、こうして見てくると、古典回帰といっても中途半端なシュールがかったリアリズムだったり、とりあえずの一時的な日本回帰だったりして、本格的に古典主義を採り入れるまでには至らなかったようだ。もちろん戦時下だから古典というのは隠れミノで、同展を企画した弘中智子氏が指摘するように、「『古典』を取り入れることで監視の目をくぐり抜けながら、戦時下の日本の社会が抱える問題を描き出そうとしていた」面もあるだろう。それにしても、やむをえずではあれ、戦時中の前衛画家が古典に向き合う時を得たのは無駄なことではなかったはずだ。であればこそ、戦争画が短期間のあいだに大量に復活させた「物語画」ともども、これらの前衛画家たちが試行錯誤した「古典主義」も、戦争が終わった途端に失われ、再びゼロから出発せざるをえなかったことは、日本の近代美術史にとって大きな損失ではないかと思うのだ。あーもったいない。

2021/07/13(火)(村田真)

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