artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

TOKYO MIDTOWN AWARD 2020

会期:2020/10/16~2020/11/08

東京ミッドタウン プラザB1[東京都]

アートとデザインの2部門のコンペ。「DIVERSITY」をテーマにしたデザインは、入選作を陳列ケースに入れて一列に並べているので見やすいが、テーマ自由のアートは、「東京ミッドタウンという場所を活かしたサイトスペシフィックな作品」という条件つきなので、あっちこっちに散らばって探すのが大変。ま、それがサイトスペシフィックたるゆえんなのだが。

なかでもサイトスペシフィックの極北を行くのが、船越菫の《つながり》。地下プラザの壁の凹んだ部分にぴったりハマるようにキャンバスをつくり、緑の植物をピンボケで撮ったような壁の模様をそのままキャンバスにつなげて油絵で描いている。つまり絵が壁に擬態しているのだ。これは見事。いちおう絵の前にはプレートを立てて作品であることを明示しているのだが、道行く人の大半は気づかないし、気づいたところで壁がもう1枚あるだけなので通り過ぎてしまう。それほど見事に壁と同化しているのだが、作者としてはこうした手応えのなさを成功と見るか、失敗と見るか、微妙なところ。それに、この「壁画」はこの場所以外に展示できないし、たとえ展示できてもまるで意味がない。だから会期が終わればこの絵の有効期限も切れてしまう。その意味で、まさにこの場所、この期間だけのテンポラリーな「不動産美術」と言うほかないのだ。



船越菫《つながり》[筆者撮影]


その隣の川田知志による《郊外観光~Time capsule media 3》も、優れてサイトスペシフィックな作品だ。これも壁面に穴だらけのボロボロのトタン塀を置き、向こう側に植栽や看板があるかのように描いている。一種のトリックアートであり、のぞき見趣味であり、なによりこぎれいなミッドタウンにダウンタウンの雑音を持ち込んだ批評精神を評価したい。この作品はほかの場所でも展示できるが、やはりこの場で発想された以上、この場でこそ破壊力を発揮できるだろう。ちなみに船越も川田も京都市芸(ウリゲーじゃないよ)の油画出身なのは偶然だろうか。


川田知志《郊外観光~Time capsule media 3》[筆者撮影]


この2作品以外はサイトスペシフィックとは言いがたいものの、いずれ劣らぬ力作ぞろい。坂本洋一の《Floating surface》は、4カ所で支えた黒いヒモを上下に動かし、あたかも波のように見せる作品。波といえばいまだ津波を思い出し、また、かつては六本木にも波が打ち寄せていたかもしれないことを再確認させてもくれるのだが、それ以上にたった1本のヒモだけで波を表現してしまう技術力に感心する。

和田裕美子の《微かにつながる》は、髪の毛をつなげてチョウやテントウムシのレース模様に編み上げたもの。おそらく公共の場でのコンペなので、当たり障りのない人とのつながりや虫のモチーフを前面に出したのだろうけど、誰のものともしれぬ髪の毛を編む行為は、ナチスの蛮行について教わった世代から見れば薄気味悪さを感じるし、スケスケのレース模様の全体像がブラジャーかパンティを連想させるのも、憎い仕掛けといえる。作者はかなりの確信犯だな。で、コンペの結果は、船越がグランプリ、川田が準グランプリ。真っ当な結果だと思う。

2020/10/20(火)(村田真)

ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー所蔵 KING & QUEEN展 ─名画で読み解く 英国王室物語─

会期:2020/10/10~2021/01/11

上野の森美術館[東京都]

「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」開催中の国立西洋美術館に近い上野の森美術館で、ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー所蔵の「KING & QUEEN展」が開かれている。ポートレートギャラリーはナショナル・ギャラリーの裏手に位置するので、本場並みに2館をハシゴできるのはありがたい。といっても期間が重なるのは1週間だけだけど。

ポートレートギャラリーはその名のとおり肖像作品だけを集めた美術館。今回はそのなかから、イギリス国王および王族の肖像画と肖像写真により、500年を超えるイギリス王室の歴史を振り返ろうというもの。イギリス王室は日本の天皇家以上に国民に親しまれており、風刺漫画やパパラッチ写真も含めて多くの視覚メディアに取り上げられてきた歴史がある。展示は、15世紀末のヘンリー7世に始まる「テューダー朝」から「ステュアート朝」「ハノーヴァー朝」「ヴィクトリア女王の時代」を経て、現在の「ウィンザー朝」まで5章に分けて構成される。こうした王朝の交代は国によって異なるが、イギリスでは家名が変わるごとに起こるため、女王が誕生すると王朝も変わるのかと思ったらそうとも限らず、よくわからない。いずれにせよイギリス人にとって〇〇朝時代というのは、恐怖の時代とか繁栄の時代とか、その時々の時代気分を象徴するひとつの目安になっているのかもしれない。

第1章のテューダー朝のポートレートはどれも平面的で無表情で、ポーズも設定もパターン化していて、顔をすげ替えてもわからないくらい。そういえば15-16世紀のイギリスの画家なんて1人も知らないなあ。1点だけうまいなと思ったのは、ドイツから来て宮廷画家になったホルバイン作《ヘンリー8世》の模写だった。続くステュアート朝になると表情もポーズも多様化し、ポートレートも生き生きとしてくるが、やっぱりうまいと思うのは、オランダから招聘されたホントホルストの作品や、フランドル出身のヴァン・ダイクの模写、その追従者の作品だったりして、ようやくイギリス人画家によるまともなポートレートが生まれるには、18世紀のジョシュア・レノルズまで待たなければならない(でもあとが続かない)。

そして19世紀、ヴィクトリア女王の登場だ。最盛期を迎えた大英帝国がブイブイいわせていた世紀に、63年にわたって君臨したヴィクトリア朝は、イギリス人にとって世界を制覇した絶頂期であり、古きよき時代の象徴だろう。美術も古典主義からポスト印象派まで目まぐるしく動き、新たなメディアとして写真も登場。この章の約半数は写真だ。また、でっぷり太り不機嫌そうな最晩年の女王を描いた肖像画は、前世紀であれば(というより同時代の日本であれば)不敬罪に問われかねない作品。民主主義が根づいたことを示している。

最後は20世紀からのウィンザー朝の時代。ウィンザー朝はジョージ5世、エドワード8世、ジョージ6世と続くが、なんてったって特筆すべきはエリザベス2世だ。なにしろ1952年に25歳で即位して以来いまにいたるまで68年間も在位してるんだから、ヴィクトリア女王も昭和天皇もびっくり。作品も全体の半分以上をこの時代が占めている。でもその間の王室をにぎやかしたのは、女王本人よりチャールズ皇太子であり、ダイアナ妃であり、カミラ夫人であり、ウィリアム王子とキャサリン妃であり、ハリー王子とメーガン妃であり、要するにドラ息子やドラ孫たちとその嫁のほうなのだ。肖像もエリザベス2世より子孫のほうが多く、「KING & QUEEN」のタイトルからズレてしまっている。

また、この時代はさらに視覚表現が拡大し、写真が8割を占めるほか、ウォーホルのポップなポートレートや、クリス・レヴァインによるレンチキュラーによる肖像画もあって楽しめる。ちなみに、ルシアン・フロイドが女王の肖像を描いている写真があったが、その肖像画は所蔵してないのか、所蔵しているけど出品できなかったのか、残念なところだ。しかしこれだけ実験的な肖像画があるのだから、デミアン・ハーストやクリス・オフィリあたりに肖像画をつくらせたら、もっと話題作ができたのに。でもこれはアートを見せるのが目的じゃなくて、イギリス王室を紹介する展覧会だからね。

2020/10/16(金)(村田真)

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西洋の木版画 500年の物語

会期:2020/09/26~2020/11/23

町田市立国際版画美術館[東京都]

木版画なんて原理は簡単だから紀元前からあるのかと思ったら、意外と歴史は浅く、中国では7-8世紀の唐の時代から、西洋ではもっと遅くて14世紀末から始まったという。でも同じ印をいくつもつけられるハンコみたいなものは、それこそ文字が発明される以前からあったらしい。印にしろ版画にしろ、問題はどこに「かたち」を移す(写す)かだ。その最良の答えが「紙」だった。中国で蔡倫が紙を発明したのは2世紀だが(それ以前から紙みたいなものはあったらしく、それを実用的に改良したのが蔡倫といわれている)、それが西洋に伝わったのは千年以上あとの12-13世紀。その紙のあとを追うように木版画も伝わったってわけ。ついでにいうと、15世紀には活版印刷が始まるから、紙が視覚メディアの発展を大きく促したことは間違いない。

同展では、初期のころの素朴な木版画から、現代のミンモ・パラディーノやアンゼルム・キーファーらによるタブロー並みの巨大木版画まで、コレクションを中心に計83点の出品。なかでも興味深いのは、最初に展示されていた『貧者の聖書』の1ページで、1枚の版木に絵と文字を一緒に彫り込んで刷った木版本。文字も絵も稚拙だが、手で彩色されるなど労力が込められている。制作年代は1440年以降なので、グーテンベルクが活版印刷を発明する直前だろう。シェーデルの『年代記』は、600ページを超す活版印刷に木版画の挿絵1809図がついた、いわゆるクロニクル。現代の写真入りのクロニクルよりよっぽど豪勢だ。木版画と活字はどちらも凸版なので相性がよく、初期のころの活版印刷には木版画の挿絵が使われたが、やがてより細密な銅版画や、より簡便なリトグラフの登場で木版画は廃れていく。

だがその前に、木版画の頂点をきわめたデューラーの前で立ち止まってみたい。「黙示録」と「小受難伝」シリーズから4点ずつの出品だが、その精緻な線描は人間ワザとは思えない。だからといってコンピュータなら描けるかといえば、機械では絶対に出せない力と味をひしひしと感じるのだ。この時代、画家は下絵を描くだけで彫るのは職人に任せることが多かったが、デューラーは「黙示録」については企画・制作・版元のすべてを担い、彫りにも関わった可能性があるという。レオナルドやミケランジェロと同世代だが、同じ天才でも時空を飛ばして北斎と比較してみたい誘惑に駆られる。

2020/10/14(水)(村田真)

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江戸の土木

会期:2020/10/10~2020/11/08

太田記念美術館[東京都]

浮世絵に限らないが、日本の絵画には「空間構造」が欠けている、とかねがね思っていた。例えば家屋を描くとき、西洋ならその建物がどのような土台の上に建ち、どんな構造をしているかを遠近法の下に描き出していく。つまり絵画を、あたかも建物を建てるように構築的に組み立てていくのだが、日本の絵は建物が地面に接しているかさえ怪しいほど曖昧で、辻褄が合いそうになければ霞でごまかしてきた。つまり日本の画家は伝統的に構造設計をサボってきたのだ。と思っていたら、「江戸の土木」なる浮世絵展が開かれているのを知り、興味深く見ることができた。

作品は計70点で、「橋」「水路」「埋立地」「大建築」「再開発エリア」「土木に関わる人々」「災害と普請―安政の大地震」の7章に分けられている。うち「橋」がいちばん多く、27点と4割近くを占める。これは江戸の町が、現在の東京の東側が栄え、隅田川を中心に運河を張り巡らせた「水都」であったことの証だ。ちなみに出品作品は、時代的には江戸後期から明治初期までのほぼ19世紀全体に及ぶので、維新後に架けられた西洋風の方丈型木橋や錬鉄製桁橋も登場する。いずれにせよ、これだけ橋が多く、見慣れ(描き慣れ)ているせいもあって、複雑な木の組み方など予想以上に正確に描写されている。とはいってもやはり浮世絵、色彩がフラットなせいで立体感には乏しい。例えば広重の「名所江戸百景」のうち《大はしあたけの夕立》。これはゴッホが模写したことで知られているが、そのゴッホの模写は、橋桁に原画にはない陰影をつけて立体感を強調している。原画より模写のほうがよっぽど空間構造を明確に再現できているのだ。

「水路」では、御茶ノ水の山を掘って通した神田上水や、玉川兄弟が羽村から取水した玉川上水、日比谷入江から江戸湾につなげた日本橋川、外堀の一環として貯水した溜池など、「埋立地」では、湿地帯を埋め立てた八丁堀や佃島、築地など、「大建築」では江戸城をはじめ、寛永寺、増上寺、浅草寺、新しいところでは凌雲閣など、江戸幕府が造成した場所を紹介している。20世紀以降も東京は目まぐるしく変わったけど、それも江戸時代の土木工事があってこそだとわかる。絵師は歌川広重を中心に、三代目広重、渓斎英泉、歌川国芳、小林清親、井上安治らが名を連ねるが、絵を見てハッとするのは葛飾北斎だ。広重も確かにうまいけど、北斎の「諸国瀧廻」の《東都葵ヶ岡の滝》や、「冨嶽三十六景」の《遠江山中》などの前では凡庸に見えてしまう。明治以前に空間構造を描き出すことができたのはただひとり、北斎だけかもしれない。

2020/10/14(水)(村田真)

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レントゲン―新種の光線について

会期:2020/06/24~2020/11/23

JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク[東京都]

館内の一角で開かれていたレントゲン博士の特集展示。レントゲンといえばわれわれの世代(に限らないかもしれないが)は、身体を透過撮影する写真の意味で使っているが(「レントゲン写真」とか「レントゲン撮影」とか、単に「レントゲン」とか)、一般にはX(エックス)線撮影と呼ぶらしい。発明者の名前がそのまま名詞化するのは、その技術がよっぽど社会に浸透した証だろう。レントゲンはその功績で1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞する。今回はレントゲンの関連資料や彼が撮ったX線写真などの展示。

最初に目に入るのがノーベル賞のメダルだ。栄えある第1回受賞だからノーベルおたくには垂涎ものかもしれないが、素人にはどうでもいい。レントゲンとその家族の写真や、勤めていたヴュルツブルク大学の関連資料もどうでもいい。ちなみにヴュルツブルク大学は、鎖国中に来日して博物学を研究したシーボルトが卒業した大学で、その縁で東大のインターメディアテクで展示することになったらしいが、そんなこともどうでもいい。興味をひいたのはやっぱりレントゲン自身が撮ったX線写真。カエルやロブスターのほか、指輪をはめた妻の手も撮っている。ジェンナーは自分の息子に天然痘の予防接種の実験をしたことが美談になっているけど、家族を自分の研究の犠牲にするってのはどうなんだろ。X線も放射能を浴びるわけだし。じつはジェンナーが実験台にしたのは息子ではなく、使用人の子供だったことが判明しているわけで、現代ならリッパな犯罪ですね。

話がそれたが、ぼくが感心したのは、妻の手の写真の近くに、常設展示されている巨人症の手のX線写真がさりげなく飾られていること。インターメディアテクは常設展示と企画展示をはっきり分けず、あえて境界を曖昧にして空間全体を有機的につなげようとする。この「レントゲン展」も常設展示に紛れ込ませることで、あえて企画展の輪郭をぼかしているのだ。見方によっては企画展の規模やテーマや内容を水増ししているといえなくもない。こんな自由なミュージアム、ほかにあるか?

2020/10/06(火)(村田真)