artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

内藤コレクション展III「写本彩飾の精華 天に捧ぐ歌、神の理」

会期:2020/09/08~2020/10/18

国立西洋美術館[東京都]

医学者の内藤裕史氏が国立西洋美術館に寄贈した彩飾写本を公開するもの。3回目となる今回は、音符や歌詞の書かれた聖歌集や、信仰や生活などの法文を所収した教会法令集を中心とする展示。これまで2回は聖書や祈祷書が多かったが、聖歌集はおそらく教会で複数の歌い手が参照したため大判のリーフが多い。リーフとは紙葉のことで、中世の写本は1冊丸ごとだととても高価になるため、ページをばらしてリーフで売買されることが多いのだ。また、本のかたちで展示すると各ページを見られないが、リーフなら1枚ごとに絵として鑑賞できる利点もある。って前にも書いたっけ?

聖歌集や法令集の見どころは、装飾頭文字や余白に施された美しい彩色のほか、現在とは少し違う音符や、欄外にびっしり書かれた注釈だ。五線譜はまだ4本しかなく、オタマジャクシは四角くてしっぽがないため、リズミックな抽象画にも見える。また、欄外に書かれた注釈を見ると、本は生きていたことを実感する。なにが書かれているのかわからないけれど、このような注釈の入った写本が原本となり、注釈を採り入れて新たな写本が生まれる可能性があるからだ。こうして本は少しずつ変化を加えながら生きながらえ、着々と進化してきたことを思うと、グーテンベルク以降の印刷本がいささか頼りなく思えてくる。

「なお、本展の出品作の中には、長沼昭夫氏より西洋美術振興財団へご寄付いただいた基金で購入したリーフも含まれます」とチラシにある。要するにコレクションを美術館へ寄贈することを前提に、長沼氏が内藤氏の購入活動に資金援助をしたというのだ。これはいい話だなあ。ぼくも他人の金で作品を買ってみたい。ちなみに、長沼氏の基金で購入したリーフは心なしか大きめで、色彩も鮮やかなものが多いように見受けられたのは、貧乏人のひがみだろうか。

関連レビュー

内藤コレクション展II「中世からルネサンスの写本 祈りと絵」|村田真:artscapeレビュー(2020年09月01日号)

2020/09/26(土)(村田真)

向山裕展「回遊者たち」

会期:2020/09/23~2020/10/05

新宿高島屋10階美術画廊[東京都]

海洋生物をはじめ、奇妙な形態と生態を有する生き物たちをモチーフとするユニークな画家の個展。今回は特に「回遊」する生物の絵を中心に展示している。例えば、岩陰に潜むウナギの絵。マリアナ海溝で生まれて日本の河川で育ち、再び出生地に戻って産卵するウナギは、じつはもともと深海魚の一種であったことから、日本の川で一緒に泳いでいるコイやフナとは違う「ワケありな血統やんごとない貴種」だということで、タイトルは《貴人》とした。浜に打ち上げられたソデイカの絵は、暖海に棲むイカが海流に乗って北に流されて打ち上げられたところ。これを「死滅回遊」というそうだが、この行動を平安末期の「補陀落渡海」にたとえて《観想》と題している。タイトルにも哲学的な響きが感じられるのだ。

最新作にはもっと地球規模の作品もある。水平線の彼方に噴煙の立ち上る《沼矛(ぬぼこ)》は、神が矛先で海面を攪拌して大地が生じたという日本神話を、先祖が海底火山の噴煙を天から降りてきた矛に見立てて理解したのではないか、との洞察から描かれた。また、打ち上げられたクジラを描いた《グレート・ジャーニー》は、人類が世界中に広まったのは、こうした座礁したクジラを食料としながら海岸沿いに移動してきたからではないか、との仮説から生まれたもの。おそらく最初は生物の風変わりな形態に魅せられて描き始めたのが、次第に奇妙な生態に関心が移り、近年は地殻変動や人類の移動など地球史にまで視野が広がっている。作家自身も進化しているのだ。ただこのように壮大な構想が、スナップショット的な写実表現でどこまで描き切れるかが問題だが。

2020/09/25(金)(村田真)

BankART Life Ⅵ 都市への挿入 川俣正

会期:2020/09/11~2020/10/11

BankART Station、BankART Temporary、馬車道駅構内[神奈川県]

ヨコハマトリエンナーレの連携企画「BankART Life」も、もう6回目。ヨコトリ本体の開催が危ぶまれていたこともあり、スタートはヨコトリより約2カ月遅れとなった。今回は、BankARTが連携するきっかけとなった第2回ヨコトリのディレクターを務めた川俣正の個展。 BankARTでの川俣の個展は2012年に続いて2回目となる。んが、パリ在住の本人はコロナ禍のため来日できず、リモート制作となった。

メイン会場のBankARTテンポラリーは、BankART1929のいわば「発祥の地」。BankARTは2004年の設立から4年間、この旧第一銀行だった建物を使っていたが、2005年、運河沿いにあった日本郵船の倉庫の一部を借りられることになり、2008年の第3回ヨコトリを機に全面移転。ところが2018年に倉庫が解体されることになり、今年再び旧第一銀行の建物に戻ってきたのだ。そのテンポラリーの1階ホールと、築90年近い歴史を刻む半円形の先端部分(それ以外の建物本体は復元)がインスタレーションの舞台となる。

ホールでは、工事現場のフェンスなどに用いる金属平板を天井に張り巡らせ、建物の先端部分には同じ金属平板を覆い被せるように重ねている。川俣といえば約40年前のデビューから材木で建物を覆うインスタレーションで知られてきたが、そのあとプレハブや古新聞、椅子、窓枠、運搬用のパレットなど、素材は材木に限らず、その場にある身近なもの(新品ではなく廃品やリサイクル品)を使用してきた。しかし骨組みは別にして、金属素材を使うのは珍しい。これは川俣が昨年ここをリサーチしたとき、近くに市役所が移転してきたのに伴い周辺一帯が工事中で、金属平板のフェンスが目についたからだ。現在は近所に工事中のフェンスは見られないので、ここだけ取り残された感がある。別の見方をすれば、約1年の時差をもってBankARTに金属平板が再集結したともいえる。

もう一点いつもと異なるのは、材木だと水平方向に流れるように組んでいくことが多いのに対し、今回の先端部分のインスタレーションは金属平板を垂直に向け、下に行くほど膨らむように釣鐘型に組んでいること。そのため遠目に見ると、滝のようでもあり、蓑のようでもあり、また金属素材も相まって鎧の下半身のようでもある。このインスタレーションのほぼ真下に位置する馬車道駅のコンコースにも、天井に届くほどの高さに組んだ骨組みに金属平板を被せ、人が通行できるよう下部に出入口を設けたインスタレーションが設置されている。地上と地下で相似形が共鳴しているのだ。



[筆者撮影]


興味深いことに、初期のドローイングを見ると、地上のほうは先端部分だけでなく、両サイドが左右に広がり、建物の半分近くを包み込むような形として構想されていた。じつはこのインスタレーション、屋外での展示のためなかなか許可が下りず、実際に着手したのは会期が始まってからで、完成したのは1週間がすぎた今日、19日のことなのだ。川俣らしい「ワーク・イン・プログレス」だが、当初の構想を縮小したのは、当局の許可が下りなかったせいかもしれない。でもそのおかげで、地上と地下の相似関係が生まれた(ちなみに、地下のインスタレーションの近くには、ホームレスが傘を集めてつくった「アンブレラハウス」があり、好対照を見せていたが、今日行ってみたらなくなっていた。追い出されたんだろうか)。

このように、都市に異物を持ち込むことを「都市への介入」と呼ぶが、今回のタイトルは介入ならぬ「挿入」。その意図については聞いていないが、介入には無許可で強引に入れ込むニュアンスがあるのに対し、挿入は相互の了解のもと優しく挿し入れるイメージがある(もちろんこれは主観的なもので、ムリヤリ挿入するやつもいるが)。今回の場合、あくまで合法的に作品を入れたという意味で「挿入」としたのかもしれない。あるいは、釣鐘型に屹立する作品を「ファルス」にたとえるなら、馬車道の地下から立ち上がったファルスが天井を突き破り、そのまま地上に突き出したかたちと見ることも可能だろう。「挿入」からはえろえろ連想できるなあ。



[筆者撮影]


その馬車道駅から2つ横浜寄りの新高島駅に直結するBankARTステーションでは、川俣のこれまでの主要プロジェクトのマケットやドローイング、ドキュメント写真、カタログなどを展示。ああ、安斎重男さんが写っている。てか、初期の写真やカタログ図版の多くは安斎さんが撮影したものだ。

2020/09/19(土)(村田真)

バンクシー展 天才か反逆者か

会期:2020/03/15~2020/10/04

アソビル[神奈川県]

バンクシー非公認の「バンクシー展」だし、グラフィティじゃなくて版画だし、サブタイトルが陳腐だし、日時指定の予約制だし、会場が聞いたこともないエンタテインメント施設だし、なのに料金が1800円と高いし……。友人が予約して金まで払ってくれなきゃ行かなかったでしょうね。でも見てみたら、版画とはいえたくさんあるし、ドキュメント写真や映像もけっこうあるし、カタログもそれなりにしっかりつくっているし、得したとまでは言わないけど、損はなかった。

会場に入ると、バンクシーのスタジオらしきものが再現され、黒ずくめで顔が見えないバンクシーらしき人形も置かれ、ちょっと怪しい雰囲気。展覧会は、うやうやしく額縁に収まった版画を中心に、ステンシル作品や直筆のメモなどが並び、合間にライティング現場の写真、「ディズマランド」や「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」などのプロジェクトを写真や映像で紹介する構成。版画の多くはどこかの壁に書いたグラフィティを焼き直して商品化したものだが、ストリートで見るのと違って、どうしてもウィットに富んだポスター程度にしか見られないのが致命的だ。もちろん、グラフィティは限られた人しか見られないから、より多くの人に見せたいとの思いがあったのだろう。でもそれより近年は、テーマパークをつくったりホテルを運営したり慈善運動までしているので、その資金に充てるのが目的に違いない。

作品数は思ったより多く、こんなにつくっていたのかと驚くが、しかし数打ちゃ当たるで凡作が多いのも事実。それにイギリスやEUに関する時事ネタが多く、英語も多いので、日本人には理解しづらい作品も少なくない。要は見て楽しむより、読み解いて納得する図柄なのだ。まあそんなことも含めて、いろいろ知ることができたのは無駄ではない。いずれにせよ、バンクシーにとってはストリートアートが主で、版画はあくまで従、もしくは必要悪と思っていたから(実際そうだけど)、展覧会もショボいに違いないと期待していなかっただけに、いい意味で裏切られた。いっそ版画をなくして、ストリートの現場写真やドキュメント映像だけ見せたほうが、よりバンクシーらしさが伝わると思う。

2020/09/15(火)(村田真)

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オノデラユキ FROM Where

会期:2020/09/08~2020/11/29

ザ・ギンザスペース[東京都]

現在パリに住むオノデラの、90年代の「camera」シリーズ3点と「古着のポートレート」シリーズ15点の展示。いずれもモノクローム写真。「camera」シリーズは文字どおりカメラを前面から撮ったもの。カメラ自体のセルフポートレート? といいたいところだが、文字が反転していないので鏡に写して撮ったわけではなく、カメラ2台を相対させて撮影したという。しかも光は写す側ではなく、被写体のほうのカメラのフラッシュを焚いて撮ったというのだ。たとえは悪いが、相手のフンドシで相撲をとったってわけ。コンセプチュアル・フォトともいえるが、予期せぬ光が入り込んでいたり、なにか割り切れない空気感を漂わせる作品だ。

一方「古着のポートレート」は、1993年に渡仏したオノデラが注目を集めるきっかけとなったシリーズ。これは、クリスチャン・ボルタンスキーが個展で使用した古着を袋一杯10フランで購入し、モンマルトルのアパルトマンで空を背景に撮影したもの。誰が着たかわからない古着だが、主人不在の服だけが所在なさげに立ちすくんでいるさまは、まるで亡霊のようだ。あるいは、曇天の空を背景に屋外で撮影しているせいか、建築のような印象も受ける。ただし、シワが寄ったり形が崩れたりしているので、くずおれそうな廃墟か。柔らかい服と固い建築は正反対にも思えるが、いずれも人間を包み込み、守るものという点では似たような存在だ。とりわけ古着と廃墟は、人の不在を強烈に感じさせる点で近い。

しかし古着も廃墟も、安い量販店の進出やたび重なる都市の再開発で絶滅の危機に瀕している。それはマニュアルカメラも、モノクロームプリントも同じ。これらの作品に漂うノスタルジアは、写された対象からだけでなく、写すメディアからも醸し出されているのだ。

2020/09/10(木)(村田真)