2024年02月15日号
次回3月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

田中大輔「淵を歩いて」

会期:2023/07/22~2023/08/13

金柑画廊[東京都]

田中大輔の新作を見て、牛腸茂雄の「幼年の『時間(とき)』」を思い起こした。牛腸は生前の最後の写真集となった『見慣れた街の中で』(1981)を刊行後、以前から撮り続けてきた「子ども」の写真をまとめようとしていたが、未完に終わり、遺作として『日本カメラ』(1983年6月号)に6点の作品のみが掲載された。牛腸が「子どもの『時間』体験は、『いのち』そのものだから、その拡がりや脹らみや深さにおいて、目を見張るものがある」と書き残しているのと同じような感触を、田中の「子ども」の写真にも感じたのだ。

だが、牛腸の連作が「子ども」のポートレート(ほとんどがカメラと正対した)であるのに対して、田中は風景や事物の写真をそのあいだに挟み込んでいる。つまり、牛腸は自分と「子ども」たちとの一対一の関係を写真に刻みつけているが、田中の視線の幅はもっと大きく、彼自身を含む社会的現実をも写真に取り込もうとしているのだろう。

もうひとつ、注目すべきことは、本作が田中にとっては初めてのモノクローム作品であるということだ。田中は2016年に第15回写真「1_WALL」でグランプリを受賞しているが、受賞作も含めて、繊細に色味をコントロールしたカラー写真で作品を発表してきた。その田中がモノクロームを使い始めたのは、「子ども」と彼らを取り巻く環境をシンプルに、構造化して捉えるのには、そちらのほうがいいと判断したためではないだろうか。その試みは、とてもうまくいっていた。まさに「拡がりや脹らみや深さ」を備えた写真シリーズが、形をとりつつある。


公式サイト:https://kinkangallery.com/exhibitions/3091/

2023/07/23(日)(飯沢耕太郎)

大橋仁『はじめて あった』

発行所:青幻舎

発行日:2023/04/10

デビュー作の『目のまえのつづき』(青幻舎、1999)から24年、「奇書」というべき大作『そこにすわろうとおもう』(赤々舎、2012)から10年余り、大橋仁の新作写真集『はじめて あった』が出た。

冒頭の波と空のカットから、いかにも彼らしい息継ぎの長いシークエンスの写真が続く。女性との性愛の場面、「パンティの森」と昆虫のクローズアップ、やがて母親と義理の父(『目のまえのつづき』の主要登場人物)が現われ、その生と死が、過去作も含めて綴られていく。さらに、渋滞中の車の中のドライバーたちを執拗に写したカットが続き、打ち寄せる波の写真で締めくくられる。

こうしてみると、大橋がいつでも「私は自分の中のはじめてに会いにいく」という姿勢を貫いて、被写体と接してきたことがよくわかる。「目のまえ」に走馬灯のようにあらわれては消えていく「私という幻私という現実」は、カメラを向けることによって、はじめて手応えのある確固たる存在としてかたちを成し、それらを連ねていくことで、確信を持ってそれらが「はじめて あった」と言い切ることができるようになる。そのような、彼自身の写真家としての基本姿勢を、大橋は本作を編むなかであらためて確認していったのではないだろうか。この「母の死とパンティと昆虫」の写真集には、なにかを吹っ切ったような、突き抜けた明るさが感じられる写真が並んでいた。

関連レビュー

大橋仁『そこにすわろうとおもう』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2013年01月15日号)

2023/07/19(水)(飯沢耕太郎)

伊奈英次 作品展「国の鎮め ─ヤスクニ─」

会期:2023/07/04~2023/07/30

JCIIフォトサロン[東京都]

伊奈英次は全国各地の天皇陵を撮影した写真集『Emperor of Japan』(Nazraeli Press)を2008年に、靖国神社に蠢く群像を中心にカメラを向けた『YASUKUNI』(Far East Publishing)を2015年に刊行している。彼自身、長く関心を寄せてきた日本の天皇制のあり方を、「形」と「中身」の両面から問い直す意欲作といえるだろう。今回のJCIIフォトサロンの個展では、後者の拡大版ともいえる写真群58点を展示していた。

東京・九段の靖国神社はかなり特異な空間といえる。「英霊」を祀ったその場所は、右翼、天皇制信奉者、軍装マニアなどの聖地であり、異様な熱気が渦巻いている。伊奈は「靖国戦友会」「昭和天皇崇敬会」「軍装会」といった集団の構成員、あるいは「元自衛官と軍歌歌手」「異議申し立てのパフォーマー」といった奇妙なバイアスがかかった人物たちにカメラを向ける。その視点は全面肯定でも、逆にネガティブな違和感を強く打ち出すものでもない。彼らの滑稽さ、グロテスクさを暴き立てることなく、まずはしっかりと受け止め、絶妙な距離感を保って視線を投げ返している。結果として本作は客観性と主観性とがせめぎ合った、希有な人間=集団ドキュメントとして成立した。

伊奈がこのシリーズを撮影した1993-2005年頃と比較すると、現在では靖国神社側の規制が強まり、旧日本軍兵士や軍装マニアのパレードのような行事も行なわれなくなっているという。その意味では、本作はバブル崩壊後の平成時代という、特定の時期の空気感を色濃く体現したシリーズともいえるだろう。現在ではプライヴァシー保護の問題などもあり、人間=集団ドキュメントそのものが、撮りにくくなってきている。本作のような、現代の「社会的人間」のあり方を、写真を通じて探求する試みをもっと見てみたいのだが。


公式サイト:https://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/2023/05/22/33356/

関連レビュー

伊奈英次『YASUKUNI』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2015年10月15日号)

2023/07/16(日)(飯沢耕太郎)

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川口翼「心臓」

会期:2023/07/06~2023/07/30

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

川口翼は2022年度の第二回ふげん社写真賞のグランプリ受賞者。この度、審査員の一人でもある町口覚の造本設計による写真集『心臓』(ふげん社)が完成し、そのお披露目も兼ねた写真展が開催された。じつは筆者もまた審査を担当したのだが、昨年の応募作と今回の写真集、写真展の作品とのあいだの落差に、いい意味で驚きを禁じえなかった。

「回転のよすが」というタイトルだった応募作は、表現意欲にあふれる大作だったが、なにもかも詰め込もうとして、なにを言いたいのか伝わってこないもどかしさがあった。また、森山大道や鈴木清のような、彼が強い影響を受けた作家たちの表現を、「スタイル」として取り込むことに精一杯で、肝心の彼自身の写真の方向性が見えにくくなっていた。それが、1年をかけた写真集の制作過程で、削ぎ落としの作業を進めたことで、すっきりとした内容に仕上がった。また、色調がマゼンタに傾く壊れたカメラで撮影したという、ややノスタルジックな雰囲気のモノクロームのパートと、新たに撮影したカラー写真のパートとがうまく絡み合って、過去と現在と未来が、「集合的記憶」として提示される、より膨らみのある作品世界ができあがってきていた。赤い縁をつけた大小の写真をちりばめた写真展のインスタレーションも、とてもうまくいっていたのではないだろうか。

川口は写真集の表紙裏に掲載したテキストで「僕には、写真を何かを表現するためのツールや手段に貶めたくないという青臭い志がある」と書いている。「写真は写真として始まり、写真に化け、何事も語らぬまま一切の形容を拒否し続け、写真として終わって欲しい」というのだ。このような、1999年生まれの若者としてはやや古風なほどの「志」が、今後の彼の写真家としての活動のなかで、そのまま維持されていくのか、それとも少しずつ変わっていくのかはわからない。だが今回の展示と写真集が、「日本写真」の系譜に連なる、新たな世代の表現者の誕生を告げるものとなったことは間違いないだろう。


公式サイト:https://fugensha.jp/events/230706kawaguchi/

関連レビュー

川口翼「夏の終わりの日」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2022年09月15日号)
川口翼「THE NEGATIVE〜ネ我より月面〜」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年04月01日号)

2023/07/15(土)(飯沢耕太郎)

大橋愛写真展「お裁縫箱」

会期:2023/07/07~2023/07/23

Kanzan Gallery[東京都]

大橋愛の新作のテーマは「お裁縫箱」だった。DMにも使われた洋裁が好きな母親の裁縫箱を撮影したのがきっかけだったという。身近な友人からさらにその知り合いと、伝手を頼って100人の裁縫箱を撮影した。これだけ集まると、凝った木製のものから、当世風のプラスチックやジップロックまで、思った以上のヴァリエーションがある。しかもその一つひとつに、持ち主の個人史、特に家庭をホームグラウンドにした家族の歴史が絡み合い、結晶している。多様性と固有性とが絡み合った、とても面白い被写体を発見したということだろう。

写真の見せ方については、やや疑問がないわけではない。裁縫箱をスタジオに運び込んで、白バックで撮影したものが展示の中心なのだが、これだと、そのオブジェとしてのたたずまい、細部の造作はくっきりと見えてくるが、そこに纏わりついていたはずの「体臭」のようなものが抜け落ちてしまう。会場には、裁縫箱とそれを持つ人を、その場でクローズアップして撮影された写真を、帯のような布にプリントしてインスタレーションしていた。むしろこちらのほうが、それらがどこに、どのように存在していたのかという具体的な状況を、空気感を伴って伝えていた。難しい選択だが、こちらを主にすべきだったのではないだろうか。持ち主の情報をどこまで開示するか(写真集では名前のみ)も、一考の余地がありそうだ。

だが、このテーマは可能性を秘めている。裁縫箱は日本だけでなく、アジア諸国にも、あるいは冬の長い北欧などの国々などにもあるはずだ。それらを撮影していくと、各地域の暮らしのあり方(主に女性たちの)が、思わぬ角度から浮かび上がってくるのではないかと思う。展覧会に合わせて、HeHeから刊行された同名の写真集(デザイン:サイトヲヒデユキ)が素晴らしい出来栄えである。見返しを赤い糸でかがっているのだが、それは大橋の母親によるものだという。


公式サイト:http://www.kanzan-g.jp/eye_ohashi.html

2023/07/13(木)(飯沢耕太郎)

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