artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語

会期:2023/06/16~2023/09/24

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

本橋成一とロベール・ドアノーの二人展が開催されると聞いたときには、どちらかと言えば危惧感のほうが大きかった。1940年、東京・東中野生まれの本橋と、1912年、パリ郊外・ジャンティイ生まれのドアノーでは、世代も育ってきた環境も時代背景もまったく違っていて、二人の写真がどんな風に融合するのか想像がつかなかったのだ。

ところが、本展を見るなかで、その作品世界の「交差」が意外なほどにうまく成立していることに驚かされた。本展の出品作は「第1章 原点」「第2章 劇場と幕間」「第3章 街・劇場・広場」「第4章 人々の物語」「第5章 新たな物語へ」の5部構成になっている。それらを見ると、例えば炭坑夫(第1章)、サーカス(第2章)、市場(第3章)、家族(第4章)など、二人の写真家に共通するモチーフが、たびたび現われてくることに気がつく。第5章だけが、やや異なる世界を志向しているように見えるが、本橋とドアノーの被写体の選択の幅がかなり重なり合っていることがよくわかった。

だが、何よりも「交差」を強く感じるのは、ドアノーの孫にあたるクレモンティーヌ・ドルディルが本展のカタログに寄稿したエッセイ(「それでも人生は続く」)で指摘するように、「二人に共通しているのは、人々の仕事の現場と道具の中とにともに身を置いて撮影している」ということだろう。そのような、被写体に寄り添い、いわば彼らと「ともに」シャッターを切るような姿勢こそ、本橋とドアノーの写真が時代と場所を超えた共感を呼び寄せるゆえんなのではないだろうか。

このような、二人の写真家同士の思いがけない組み合わせを求めていくことは、東京都写真美術館の今後の展示活動の、ひとつの方向性を示唆しているようにも思える。本橋とドアノーのようなカップリングは、もっとほかにもありそうだ。


公式サイト:https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4534.html

2023/06/25(日)(飯沢耕太郎)

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吉永陽一「地上絵」

会期:2023/06/15~2023/07/02

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

吉永陽一は2008年頃より、本格的に空から地上を撮影する空撮作品を制作し始めた。それらをメインテーマとして取り組んできた鉄道写真と結びつけることで、自ら「空鉄(そらてつ)」と呼ぶ新たなジャンルが形をとることになった。今回のコミュニケーションギャラリーふげん社での個展には、その「空鉄」の写真群を中心として、2008〜2023年に国内外で撮影した空撮作品、42点が展示されていた。

吉永は小型のセスナ機に搭乗し、地上300〜1000メートルほどの高度からシャッターを切る。その高さから見る眺めは、「鉄道が、街が、建物が、大地が交差し、寄り添って絡み合い、偶然の形をつくりだしている」。それらは確かに、地上にいては見ることができず、高い場所から見下ろすことで思いがけないフォルムが姿を現わすという意味で、「ナスカの地上絵」のようにも見える。本シリーズの最大の魅力は、何よりも、そんな「偶然の形」を見出したときの吉永の驚きと歓びと感動とが、いきいきと伝わってくるところにある。

「空鉄」の代表作と言ってよい、伊丹空港に着陸しようとする旅客機と、新大阪に到着する直前の新幹線車両とを同一画面に写し込んだ作品(「新大阪 2016年4月30日」)などを見ると、「地上絵」の多様さと、予想をはるかに超えた面白さに目を見張る思いを味わう。鉄道写真がベースとなっているシリーズではあるが、街や人の営みを中心に撮影する方向にシフトしていくことにも、大きな可能性を感じる。そのことで、さらに広がりのある作品になっていくのではないだろうか。


公式サイト:https://fugensha.jp/events/230615yoshinaga/

2023/06/23(金)(飯沢耕太郎)

田原桂一「存在」

会期:2023/06/17~2023/07/15

√K Contemporary[東京都]

田原桂一が2017年に亡くなってから6年が過ぎた。65歳という年齢での逝去は、必ずしも早過ぎるとは言えないが、生前の活動が華やかだったので、やはり道半ばという思いが残る。没後も、いくつかのギャラリーや美術館で回顧展が開催され続けていることにも、彼の仕事を惜しむ人が多いことがあらわれているのではないだろうか。

今回、東京・神楽坂のアート・スペース√K Contemporaryで開催された個展では、舞踏家の田中泯のパフォーマンスを1970〜80年代に撮影したシリーズと、同じ時期にヨーゼフ・ボイス、ピエール・クロソウスキー、クロード・シモンらのアーティスト、作家などを撮影したポートレイトのシリーズが並んでいた。田原は、どちらかといえば、建築物や室内の光景を捉えた作品で知られているが、このような人物の「存在」を浮かび上がらせようとする営みにも、独特の美意識が刻みつけられている。被写体を有機的な物質として、光と闇の狭間に置き、触感的な要素を強調して描き出していこうとする姿勢が徹底しているのだ。

今回のような展示を見ていると、そろそろ、もう一回り大きな会場で、彼の作品世界の全体像を提示するような機会がほしくなってくる。どこかの美術館が、大規模な回顧展を企画するべきではないだろうか。特に遺作になった「奥の細道」シリーズ(2016年)を、ぜひもう一度見てみたい。


公式サイト:https://root-k.jp/exhibitions/keiichi-tahara_sonzai/

関連レビュー

田原桂一「光合成」with 田中泯|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年11月15日号)

2023/06/16(金)(飯沢耕太郎)

吉江淳「出口の町」

会期:2023/06/06~2023/06/19

ニコンサロン[東京都]

吉江淳は、生まれ育った群馬県太田市を6×7判の中判カメラで撮影してきた。太田は関東平野のはずれで、利根川の流域であり、人工と自然、新しいものと古いものとが入り混じる「汽水域」のような街である。取り立てて特徴のある土地柄ではなく、むしろ散文的なたたずまいの風景が広がっている。だが、吉江はその「何もない景色」こそを、写真のテーマとして選びとった。写真展に寄せたテキストに、被写体となった太田の眺めについてこう書いている。

「私にとっては、明媚な風景よりも自然について、都市的な風景よりも生について強く響いてくる」。

会場には、まさにそのような思いを込めて撮影された風景が並んでいた。利根川の河川敷を撮影した大判サイズのプリント(6点)と、街の眺めにカメラを向けた大全紙プリント(18点)を並置しているのだが、後者の即物的だが緻密な観察力を感じさせる写真群に見所がある。寂寞とした、荒廃の気配を漂わせる地方都市の姿が淡々と、だが的確なポジションから描き出されていた。「Hotel ピュアー」というラブホテルの看板の脇に墓地がある風景を枯れ草越しに撮影した一枚など、まさに「生について」の感慨を呼び起こす写真といえるだろう。

ぜひこのまま撮り続けて、写真集にまとめてほしい。


公式サイト:https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/2023/20230606_ns.html

2023/06/16(金)(飯沢耕太郎)

横木安良夫「追い越すことのできない時間 Catch it if you can」

会期:2023/05/30~2023/06/11

Jam Photo Gallery[東京都]

横木安良夫は1949年、千葉県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、篠山紀信のアシスタントを務め、1975年からフリーの写真家として活動し始めた。以後、ファッション・広告写真からドキュメンタリーまで幅広いジャンルで活動してきた。近年は文筆活動も精力的に展開している。

今回のJam Photo Galleryでの展示は、その彼がこれまで撮影してきた膨大な量の写真群のなかから、さまざまな「時間」のあり方を感じさせる写真をピックアップしたものである。被写体の幅はかなり大きく、撮影期間も1972年から2015年ごろまでに及ぶ。いわば、一人の写真家の眼差しの年代記とでもいうべき構成だが、あえてアトランダムに、キャプションも一切入れずに大小の写真を壁に配置した展示がとてもうまくいっていた。一点一点の写真が、自分自身でそれぞれの物語を語りかけてくるようで、楽しく、充実した時間を過ごすことができた。

なかに1点だけ、ジョギング中の少女を車で追い越しながらシャッターを切った3枚の写真を、あとでつなぎ合わせた合成写真があった。ストレートな写真が並ぶなかでは、かなり異質に見えるのだが、逆にこのような遊び心の発揮の仕方に、横木の写真家としての可能性が現われているようにも感じる。彼の写真の世界には、まだ奥行きがありそうだ。切り口を少しずつ変えながら、あるいはテーマをもっと絞り込んで、連続展を開催することも考えていいのではないだろうか。


公式サイト:https://www.jamphotogallery.com/exhibitions#comp-lh18gi8a

2023/06/09(金)(飯沢耕太郎)