2021年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

アネケ・ヒーマン&クミ・ヒロイ、潮田登久子、片山真理、春木麻衣子、細倉真弓、そして、あなたの視点

会期:2021/01/16~2021/04/18

資生堂ギャラリー[東京都]

4人+1組の写真を使う女性アーティストをフィーチャーした展覧会である。共通するテーマは「境界」。といっても同じ傾向の作品が並んでいるわけではなく、それぞれの方向性はかなり違っている。

アネケ・ヒーマン(ドイツ出身)とクミ・ヒロイ(岐阜県生まれ)は、オランダ在住のアート・ユニットで、資生堂のキャンペーン・ポスターを題材に消費社会における女性像を問いかける。潮田登久子は「本の景色/BIBLIOTHECA」シリーズから、「女性」や「境界」をキーワードに写真をセレクトした。片山真理は義足を装着したセルフポートレートを出品し、春木麻衣子は穴が開いた壁の裏側に、スリットから覗いたような状況を撮影した写真を並べている。細倉真弓は、ゲイ雑誌やネット上のセルフィーの画像をコラージュした新作の写真・映像作品を出品した。

どちらかというとアーティストたちの顔見せ的な要素が強く、「境界」というテーマから何が浮かび上がってくるのかはそれほど明確ではない。各作家の作品とインスタレーションのレベルが高いので、見応えのある展示にはなっていた。ただ、そろそろ「女性アーティスト」という括りだけで展覧会を企画すること自体の意味は失われつつあるのではないかと思う。「本展会期中の3月8日には国際女性デー International Women’s Dayを迎えること」が企画意図として意識されているようだが、男性やゲイの作家を加えてもいいのではないだろうか。

2021/02/21(日)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00055876.json s 10167907

第四回入江泰吉記念写真賞受賞 岩波友紀「紡ぎ音」

会期:2021/02/20~2021/03/28

入江泰吉記念奈良市写真美術館[奈良県]

入江泰吉記念奈良市写真美術館では2年に一度、入江泰吉記念写真賞を公募している。その4回目の受賞者に選ばれたのが岩波友紀の「紡ぎ音」で、その受賞展に合わせて同名の写真集も刊行された。

東日本大震災後に福島の猪苗代町三郷に移住した岩波は、2013年頃から岩手県、宮城県、福島県の太平洋沿岸部の祭礼、民俗芸能を撮影しはじめた。祭事が震災で断ち切られた土地と人との関係をつなぎとめ、震災で亡くなった多くの死者たちを鎮魂するために大きな意味を持っていることに気づいたからだ。以来、7年余り撮り続けた写真群をまとめたのが本シリーズである。取材・撮影した祭事の数は100以上に達している。結果的にそれらの写真は、「『復興』をめざして頑張る姿」といった表層的な理解の「その奥にあるものを知りたくなった」という彼の欲求に応えるとともに、新たに構築されつつある地域コミュニティの現在の状況をさし示す貴重な記録となった。

岩波の写真のたたずまいは端正で美しい。それも重要なことだと思う。もちろん、祭礼や民間芸能のドキュメントとして、しっかりと被写体をカメラにおさめているのだが、それだけでなく、色調や構図など写真一点一点のクオリティに気を配り、相互の関係性に細やかに配慮して写真を組んでいる。そのことで、東北の凛烈な風土そのものの、魂を揺さぶる力をあらためて感じさせてくれる展示になった。写真集も、岩波の写真の特質を活かして、丁寧なレイアウトの正統的な造本に仕上がっている(デザイン・田中義久、西倉美朔)。今年は、東日本大震災から10年目の区切りの年にあたる。10年前に何が起こったのか、そしてこの10年で何が変わったのか、あるいは変わらないのかを、もう一度問いかけるいい仕事だ。

2021/02/19(金)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00056032.json s 10167906

川口和之「PROSPECTS Vol.5」

会期:2021/02/05~2021/02/21

photographers’ gallery[東京都]

川口和之はこのところ、photographers’ galleryで「PROSPECTS」と題する連続展を開催している。当初は日本全国を対象としていたが、次第に埼玉県、栃木県、群馬県など北関東の街々に絞って撮影していったストリート・スナップ写真のシリーズだが、その第5回目にあたる今回、初めてテーマらしきものが見えてきた。といっても、始まりは偶然のきっかけだったようで、埼玉県桶川市を撮影中に土砂降りのにわか雨に遭い、そこから「雨の日」の光景にカメラを向けるようになった。今回の展示作品のほとんどは、雨中に撮影されている。結果的にその試みはとてもうまくいっており、半ば忘れられたような街並みが、湿り気を帯び、水に濡れることで鈍色の輝きを発して、どこか既視感を伴う光景に変質しているように感じた。

そのリアル感は、川口の丁寧なプリント・ワークに拠るところが大きい。使っているのは4200万画素のミラーレス一眼レフカメラなのだが、データを処理する時に画像の色味や彩度に細かく気を配っている。あえてシャープネスや透明度を落とすことで、風景の質感をリアルに定着させているのだ。デジタル・プリントも、パソコンやプリンター任せではなく、自分でコントロールすることが可能になってきている。写真の方向性によりフィットしたプリント・ワークが求められているわけで、川口の「PROSPECTS」シリーズはそのよき指針になるのではないかと思う。

なお隣接するKULA PHOTO GALLERYでは、同時期に川口の「PROSPECTS/TOKYO」展が開催された。2020年5月の非常事態宣言下のゴールデン・ウィークに、人気のない東京を撮影した印象深いシリーズである。

2021/02/16(火)(飯沢耕太郎)

ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画

会期:2021/01/05~2021/03/21

福岡市美術館[福岡県]

ソシエテ・イルフは、高橋渡、久野久、許斐(このみ)儀一郎、田中善徳、吉崎一人、小池岩太郎、伊藤研之らによって、1930年代半ばすぎに福岡で結成され、戦時中まで活動したグループである。高橋、久野、許斐、田中、吉崎は写真愛好家だったが、小池は福岡県庁商工課に勤める工芸家で、伊藤は二科会に属する画家だった。彼らは、喫茶店や小池のアトリエなどを根城に議論を戦わせ、写真雑誌の『フォトタイムス』や『カメラアート』などに作品を発表したり、同人誌『irf 1』(1940)を刊行したりした。ちなみに「イルフ」というグループ名は「フルイ」を逆に読んだもので、そのネーミングには、シュルレアリスムやアブストラクトの理論を取り入れた、新たな写真表現=「前衛写真」に向かおうとしていた彼らの意気込みがよくあらわれている。

ソシエテ・イルフの活動を初めて本格的に紹介したのは、1987年に福岡市美術館で開催された「ソシエテ・イルフ 郷土の前衛写真家たち」だった。それから30年以上の時を経て、同じ美術館で本展が開催された。その後の研究の成果を踏まえて、ソシエテ・イルフの全貌をあらためて跡づけようとする展示は、よく編集された充実した内容のカタログ(編集・忠あゆみ、デザイン・尾中俊介)も含めてとても意義深いものとなった。何よりも見応えがあったのは、彼らが残したヴィンテージ・プリントの展示で、活動期間は短かったものの、ソシエテ・イルフが大阪、名古屋などの「前衛写真」に匹敵する、興味深い動きを展開していたことがよくわかった。中心メンバーの一人で、貝殻や薔薇の研究家でもあった久野久のクオリティの高い作品などは、それだけで一冊の写真集としてまとめることができるのではないだろうか。

ソシエテ・イルフに限らず、戦前の写真家たちの仕事には、まだその全体像が見えてこないものがたくさんある。それぞれの地域の美術館、博物館による、今後の調査・研究の成果を期待したいものだ。

2021/02/13(土)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00055745.json s 10167362

小松浩子・立川清志楼「網膜反転侵犯」

会期:2021/02/04~2021/02/21

MEM[東京都]

面白い組み合わせの二人展だった。1969年、神奈川県出身の小松浩子は、建築資材置き場を撮影した写真をロールペーパーに大伸ばしし、それらを床や壁に貼り巡らすインスタレーション的な作品を発表して、2017年度の第43回木村伊兵衛写真賞を受賞している。1967年、茨城県生まれの立川清志楼は、やはり物質性の強い被写体を題材にした写真・映像作品をコンスタントに発表してきており、2020年度の写真新世紀展で優秀賞(オノデラユキ選)を受賞した。今回の二人展では、小松が2019年に埼玉県立近代美術館で開催された「DECODE/出来事と記録―ポスト工業化社会の美術」展の出品作「The Place, from 内部浸透現象」を、立川が動物園を撮影した映像作品の新作「第一次三カ年計画 Selected Remix」を展示していた。

資材置き場も動物園も、資本主義社会のグローバル・ネットワークから漏れ落ちたり、取り残されたりした場所といえる。そこでは均質化し、秩序づけられたエリアでは見ることができない、剥き出しのモノや自然の姿が露わになっている。小松も立川も、それらを記号化された画像としてではなく、大サイズの印画紙や映像を投影する紗幕などを使って物質性を強調して提示している。会場に入ると、小松のプリントが発する、定着液の饐えたような匂いが漂ってくるのだが、視覚だけでなく嗅覚や触覚も総動員しなければならない。映像の物質性を強く打ち出すと、ともすればその変換の手つきだけが目につく作品になりがちだが、小松と立川は動機と手法とが無理なく接続している。マンネリ化を避けることができれば、次の展開が期待できそうだ。

2021/02/11(木)(飯沢耕太郎)

文字の大きさ