2022年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

大和田良 写真展「宣言下日誌」

会期:2021/07/22~2021/08/15

Roll[東京都]

新型コロナウィルス感染症の拡大にともなう緊急事態宣言は、2021年8月後半現在も、東京をはじめ各地で発令中である。とはいえワクチン接種の加速化もあって、感染者数は増えているものの、昨年4月から5月に第1回目の緊急事態宣言が出された当時の緊張感はもうない。いまふり返ってみると、あの時期に「パンデミック」という多くの日本人にとっては初めての経験にどんなふうに対応したのかは、写真家たちにとってもかなり重要なテーマなのではないだろうか。

今回の「宣言下日誌」展は、そのことにいち早く取り組んだ作例といえる。大和田良は、当時ほとんどの仕事がキャンセルかリモートになり、「巣ごもり」を余儀なくされた。そのことで、逆に「『写真とはなにか』という本来的な関心」に立ち戻らざるを得なくなる。日々の出来事を記したテキストを書き、写真を撮影し(当然、家の中や身近な環境が多くなる)、それらをプリントし、配列していくことで、彼もまた多くの写真家たち同様に「原点回帰」を意識するようになった。

この時期に撮影した写真を、古典技法であるサイアノタイプでプリントしたのもそのためだろう。自分で調合した感光乳剤を紙に塗ってプリントすることによって、手作業を重視してきた写真のあり方を再考することができた。さらに、このプリント技法によって得られる深い青味を帯びたトーンが、当時の気分にぴったり合っていたということもありそうだ。

今回の展覧会は、藤木洋介がプロデュースする新ギャラリーRollのお披露目を兼ねていた。会場には大和田の旧作も並んでおり、そのために企画意図がやや拡散してしまったことは否定できない。「宣言下日誌」だけに絞った方が、よりすっきりとした展示になったのではないだろうか。

2021/07/22(木)(飯沢耕太郎)

三野新『クバへ/クバから』

発行所:三野新・いぬのせなか座写真/演劇プロジェクト制作実行委員会

発行日:2021/06/30

三野新(1987-、福岡生まれ)は、演劇と写真を結びつけるというユニークな活動を展開してきた「写真家」である。今回の新作『クバへ/クバから』では、小説、詩歌、デザインなど、多彩な方向性を持つ創作集団「いぬのせなか座」と組んで、「写真集制作」そのものを演劇として上演することを試みた。2018年8月からスタートしたプロジェクトは、途中、何回かの座談会、写真展などの開催を経て、最終的に「いぬのせなか座叢書4」として刊行された写真集『クバへ/クバから』にまとまった。

そのようにして形をとった「写真集」は、錯綜する写真、テキスト、イラストの複合体として編み上げられている。中心的なテーマ(被写体)は、沖縄をはじめとする南方地域に自生する植物クバ(ビロウ)である。クバは、日本の古代においても沖縄の創世神話においても神木=聖なる植物として崇められてきた。三野はそのクバの植生分布の北限が彼の生まれた福岡県であることを知り、自らの記憶や体験と、沖縄(奄美諸島を含む)の歴史文化とを重ね合わせつつ探求する、何度かの旅を企図する。その過程で「沖縄を、いま、東京から撮影する」ことの意味が、写真やテキストを通じて問い返されていくことになる。

「写真集制作」を通じて、沖縄をめぐる使い古された言説、イメージを「新たな配置、名付け、撮影行為のなかで攪拌させていく」という意図は、山本浩貴+h(いぬのせなか座)による装丁・レイアウトを含めてとてもうまく実現していた。ただ、演劇化のプロセスを経ることで、三野の「クバ」に寄せる初発的な動機もまた「攪拌」してしまったことも否定できない。創作行為のテンションとリアリティを保ちつつ、この方法論をさらにさまざまなかたちで展開することはできないのだろうか。『クバへ/クバから』の上演を、これで終わらせるのはややもったいないと思う。


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2021/07/21(水)(飯沢耕太郎)

徐勇展「THIS FACE」

会期:2021/07/16~2021/08/16

BankART KAIKO[神奈川県]

中国・上海出身の徐勇(Xu Yong、1954-)は、日本の読者にとって懐かしい名前ではある。日本の出版社から『胡同 北京の路地』(新潮社、1994)が出版されているからだ。だが徐勇は、北京の古い町並みと暮らしを撮影するドキュメンタリー写真家という枠組にはおさまりきらない、多面的な活動を展開してきた。1980年代にはコマーシャル写真の分野で成功をおさめ、そのテクニックを活かして演出的な手法で性的な問題を大胆に扱った「解決方案」(余娜との共作、2007)なども発表している。また、中国の現代美術の震源地となった北京郊外の「798芸術区」の創始者のひとりでもあった。

今回、横浜・馬車道のBankART KAIKOで開催された「THIS FACE」展に出品された作品も意欲的な写真シリーズである。会場にはひとりの女性の顔をクローズアップで撮影した513点の写真が並ぶ。彼女は髪を整え、イヤリングをつけ、口紅を引いて化粧するが、何枚かあとになると髪は乱れ、汗が滲み、疲労が色濃く漂うような顔つきになっていく。そのプロセスが何度か繰り返され、観客は彼女の顔の変化を近い距離で目撃することになる。実はモデルの女性は実在する「性工作者」の「紫U」で、これらの写真は2011年1月19日の朝10時から夜中の1時までの15時間に北京東環路のホテルの一室で撮影されたものだ。本展の元になった香港、文化中国出版刊行の写真集『這張臉』(2011)には、「紫U」によるその日の生々しい出来事を記した日記も収録されている。

 

スキャンダルを狙った、あざとい仕掛けという見方もできそうだが、中国のような政治が人々の生を縛り付けている国において、このような作品を発表することのむずかしさを考えると、徐勇の試みの過激さには驚くしかない。顔のみをクローズアップで捉えて、他の視覚的情報をカットするやり方も、観客の想像力に訴えるという点でうまくいっていた。性と政治とが分かちがたく結びついているという点では、日本も同じはずだが、このような作品はまず出てこない。中国のドキュメンタリー写真の厚みと底力を感じさせる展示だった。

2021/07/20(火)(飯沢耕太郎)

マン・レイと女性たち

会期:2021/07/15~2021/09/06

Bunkamuraザ・ミュージアム[東京都]

面白い企画である。これまでもマン・レイの作品展は何度も開催されており、それ自体は珍しいものではない。だが、「マン・レイと女性たち」の関係のあり方に焦点を絞った展覧会は、あまりなかったのではないだろうか。

たしかに、マン・レイは生涯にわたって、美しく魅力的な女性たちをモデルとして作品を制作し続けてきた。特に、彼と公私ともに関係が深かったキキ・ド・モンパルナス、リー・ミラー、メレット・オッペンハイム、アディ・フィドラン、ジュリエット・ブラウナーらをモデルとした、輝くばかりの写真群は出色の出来栄えといえる。彼女たちはマン・レイのインスピレーションの源であり、その存在抜きでは、ユーモアとエスプリとエロティシズムを合体させた彼の作品世界そのものが成りたたない。

だが近年、男性アーティストと女性モデルとの関係は、マン・レイの時代よりも、微妙でむずかしいものになりつつある。いうまでもなく、フェミニズム的な見方が強まるにつれて、男性が女性を従属させ、支配するような作品制作のあり方が、問題視されるようになってきたからだ。そのことは、今回の展覧会でも考慮せざるを得なかったようで、監修者の巌谷國士による序文でも、作品を所蔵する「国際マン・レイ協会」のメッセージでも、「マン・レイはいつも女性と対等に接し、差別意識も偏見もない客観的な目で、敬意を持って女性の美と個性を定着」したことが強調されていた。

実際のところ、本当にマン・レイと女性たちが「対等」だったのかは疑問が残る。だが、彼が常にモデルたちとの共同作業のようなかたちで作品を制作し、彼女たちのこのようでありたい、こんなふうに成りたいという欲望を素早く察知し、実現しようとしていたことは間違いないだろう。ダダイストやシュルレアリストのような、やや特異な集団内だけのことだったかもしれないが、そこにはたしかに男女の創造的な共犯関係が成立していた。

問題は、特に男性が女性を撮影するヌード写真やポートレートに対する、社会的な監視体制が強まってきていることだ。今回は、1920-50年代の作品が大部分であり、「女性と対等に接し」と何度も表明することでなんとか展覧会が実現できたが、ギャラリーや美術館にヌード写真を展示すること自体がタブーになりつつある。「マン・レイと女性たち」展は、そのことの当否を、もういちど考え直すきっかけにもなるのではないだろうか。

2021/07/15(木)(飯沢耕太郎)

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Tokyo Rumando 映像作品展「S TRIP」

会期:2021/07/01~2021/07/31

ZEN FOTO GALLERY

Tokyo RumandoはこれまでZEN FOTO GALLERYから写真集として刊行した『REST 3000〜STAY 5000〜』(2012)、『Orphée』(2014)、『S』(2018)などを通じて、自らのパフォーマンスを写真化するシリーズを発表し続けてきた。そのうち「何故私はパフォーマンスをするのか」と自問するようになり、ひとつの答えとして、20代の頃に、ファッションを学びながら、日本各地のストリップ劇場やキャバレーをショーダンサーとして巡っていたという体験に行きついた。その時期には「鑑賞者の為に自身でパフォーマンスをすると言う行為は私の中で日常化し、とても自然な行為」だったのだ。そこから、最終的に写真作品として発表するのではなく、パフォーマンスそのものをビデオで記録し、それを再編集して上演するという展示のやり方を思いつく。

今回の個展では、2020年にドイツ・フォルクヴァンク美術館で開催した個展「The Story of S」に出品した映像作品をアップデートするとともに、「S IS A STORY」「S IS SECRET」「S IS SEXUAL VIOLET」といったタイポグラフィーも壁面に展示していた。

アパートの一室で、さまざまな設定の人物を演じたり、外に出て「大量の衣装をスーツケースに詰め込んで、ハイヒールをカツカツ鳴らし、日本各地の劇場を転々と移動した日々」を再現したりするパフォーマンスの記録は、見世物小屋を思わせる、いかがわしくも活気あふれるものとなっていた。これまでもそうだったが、Tokyo Rumandoの表現意欲を支えているのは、性的な欲望を陰湿で差別的な行為に貶めることなく、開放的に共有していこうとする希求なのではないだろうか。

今回の映像作品では、『REST 3000〜 STAY5000〜』や『Orphée』ほど、くっきりとしたメッセージは見えてこないが、逆にカオス的なエネルギーの場がより野放図に拡大しつつあるように感じた。ただ、映像作品は写真に比べて観客の集中力をキープするのがむずかしくなる。そのあたりをどんなふうに解決していくかが、今後の課題になりそうだ。

2021/07/14(水)(飯沢耕太郎)

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