2022年12月01日号
次回12月15日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

撮影された岡山の人と風景──県内作家の近作とともに

会期:2022/06/03~2022/07/10

岡山県立美術館[岡山県]

仕事で出かけていた岡山の岡山県立美術館で、興味深い展示を見ることができた。EU・ジャパンフェスト日本委員会が1999年から実施している写真プロジェクト「日本に向けられたヨーロッパ人の眼/ジャパン トゥデイ」の一環として、2001年にオランダのハンス・ファン・デル・メールとベルギーのアン・ダームスの二人が招聘され、岡山県内を撮影した。今回は、同美術館主催の「岡山の美術 特別展示」の枠で、その二人の作品の20年ぶりの展示が実現した。あわせて、同県在住の写真家たち、柴田れいこ、小林正秀、杉浦慶侘、下道基行の写真作品も展示されている。そのうち、小林、杉浦、下道は、県内の若手写真家に授与されるI氏賞の受賞作家である。

ファン・デル・メールは都市や農村の環境に対応した1人の人物を選び出し、建造物の中央部に立たせて撮影する。ダームスは日常の断片を思いがけない角度から切りとったスナップ写真を制作した。これらオランダとベルギーの写真家たちの、いわば異文化に向けられた眼差しのあり方に対置するように、日本人写真家たちはそれぞれゆかりのある人、場所にカメラを向けている。柴田は戦没者の妻と日本人と結婚した外国人の女性のポートレートを、彼らへの聞き書きの一部とともに展示した。小林は在住する美作地方の風物を、端正な黒白写真にまとめあげる。杉浦は深みのある森の写真とオブジェによるインスタレーション、下道は東日本大震災以後に撮影した、小さな仮設の橋の写真を集成したポートフォリオ・ブックを出品していた。

彼らの写真の方向性はバラバラだが、逆に多元的な視線の絡み合いによって、岡山という土地のあり方が複層的に浮かび上がってくる。ほかの県でも、「日本に向けられたヨーロッパ人の眼/ジャパン トゥデイ」の作品を活用して、同じような企画が考えられるのではないだろうか。

2022/07/03(日)(飯沢耕太郎)

ゲルハルト・リヒター展

会期:2022/06/07~2022/10/02

東京国立近代美術館[東京都]

ゲルハルト・リヒターの日本における最初の本格的な回顧展というべき本展を見て、あらためて彼の作品における写真の役割について考えさせられた。いうまでもなく、リヒターはその画家としての経歴の始まりの時期から、写真を単なる素材としてではなく、作品制作のプロセスにおける最も重要な媒体のひとつとして扱ってきた。ごく早い時期の作品である《机》(1962)が、雑誌『DOMUS』に掲載された写真図版を油彩で描き写した「フォト・ペインティング」であったことは示唆的といえる。

「フォト・ペインティング」だけではない。「アトラス」シリーズは彼が蒐集した新聞・雑誌の切り抜き、自らの家族写真など、膨大な量の写真画像を複数のパネルに貼り付けた大作だし、自作のカラー写真の上に油彩で抽象的なパターンを描いた「オイル・オン・フォト」シリーズもある。本展の白眉といえる《ビルケナウ》(2014)の連作のように、写真を元にして描いた絵を塗り潰して抽象化し、さらに写真で撮影するという、写真→絵画→写真というプロセスを取り入れることもある。今回は出品されていなかったが、2009年に刊行された『Wald(森)』は純粋な写真作品といえるだろう。

こうしてみると、リヒターは写真と絵画とを、その表現媒体としての違いを意図的に無視して使っているように思えてくる。そのあからさまな「混同」によって、写真、あるいは絵画の領域を踏み越え、逸脱するようなフィールドが姿を現わす。というよりも、彼の作品世界においては、写真も、絵画も、鏡やガラスのような媒体も、あるいは彫刻やパフォーマンスも、すべては視覚的世界の総体的な探求という目的に向けて再組織されているというべきだろう。あらゆる分類を無化してしまうような、未知(未完)のアーティストとしてのゲルハルト・リヒターの凄みが、今回展示された110点余りの作品からも充分に伝わってきた。

2022/07/01(金)(飯沢耕太郎)

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山田悠「Nocturne」

会期:2022/05/25~2022/07/09

POETIC SCAPE[東京都]

初めて作品を見たが、とてもいいアーティストだと思う。身近な環境から発想しているにもかかわらず、その展開に意表をついた面白さがある。制作のプロセスはかなり手の込んだものだが、仕上がりはナチュラルで無理がない。経歴を見ると、ヨーロッパに長期滞在して、サイトスペシフィックな写真・映像作品を制作・発表している。今後は、日本での活動も期待できるのではないだろうか。

今回の展示のメインとなる「Nocturne」は、横浜の黄金町バザール2020で最初に発表された映像作品だが、再編集し、サウンドを加えることで新たな生命を得た。満月の夜、街の建物の端に月がかかっている。その様子を、月が中心に来るように移動しながら連続撮影していく。それらの800枚の写真を、コマ落としのような「モーション・ピクチャー」として上映していた。天空での月の動きの軌跡を定着した作品は、他にないわけでもないが、本作は撮影者の山田悠自身が動いて月を追っているところに新味がある。見ているうちに、月がビルとビルの間の細い隙間にはまり込んだり、電線を伝ったりする、ちょっとユーモラスな動きに感情移入するようになっていった。

月の写真を重ねつつコラージュした、映像作品の副産物といえそうな写真作品もあり、こちらもなかなか魅力的なたたずまいだった。写真家という範疇にはおさまりにくいが、パフォーマンスを記録する媒体としての写真の重要性をしっかりと認識していることが伝わってきた。他の作品の展示の機会も、ぜひ作ってほしいものだ。

2022/06/30(木)(飯沢耕太郎)

写真史家・金子隆一の軌跡

会期:2022/06/28~2022/07/31

MEM[東京都]

昨年逝去した金子隆一(1948~2021年)の1周忌を迎え、彼の2万点以上といわれる蔵書を引き継ぐことになった東京・恵比寿のMEMで記念展が開催された。日蓮宗の僧侶を本業としながら、その立ち上げの時期から東京都写真美術館の専門調査員を務め、キュレーター、写真史家として多大な貢献をした彼の業績を、あらためて振り返ろうという企画である。1967年に立正大学に入学し、写真部に入部して全日本学生写真連盟の活動に参加した時期から、フォト・ギャラリー プリズム(1976~78年)の運営、『camera works tokyo』(1979~1984年)の刊行などの活動を経て、日本の写真を出版、講演、展覧会企画などを通じて支えていくようになる金子の軌跡が、豊富な資料で多面的に紹介されている。金子自身による学生時代のオリジナル・プリント、島尾伸三撮影の若き日のポートレート、潮田登久子撮影の金子の蔵書の書架を撮影した写真なども出品されており、感慨深い内容の展示だった。

写真集の収集と書誌研究を軸とした彼の仕事は、むろんこれまでもいくつかの書籍の形で上梓されているのだが、こうしてその全体像を概観すると、まだ多くの可能性をもつものであることがよくわかる。幸い、蔵書の整理やリスト化の作業も進行中ということなので、今後その成果が少しずつ形になっていくことを期待したい。彼がさまざまな媒体に発表した文章も、書籍としてまとめる必要があるだろう。展覧会に合わせて、カタログを兼ねた同名の冊子(発行・エムイーエム、2022)が出版されている。関係者による追悼の文章、金子の講演「写真の歴史 一九六〇~一九七〇年と世界の写真の潮流」(2017年)の採録、詳細な年譜などを含む、160ページの充実した内容の写真・文集である。

2022/06/29(水)(飯沢耕太郎)

TOPコレクション メメント・モリと写真 死は何を照らし出すのか

会期:2022/06/17~2022/09/25

東京都写真美術館2階展示室[東京都]

定期的に開催されている「TOPコレクション展」は、いわば、東京都写真美術館の常設展に当たる展覧会企画である。だが、第一次開館(1990年)から30年以上が過ぎた現在では、毎回新たな方向性を打ち出すのがむずかしくなってきているのではないだろうか。担当学芸員の苦心を感じることが多いのだが、今回の「TOPコレクション メメント・モリと写真 死は何を照らし出すのか」展は、館外から借用した作品(たとえば青森県立美術館が所蔵する小島一郎の作品)も含めて、企画意図と内容がうまく噛み合った展示になっていた。

それは、「写真と死」というテーマ設定に、動かしがたい必然性があるからだろう。以前「すべての写真は死者の写真である」と書いたことがある。そこに写っている風景、人物が、もはや無くなった(亡くなった)ものである場合はもちろんだが、たとえ被写体が現存していたとしても、それらがいつかは無くなる(亡くなる)ものであることを、われわれはよく知っているからだ。あらゆる写真には、死が二重映しに写り込んでおり、その意味で「メメント・モリ(死を想え)」という格言は、写真という表現媒体の本質的なあり方をさし示すものといえる。

その意味では、今回の展示作品のなかでは、たとえばマリオ・ジャコメッリのホスピスを撮影した写真、あるいはロバート・キャパ、澤田教一らの戦争写真のような、直接的に死を扱った写真よりも、荒木経惟、牛腸茂雄、ロバート・フランク、リー・フリードランダー、ウィリアム・エグルストンらのような、日常に顔を覗かせる死を絡めとるように提示した写真群の方が、より興味深かった。写真家たちがその繊細なセンサーを働かせて、スナップ写真のなかに「メメント・モリ」を呼び込むような営みがずっと続いてきたことを、あらためて見直すことができたからだ。

2022/06/22(水)(飯沢耕太郎)

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