2023年02月01日号
次回2月15日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画─セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策

会期:2022/04/29~2022/07/10

アーティゾン美術館[東京都]

とてもよく練りあげられた、充実した展示だった。柴田敏雄と鈴木理策は、いうまでもなく1980年代から風景写真の分野でめざましい成果をあげてきた写真家たちである。その二人の写真作品を、アーティゾン美術館所蔵の絵画・彫刻作品と並置するという企画は、アイデアとしては素晴らしい。だが、写真と絵画・彫刻とでは、作品制作と提示のあり方が根本的に違っている。実際に展示を見る前は、単なる付け合わせ、見た目だけの一致に終わるのではないかという危惧も感じていた。幸いなことに、その予想はまったく外れてしまった。そこには、柴田、鈴木の写真とアーティゾン美術館所蔵の絵画・彫刻作品が互いに共鳴し、観客のイマジネーションを大きく広げることができるような、新たな空間が創出されていたのだ。

それはおそらく二人の写真家が、既にその活動のスタートの時点で、絵画や彫刻の創作原理を写真の撮影やプリントに組み込んでいく回路をもっていたからだろう。柴田は東京藝術大学美術学部で油画を学んでいるし、鈴木も高校時代には美術部に属して絵を描き、セザンヌに傾倒していた。写真家として活動し始めてからも、折に触れて絵画・彫刻作品を参照し、自らの写真シリーズのなかにそのエッセンスを取り込んでいる。といっても、絵画・彫刻作品の「描き方」をそのまま模倣しているわけではない。写真特有の視覚の働かせ方のなかに編み込むように、絵画や彫刻のそれをつなぎ合わせている。しかもその接続の仕方は柴田と鈴木ではかなり違ったものだ。どちらかといえば、色やフォルムを平面的なパターンとして取り入れていく柴田と比較すると、鈴木は奥行きやアトモスフェア(空気感)に鋭敏に反応し、ピントが合った部分とボケた部分を同時に画面に取り込む、デフィレンシャル・フォーカシングを多用している。両者の多彩で実験的な取り組みが、モネ、セザンヌ、クールベ、ボナール、カンディンスキー、ジャコメッテイ、藤島武二、雪舟らの作品と見事に溶け合っていた。

異彩を放っていたのは、鈴木理策の「Mirror Portrait」(2016-2017)である。ハーフミラーの向こう側のモデルを、鏡の周りにつけられた照明で撮影したポートレートのシリーズだが、モデルが写真家の姿を見ることができないので、思いがけない内省的な身振り、表情で写り込むことになる。鈴木の人物写真はきわめて珍しいが、この分野での可能性を感じさせる興味深い仕事だった。このシリーズは、さらに展開していってほしい。

(編集部註:2022年6月20日に作品説明部分を一部訂正)

2022/06/02(木)(飯沢耕太郎)

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田凱「モニタリング」

会期:2022/05/10~2022/05/22

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

中国出身で、2018年の第19回写真「1_WALL」でグランプリを受賞した田凱は、その後もコンスタントに個展を開催し続けている。その度ごとに、異なるテーマ、視点で作品を発表しており、写真家としての懐の深さを感じる。

今回は、監視カメラという現代的なテーマを取り上げた。田凱の認識によれば、ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で言及したパノプティコン(全展望監視システム)に代表される「規律社会」は既に解体してしまった。それに代わって多視点的な「管理社会/監視社会」のシステムが強化されつつある。街角に設置されている監視カメラは、そのシンボルといえるだろう。今回の展示では、実際に監視カメラをクローズアップで、あるいは距離を置いて捉えた写真群に加えて、部屋の中を滑らかに移動するカメラ(明らかに監視カメラの動きを意識している)で撮影した画像を、小石をちりばめたスクリーンに投影するという映像インスタレーションも出品していた。

狙いはよくわかるし、日本よりさらに監視システムが大きな役割を果たしている中国出身の田にとっては、切実なテーマであることが伝わってくる。とはいえ、全体的にはまだスケッチの段階であることは否めない。より鋭角的、批評的に「管理社会/監視社会」を浮かび上がらせていく仕掛けを、多元的に構築する必要があるだろう。このシリーズは、まだ完結し切れていないところに、逆に可能性を感じる。

関連レビュー

田凱「取るに足らないくもの力学」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年10月01日号)

2022/05/20(金)(飯沢耕太郎)

岸幸太「Vietnam Street」

会期:2022/05/17~2022/06/04

photograpers’ gallery[東京都]

岸幸太は、長期にわたって撮影していた釜ヶ崎、山谷、寿町などの「ドヤ街」の人とモノの写真群をまとめた大作『傷、見た目』(写真公園林、2021)を写真集にまとめてから、photograpers’ galleryで、カラー写真による「連荘」シリーズを発表し始めた(2021年7月、2022年1月)。だが、2017年からは、「Vietnam Street(ベトナム通り)」と題するもうひとつの写真シリーズにも取り組んでいる。

「ベトナム通り」といっても、ベトナムで撮影しているわけではない。「ベトナム通り」とは、沖縄本島の嘉手納基地を貫くように走る、沖縄市道知花38号の通称である。週末には道にフリーマーケットの露店が並び、ベトナムの街路を彷彿とさせるのでそう呼ばれるようになった。道の片側には基地のフェンスがあり、黙認耕作地と呼ばれる農地も広がっている。とはいえ、岸はこの道の特異性を強調して撮影しているわけではない。牛舎、豚舎、産業廃棄物処理工場、自動車関連工場などもある、そのどちらかといえば殺風景な光景は、むしろ日本のどこにでも見られるもののようだ。

会場には、横位置のカラー写真31点と、大判プリントに引き伸された黒白印画3点が淡々と並んでいた。このような素っ気ない撮り方の写真を積み重ねていくことで、厚みのある視覚的なアーカイヴが形をとっていくのではないかと思う。ある意味では日本の風景の縮図ともいえる「Vietnam Street」が、どのような眺めに組織されていくのかを、もう少し長いスパンで見てみたい。

関連レビュー

岸幸太「連荘 1」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年09月01日号)
岸幸太『傷、見た目』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年06月01日号)

2022/05/20(金)(飯沢耕太郎)

アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真

会期:2022/05/20~2022/08/21

東京都写真美術館3階展示室[東京都]

日本の1930-40年代の写真の動向にスポットライトを当てた展覧会が、ここ数年、相次いで開催されている。福岡市美術館の「ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画」(2021)、名古屋市美術館の「『写真の都』物語 —名古屋写真運動史:1911-1972—」(2021)などがそうだが、東京都写真美術館でも2018年の「『光画』と新興写真 モダニズムの日本」展に続いて本展が開催された。

欧米のモダニズム的な写真の傾向を積極的に取り上げた「新興写真」は、やや「直訳模倣」の面があり、昭和10年代(1935~)になると、早くも「行き詰り状態」を呈する。それに代わって、シュルレアリスムやアブストラクト(抽象)絵画の影響を取り入れつつも、日常の中に潜む魔術的、幻想的な要素を写真本来の描写力を用いて明るみに出そうとする「前衛写真」が、大阪(関西)、名古屋、福岡、東京などで花開くことになる。本展には安井仲治、小石清、河野徹、本庄光郎、平井輝七(以上、大阪)、坂田稔、山本悍右、後藤敬一郎、田島二男(以上、名古屋)、高橋渡、久野久、許斐儀一郎(以上、福岡)、瑛九、永田一脩、恩地孝四郎(以上、東京)などの作品が並んでいた。「前衛写真」の発想の源となった、同時代のヨーロッパの写真家たちの作品も含めて、これだけの質量の仕事を一堂に会するのはめったにないことなので、それだけでも貴重な機会といえる。

ただ、そこから何か新たな方向性が見えてくるかといえば、そうでもなかった。準備期間が短かったこともあり、やや総花的な顔見せ展になってしまったことは否定できないだろう。今後はその前史といえる「新興写真」、さらに戦後における展開と見るべき1950年代の「主観主義写真」も含めて、より包括的な枠組みの展示が必要になってくるのではないだろうか。

関連レビュー

「写真の都」物語 —名古屋写真運動史:1911-1972—|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年04月01日号)
ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年03月01日号)
『光画』と新興写真 モダニズムの日本|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年04月15日号)

2022/05/19(木)(内覧会)(飯沢耕太郎)

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Kanzan Curatorial Exchange「写真の無限 」vol.1 横山大介「I hear you」

会期:2022/04/26~2022/06/12(会期延長)

kanzan gallery[東京都]

必然性と切実性が感じられ、作者の思いが伝わってくるいい展覧会だった。1982年、兵庫県生まれの横山大介は、吃音の障害をもちつつ写真家としての活動を続けている。彼にとって、「他者に声をかけ、向き合い、カメラをとおして他者を見つめ、見つめ返される」ポートレート写真を撮影するという行為は、「会話以上の他者とのコミュニケーションになる」ものだという。今回のkanzan galleryでの個展には、2011年から続けている写真シリーズ「ひとりでできない」から、11点を出品していた。

写真の多くは、まさに「見つめ、見つめ返される」あり方を、シンプルかつストレートに提示したものだ。とはいえ、距離感や構図は一定ではなく、それぞれの被写体に対応して細やかに配慮している。なかに一点だけ、和室にあぐらをかいて座っている初老の男性を写した写真があって、他の写真とやや異質な眼差しのやりとりを感じた。もしかすると、近親者なのかもしれないが、キャプションが一切ないので、観客にはモデルのバックグラウンドはよくわからない。だが逆に、この人は何者なのかと想像する余地があることで、ポートレートに深みと奥行きが備わってくる。写真の選択、プリントの大きさ、レイアウトの決定なども含めて、横山の丁寧な写真展の構築の仕方が印象深かった。ぜひ写真集にまとめてほしい仕事だ。

会場には、もう一作、三島由紀夫の『金閣寺』、重松清の『きよしこ』、金鶴泳の『凍える口』など、「吃音の描写が印象的な文学作品」をいろいろな人に初見で読んでもらうというパフォーマンスを記録したビデオ映像作品「身体から音が生まれる」も出品されていた。48分15秒という上映時間はやや長過ぎるが、見応え、聞き応えのある作品である。

2022/05/17(火)(飯沢耕太郎)

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