artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
残間奈津子「infinity」
会期:2023/06/03~2023/07/16
POETIC SCAPE[東京都]
残間奈津子は1982年、茨城県出身の写真家。2005年に日本大学芸術学部写真学科卒業後、作品の発表を重ねてきたが、今回の展示が商業ギャラリーでの初個展になる。
被写体になっているのは主に植物であり、さまざまな草や樹木を、分け隔てすることなく、その背景となる土壌や空なども含めて写しとっている。光や影を含めて、植物を取り巻く「空気感」をどのように取り込んでいくのかに関心があるようだ。主に自宅の庭や近所の植物公園など、身近な場所で撮影することで、自らの視覚的経験を丁寧に跡づけていこうとしており、ボケの効果を活かした画面の構成力も高度かつ完成度が高い。地道に積み上げてきた作品世界が、ほぼ形を取りつつあるように見える。
ただ、ソフトフォーカスの植物というテーマは、アメリカのテリ・ワイフェンバックのような前例もあり、それだけにこだわる必要はないのではないかとも思う。もっと多様な被写体にカメラを向けていくことで、どちらかといえば小さくまとまりがちな彼女の視覚的世界を、大きく拡張・更新していくことができるはずだ。植物のようなどちらかといえばコントロールしやすいものだけでなく、新たな何かが次々に湧き出てくるような被写体にも向き合ってほしい。可能性を感じさせる作家なので、次の展開に期待したい。
公式サイト:http://www.poetic-scape.com/#exhibition
2023/06/09(金)(飯沢耕太郎)
薛穎琦(セツ・ヒンキ)「光の彼岸」
会期:2023/06/06~2023/06/24
IG Photo Gallery[東京都]
薛穎琦(セツ・ヒンキ)は台湾・台中市生まれの写真家。2020年に東京綜合写真専門学校を卒業し、台湾に戻って写真家として活動するようになった。今回の展示は2021年に刊行した写真集『熠燿宵行』(東京綜合写真専門学校出版局)の続編というべきもので、台湾、および日本各地の「火まつり」を題材としている。
前作では、台南市で元宵節(旧暦1月14、15日)に行なわれる「塩水蜂(爆竹祭り)」に絞って撮影していたのだが、本シリーズでは被写体の幅が大きく広がったことで、「その光の向こう、三途の川の彼岸に、一体どんな光景があるのだろう」と問いかける彼の狙いが、よりくっきりと浮かび上がってきた。たしかに、光と音と熱を発して眩く輝き、やがては消えていく「火」は、此岸と彼岸とを結びつける象徴的な存在といえるだろう。薛は、祭礼の場における「火」のあり方を追い続けることで、日常から非日常の世界へと移行しつつある状況を丁寧に写しとろうとしている。プリントのクオリティに、まだ物足りないところはあるが、その意図は少しずつ形になりかけているように思える。
会場には、展覧会に合わせて刊行したという、同名の手作り写真集も置かれていた。そのなかに含まれていた人の群れを撮影した写真の数が、展示では少なくなっているのが少し気になった。いい作品なので、ぜひ、もう一回りスケールの大きなシリーズとして完成させていってほしい。
公式サイト:https://www.igpg.jp/exhibition/YingChiHsueh23.html
2023/06/07(水)(飯沢耕太郎)
立川清志楼「第一次三カ年計画(2020-2023)最終上映会」
会期:2023/06/04(日)
BUoY[東京都]
立川清志楼は、2020年度の写真新世紀で優秀賞(オノデラユキ選)を受賞した。それをひとつの契機として、「第一次三カ年計画」という破天荒なプロジェクトを思いつく。ひと月に5本、つまり年間60本×3=180本の映像作品を制作するというものだ。実際にはそれ以上の200本の作品ができあがり、Part183~ Part200の作品、及び200本の作品をダイジェストして繋いだfilm collection remix(上映時間:33分)を一挙に見せる「最終上映会」が開催された。
立川の制作活動の背景には、デジタル化によって映像作品を大量に生産できる環境が整ったことがある。だがその状況を利用するかどうかは、作家の資質と関わることであり、一概に作品本数が増えるとは限らない。立川は、それぞれの作品に実験的要素を無作為的に取り込んでいくことで、量を質に転化するシステムを構築しようとした。そのことはかなり成功したのではないだろうか。
撮影されているのは、動物園や街頭の群衆など、日常的な場面であり、定点観測、画面の分割、焦点の変化、画像の加工などの手法を用いることはあっても、基本的にはストレートな撮影・編集を貫いている。主観的な世界観を表出するよりは、現実世界を丹念に観察し、客観的に描写することがめざされており、作品制作の姿勢としてはスナップ写真に非常に近い。固定カメラが多用されていることも含めて、「動く写真作品」としての側面が強いように感じた。
2020~2023年、つまり「コロナ時代」の様相がありありと浮かび上がるいい仕事だが、これだけの量を一挙に見せるのはなかなかむずかしそうだ。単純な「remix」ではなく、映像作家としての編集能力を発揮した「長編」の制作も考えていいのではないだろうか。
会場 公式サイト:https://buoy.or.jp/program/20230604/
立川清志楼 公式サイト:https://tatekawa-kiyoshiro.com/
2023/06/04(日)(飯沢耕太郎)
蜷川実花「Eternity in a Moment」
会期:2023/05/09~2023/06/19
キヤノンギャラリーS[東京都]
1990年代から2000年代初めにかけて、キヤノン主催の「写真新世紀」やリクルート主催の写真『ひとつぼ展』などをステップボードにして、多くの若手写真家たちが登場した。そのなかでも、とりわけ蜷川実花の幅広い分野での活動ぶりにはめざましいものがあった。コマーシャルやファッションの分野にとどまらず、ギャラリーや美術館でも意欲的な写真展を次々に開催し、映画監督としても脚光を浴びた。2010年代以降も、日本の写真界を代表する存在として輝きを放っているといえるだろう。
その蜷川も、いま転機を迎えつつある。というより、コロナ禍という予想外の事態だけではなく、「新世紀」や写真「1_WALL」(写真『ひとつぼ展』の後進)も相次いで活動を終えるなかで、写真家たちの多くが次の方向を模索しているのではないだろうか。「キヤノンギャラリー50周年企画展」として開催された本展を、その意味で期待しつつ見に行ったのだが、その期待は半ば満たされ、半ば物足りないものに終わった。
今回の展示の中心は、ギャラリーの奥に設定された映像作品上映スペースである。床、天井と側面を鏡貼りにした箱型のスクリーンに上映された7分間の映像作品は、いかにも蜷川らしい、人工的な色彩の花々、蝶、魚などのイメージが乱舞するものだった。そのめくるめく色とフォルムとサウンドの饗宴は、幻惑的であり、見る者を充分に満足させる出来栄えといえる。ただそこには、かつて蜷川の作品にあった、毒々しいほどの生命力の発露が決定的に欠けており、万華鏡を思わせる映像は、拡散したまま虚空を漂うだけだった。逆に、かつて蜷川の作品が醸し出していた「毒」=ビザールな歪みを許容するだけの余裕が、いまの日本の社会には既にないのかもしれない、そんなことも考えてしまった。
なお同時期(5月23日~6月3日)に、東京・銀座のキヤノンギャラリーでも、金魚をモチーフにした蜷川の同名の展覧会が開催されている。
公式サイト:https://canon.jp/personal/experience/gallery/archive/ninagawa-50th-sinagawa
2023/06/01(木)(飯沢耕太郎)
谷口昌良『空を掴め―空像へ』
発行所:赤々舎
発行日:2023/05/31
谷口昌良は東京・谷中の寺院、長応院の住職を務めながら写真家として活動している。2006年には長応院境内に「瞑想ギャラリー」空蓮房を設立し、ユニークな展示活動も展開してきた。
その谷口の新著『空を掴め―空像へ』は、彼の「仏僧写真家」としての経験を踏まえ、長年にわたる写真という表現メディアに対する思考の蓄積を形にした、これまたユニークな写真集である。被写体となっているのは三保の松原の松林だが、ほとんどの写真はピントが外れて写っている。メガネを外して外界を見た時の、視覚全体がボケた状況を再現したものだが、そこには「モノという実体は無常ではないか! 写真に固定できるものでは無く、それも無常だ! 写真は無常像だ!」という「仏僧写真家」としての思いが投影されている。
このような観念的ともいえる「写真による写真論」は、ともすれば思考の輪郭をなぞるだけの空疎なものになりがちだ。だが、谷口の写真作品を見ると、撮影することの歓び、固定観念を打ち壊していく解放感、新たな何物かの出現を寿ぐ気持ちなどが溢れているように感じる。仏教的な思念の実践というだけでなく、むしろ写真による視覚的世界の拡張の実験として充分に楽しむことができた。今回は松林というテーマに絞り込んでいるが、「空像」あるいは「無常像」としての写真のあり方は、ほかの被写体にも適用できるのではないだろうか。今後の展開も期待できそうだ。
2023/06/01(木)(飯沢耕太郎)